評価センター資料閲覧室

第10回 固定資産評価研究大会報告書 固定資産評価の実施体制のあり方について〜説明責任と効率化との狭間で〜

V.特別講演

「固定資産税の現状とこれからの課題(実務家の視点から)」

 

 
  前横浜市財政局主税部長
  辻 弘昭 (つじ ひろあき)
 
 
 
1964年  横浜市入庁、1993年中区役所納税課長
1994年  自治省税務局資産評価室課長補佐兼固定資産税課課長補佐
1996年  横浜市固定資産税課長
1998年同税制課長
2002年同主税部長
2006年横浜市退職
現職:横浜市場冷蔵株式会社専務取締役
資産評価政策学会員(発起人)、横浜国立大学経営学部企業経理研究会所属
主な著書等 「固定資産税(土地)評価と課税の実務」(ぎょうせい・1988年)
「市町村税これからの課題(上・下)」(ぎょうせい月刊「税」・2006年3・4月号)
 
研究大会プログラムより
    
1 減収を続ける固定資産税
 19年度からは、税源移譲と定率減税廃止等により、ほとんどの市町村で個人住民税の税収が固定資産税等を上回ることになり、歳入構造が大きく変化します。このように、2つの基幹税目の重要性が際立つ中で、現在の固定資産税等の税収は、減収を続けており市町村の行財政運営に極めて深刻な状況をもたらしています。一面ではバブル期の増収が夢のようです。
2 戦後の土地評価のあり方と議論の経緯
 戦後3回の地価高騰
 第一回目(昭和35年頃から)国民所得倍増計画をきっかけとする。
 第二回目(昭和47年頃から)列島改造ブームに乗って。
 第三回目(昭和60年頃から)プラザ合意後の金余り状況を背景とする。
 なお、この間の固定資産税課税の状況、例えば、負担調整措置、住宅用地の特例や課税明細書の送付等の経緯にも触れてみたい。
3 固定資産税評価の共同化(集約化)
 土地・家屋に関して、今後の固定資産税評価の一層の適正化を確保するため、大規模家屋や宅地等評価の集約化を図る必要があります。
4 市町村税の今後の課題
 市町村税の現行徴税(課税)の仕組みは、経費が国税等に比べて多大。
 簡素化とIT化が急務であり、まさに転換期にきています。
 また、今後は、徴収(滞納整理)事務もかなりきつくなると思われます。

 


はじめに

 皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました、横浜市の前主税部長をしておりました辻と申します。よろしくお願いいたします。
 今日、たくさんの方が、お見えになっております。私はおそらく多くの方は初めてお目にかかる方がおられるかと思いますけれども、固定資産税に長く携わっておりましたので、会場の中には、市町村アカデミーでお顔を見た方もいるかもしれません。創設以来3年間、土地の実務と演習をさせていただきました。それから、横浜市でも固定資産税の土地関係にずっと関わっておりましたので、指定市の皆さん、この中にも顔見知りの方もいるかと思います。
 それから、総務省私のときは自治省でございましたけれども、自治省のときには資産評価室で、ちょうど平成6年ですけれどもその時お世話になった、鑑定士の方、ここにおられるかもしれません。鑑定を標準地に導入いたしましたので、そのときの担当補佐として仕事をしておりまして、お世話になった方もおられるかと思います。本日は初めましてという方と、それからお久しぶりにこういうところでお話しさせていただくようになるということで、時間を1時間いただきました。よろしくお願いします。

1.減収を続ける固定資産税

(1)税源移譲と徴収対策
 まず、固定資産税のお話に入る前に、本日の新聞にも出ておりましたけれども、政府が地方分権改革推進法案を作成し、本日27日、地方分権改革の基本方針ということで法案の閣議決定をしたようでございます。地方自治体への権限移譲の推進とか、市町村と県との配分等がいよいよ俎上にのってきまして、地方分権も最後の追い込みに入ってきたというふうになるのでしょうか。
 そういう中で、今年に入ってからも、新聞等いろいろなところで話題に上がっています、自治体に破綻の足音ということがございます。これは日本経済新聞の記事からですけれども、今や地方財政はかつてなく厳しいという声が上がりまして、多くの市長さんなどが先行きに頭を悩ませている、自治体倒産の危機が列島を覆うというものでございます。自治体の行き詰まりの裏には、まさに膨大な借金と税収の減、それから地方交付税の削減ということで、各自治体共通の課題がこの中には見え隠れするのではないかと思っております。
 戦後、私も若き公務員として仕事をしているころ、高度成長を支えた公共事業等の建設ブームというのが税にいましても感じました。そして、近年は景気対策と称して、公共事業等のかなりの部分を地方公共団体が担ってきたわけでございます。その結果、地方財政が極めて悪化しておりまして、移転財源に非常に高い依存度があるわけでございますが、地方財政の現状を考えるときに心配しているのは、ここにおられる私どもだけではなくて、かなりの方が同じように心配されているかと思います。
 地方団体が移転財源に依存する度合いが高くなればなるほど、住民に対する歳出のコントロールが非常に働きにくくなるというわけでございます。そして、本来必要性の乏しい歳出がなされていって、非効率が進みそして市町村が破綻に突き進むという、そういう構図です。我々は典型的な自主財源である固定資産税を課税し徴収している立場から、非常に心配しているところでございます。
 そして、先行き不安なのは、三位一体改革、地方への税源移譲という、この言葉への賛美です。これは既に平成13年のころに地方分権推進委員会の最終報告で、地方税源の充実ということで、国から地方への税源移譲を行う必要があると言っておりました。この情報が入ったときは主税部長になったちょっと後でございます。税源移譲そのものは賛成ですが、まず地方が行動を起こさなければいけないなと思ったことは真の自立と分権の強化策ということであります。その中でも、このまま現行税制、住民税もそのままということであれば、市町村の徴収強化が必要となるということで、課税だけしても徴収できなければどうにもならないわけでございます。徴収強化をしておかなければいけないなと実務家としてならば、考えておくべきであることは当然でございます。
 私も主税部長に就任して、実際に地方へ税源移譲されるという段になって、増税が先行するなかで初めて地方の徴収対策をさあ、やろうということは、これは遅過ぎるわけです。それは地方の徴収対策というのは、国に比べましても実はかなり劣っているという現実をよく知っておりました。課税のことだけではなく、徴収についても、取れなければ自主財源が入ってこないわけでございますので、大変大切なことだと思います。
 しかし、私の記憶では、当時、この三位一体改革という言葉自体への賛美、言葉が飛び交っておりまして、徴収強化策に実務家サイドからほとんど聞いたことがなく関心もなかったのではないかなと当時思っていました。そこで、徴収担当者に聞きましたら、数年前までかなりの自治体で差し押さえを1件もしていないということの事実を知りました。小規模の市町村で税務担当者の人数が非常に限られておりますので、それ自体なかなかままならない。
 しかも、規模は十分にあっても、真剣に徴収対策を打ち出そうとしないというトップがおります。そういうようなことも知っております。後ほど、徴収対策にも触れますけれども、今、県知事や市長はリーダーシップを発揮して、真剣に独自財源のあり方と徴収対策を考える必要があるのではないかと思っております。固定資産税の徴収の話が先になってしまいましたけれど、今、私が感じている懸念材料でございます。
 実は国の税源移譲措置が決まっても、その理論値と市町村が実際確保できる税収額とはかなり乖離していくのではないか。今、徴収率は、全国的にみると90%を割っていますので、もっと下がったら大変なことになるわけです。実際に100%が調定額ですけれども、収入額はどうなるでしょうか。現在、市町村の個人市民税は県民税もあわせて徴収しています。そして、19年以降は個人市民税が多くの市町村で所得税を上回ることになるわけです。固定資産税は今、課税誤り問題の発生も半端ではございません。住民対応の困難さが増すということは既に経験済みでありまして、収納率の低下が懸念されます。そのことが市町村運営上で致命的にならなければ良いがということで、実はそれは大変な心配もしているところでございます。

(2)固定資産税の不思議
 戦後の地方税制の変遷は、非常に激動、社会経済の荒波の中で翻弄してきた状況がありました。私もその中に身をゆだねていたわけでございますが、このような激動の歴史について語るとき、結果だけを積み重ねることは、すぐに色あせますしおもしろくないと思います。歴史のおもしろさというのは、そのとき、だれが何を考えどのように動いたかということでございます。『ダ・ヴィンチ・コード』のおもしろさがそこにあるのではないでしょうか。そんなことも含めて、お話ししていきたいと思います。
 固定資産税の土地の評価と課税につきまして、私は特にバブル期の前後、比較的長い間、固定資産税関係に携わっておりました。すさまじいほどの土地開発の現状を目の当たりにしまして、そこで展開された土地等にかかわるさまざまな現実というのは、ほんの一部の体験でございましたけれども、まさに小説でいう、津本陽の『異形の将軍―田中角栄の生涯』を超える現実がそこにはあったように感じております。
 現在、私は横浜市役所を既に退職いたしまして、物流の本拠地であります横浜市の中央卸売市場の中で仕事をしております。皆さん、マイナス50度の超低温というのを体感された方がありますか。マイナス50度と冷えておりますとこれは冷凍マグロが真っ白になっている状態が正にそうでご記憶にあると思いますけれども、実は部屋に入りますともう寒いというよりも痛いという感じでございまして、そういうような非日常的で知らない社会というのは不思議そのものでございました。
 実は固定資産税の戦後の実務は、一般の納税者から見ますと、まさに非日常的な感じがするのです。不思議のるつぼではないかと感じます。まず一般市民から見ますと、固定資産税というのは、『家屋が一向に下がらない』という意見が出ています。それから、『地価が下落しているのに、土地の税金が上がる』わけです。これは非常に不思議な税金なわけです。
 それだけではないのです。皆さんが普通に使っている土地の「路線価」という言葉があります。この路線価という言葉は極めて特殊な言葉なのです。かつて、私が固定資産税に携わって、議会等の関係で上司に説明するときに、交通局長を経験した財政局長がおられました。そのときの説明の中で路線価という言葉を使用したのです。路線価という言葉を使用しましたら、「路線価なんていう言葉は知らないよ。電車の話じゃあるまいし、いい加減にしろ、わけのわからない言葉は使うな」というように怒られた記憶がありました。それまでは、路線価というのは当たり前に使っていたのですが、今ではかなりメジャーになったと思いますけれども、特殊な言葉なのだと感じました。
 それからもう一点、さらに説明しづらい話としては、土地の公的価格というのがあります。これは4つありますという話なのですが、一般的には同じ土地の公的価格というのは、常識的には1つですよね。価格が2つ以上あるわけがない。合理的に説明しづらい。そういうことで、市場のせり言葉より非常に難しいのが固定資産税だということでしょうか。
 このような話をしていくと奇異に感じますけれども、固定資産制度の本質というのは、ほんとうは簡潔、明瞭なものだということを皆さんは十分にご存じだと、そういうことを承知の上でお話ししているわけでございます。固定資産税はまさに評価をしているということで、評価額で税をかければ一番簡単なわけです。簡潔、明瞭でございます。いきなり脱線してしまいました。本論に戻したいと思います。

(3)転換期を迎える固定資産税
 このところの市町村税は、私どもの区役所窓口に「税金が増えた、間違いじゃないか」ということで、病院以上にお年寄りが押し寄せているというふうに聞いております。これは住民税のほうでしょうけれども、改めて税金に対する重要性を感じてきたところでございます。窓口の第一線でご活躍されている皆さん、ほんとうに改めて大変だと思います。感謝申し上げる次第でございます。
 住民税は、来年19年度、増税になるということで騒がれておりますけれども、一方の固定資産税はといいますと、減収の一途であります。多くの市町村における税収というのは、市民税と固定資産税の2大税目で成り立っていると思います。これから特にそうなると思います。19年度から定率減税の廃止が決まっております。それから、税源移譲による個人住民税の税収増があり歳入構造が大きく変化いたしますので、基幹税目の重要性というのが際立つことになるということは、皆さんも既にご承知のことと思います。
 しかしながら、固定資産税等の現在の税収というのは減収を続けておりますので、このままで行くとかなり深刻な状況になるだろうと思います。これは土地下落によって下がるのだから世間的には常識的であるということですけれども、そのことは承知していますが、冒頭で申し上げましたとおり、土地に関しては、バブル期前後の制度、これは非常にバブル自体の異常事態に対応せざるを得ない状況にありました。それで、地価が安定してきた今、問題点が浮き彫りになるのではないかなということが懸念されます。特に土地評価の適正化のおくれと、課税上の複雑な仕組み、これが残存している状態でございます。

2.戦後の土地評価のあり方と議論の経緯

 なぜ単純明快であったはずの固定資産税が、特に土地の評価の適正化がおくれ、あるいは課税上の複雑な仕組みになってしまったのでしょうか。戦後3回ほど、地価高騰がありました。バブル期を中心に混乱が続いた土地評価のあり方と、議論の経緯に若干触れておきたいと思います。
 固定資産税は今年、平成18年度は、3年に1度の評価替えということでございます。今年の干支がちょうど戌年で、昭和33年が戌年なんです。今年は、その昭和33年から数えて17回目の基準年度を迎えるということになります。また、38年に新固定資産評価基準ができ、これが適用を開始してから40年以上、半世紀近くたっているわけです。昭和30年代以降、3回の地価高騰期を経ているわけで、世界に類を見ないバブル崩壊も経験いたしました。その騒動もようやく落ち着いてきているようではありますけれども、既に最初の地価高騰期からほぼ半世紀が過ぎようとしているわけです。住民税と同様に固定資産税も、評価と課税の両面で大きな転換期を迎えていることは間違いないと思っておりますがいかがでしょうか。
 それでは、具体的に戦後を振り返ってみたいと思います。戦後3回の地価高騰の現実とそのときの政府等の対応がどうだったかということを若干歴史的に追いかけてみたいと思います。

(1)第1回目の地価高騰
 第1回目の地価高騰期でございます。昭和35年の池田内閣が、経済成長率が平均7.2%ということを目標とする国民所得倍増計画を打ち出し、これをきっかけにしたものでございます。高度成長に伴いまして、第2次産業の急速な発展、あるいは旺盛な民間企業の設備投資などによりまして、大都市中心の地価上昇が顕著になったわけでございます。
 そのときの社会事象ですけれども、30年代に入りますと戦後復興の段階を迎えておりまして、その原動力となったのがまさに技術革新投資。神武景気あるいは岩戸景気、これは34年から36年でございます。次々に好況期が訪れました。このころ、政府はまさに重化学工業を中心といたしました重厚長大型産業の育成に努めておりまして、大都市周辺部で臨海工業団地の造成と規模拡大が相次いだわけです。昭和30年代の10年間に、民間設備投資の規模は約5.7倍に拡大しております。このため、大都市周辺への人口集中が起こりまして、住宅需要を切迫させ、まさにスプロール、無秩序な開発が行われて、住宅地の時価がこの時期、高騰していったということでございます。
 特に39年、私も横浜市役所に入った年、東京オリンピックを直前に控えまして、東海道新幹線が10月10日の東京オリンピックにようやくぎりぎり間に合った状況がありました。国民はお祭りムードで沸き返っておりまして、40年代に入ってから、サラリーマンの給与がこのとき、倍々ゲームのように上昇したという記憶があります。私も若いときで夢中になっておりまして、結構、遊びに夢中になっていた記憶がございます。このとき、たまたま『そろばん』から『電卓』というのが出てきた時期でございます。非常に高度成長期であります。
 それでは、戦後初めての地価高騰に対してどのような土地対策がとられたのかということでございます。当時、建設省で宅地制度審議会を設置しまして、宅地需要の分散と緩和対策のために5つの答申をまとめました。その中の1つに、これは旧基準でございますが、不動産鑑定評価基準がありました。しかし、この時期には各種の地価対策が政府与党等からも提言が行われております。これらの提言が出始めたときには既に時価は沈静化の方向に向かっているということで、後追い感の強いものでした。世間で、この時期の各種答申・審議会に対して、『行政の隠れみの』とか『対処療法』とかの批判が出ていた時期でございます。
 この時期に自治省ではどうかということになりますと、固定資産評価制度調査会が設置され、36年から38年まで宅地等の評価制度の検討が行われておりまして、固定資産税の評価法が抜本的に改正されたわけです。これはどうしてこの時期にかということでございますけれども、戦後のシャウプ勧告が出たころは、固定資産税の土地の評価額は農地がほとんど主流で、宅地価格はそれほど気にされることはなかったわけです。
 先ほど申し上げましたように、工業化の進展で、法人を中心として地価高騰が起こってきて、宅地の適正な評価が問題視され始めた。そして、評価額を引き上げ税金を取りたいのですけれどもなかなか旧基準では計算が複雑で難しく、どういうふうにして宅地を評価したらいいかということで、かなり抜本的な改正が行われました。いわゆる路線価式評価法から市街地宅地評価法という、比較的簡易化された評価方法に切りかえてまして、今日に至っているわけでございます。
 そういう意味で、宅地評価が主流になって、その後、地価高騰が続きました。実は38年とか39年を見ますと宅地の時価は2倍以上に上がっているわけですけれども、じゃあ、売買実例が2倍に上がったから、そのまま2倍に税金を上げられたかといいますと、それは当然できなかったわけでございます。ご承知のとおり、38年度の評価額は、最近まで負担調整率で使っておりましたから、皆さんよくご存じだと思いますが、38年度と39年に2倍に上げられませんので、実は2割上げたのです。その2割というのが、負担調整の始まりということになるわけです。そこから以降は負担調整措置というのを繰り返し利用するようになって、いまだに続いているわけです。これはたまたま当時時限立法で導入したわけですけれども、いまだに続いているわけでございます。
 もうひとつ、そのときの評価基準で指示平均価額というのがございました。今、ご存じない方は提示平均価額という言い方をしていますが、評価の基本は売買実例価格でありながら点数方式をとられたということです。原則1点1円ですけれども、国と県は市町村をコントロールするということで、評価額をいくら上下させても、上部が税額をコントロールできるという、評価額と税額が一体であることを非常に印象づけた内容でございます。
 また土地評価の内容ですけれども、大量一括評価であったわけですけれども、家屋については当時からかなり非常に細かい評価内容になっておりました。一方、土地はかなり漠然とした概要的な内容でございました。昭和44年に鑑定評価基準の新基準ができたのですが、それと当時比較したのですが、そういうものを見ますと、かなり見劣りするなという印象を持ったわけです。面的大量評価の難しさということで再認識を当時した記憶がございます。以上が30年代第1回目の地価高騰期の出来事でございます。

(2)第2回目の地価高騰
 ア 土地神話の定着
 第2回目の地価高騰期、これはいつかといいますと、まさに田中角栄親分が総理大臣になってきた時代でございます。列島改造ブームというのがございました。昭和48年、企業の事業用地取得だとか、大都市への人口集中、これはもう半端でございません。土地需要の発生がありまして、投機的な土地需要の増大が起こりました。農林地を中心に全国的に地価上昇が拡大いたしまして、これは年間30%以上の地価高騰が再来して、土地神話が定着したというのがこの頃でございました。
 世間が猛烈な土地ブームの最中に、不動産業界では地上げ商法である、俗に『キャッチボール』商法が横行していました。ちょっとご紹介いたしますと、『異形の将軍』からの引用でございます。まず『坪100円の土地を200円で買わせるわけです。そして、あっという間に2倍の値で土地を売って味を占めたお客さんが次の投資先を求めると、別の分譲地の土地を坪200円で買わせるということです。そこでも売り主は坪100円ほどの値段で買っていたので金もうけができるということで感心いたしまして、次の投資物件を求める。うわさがうわさを呼びまして、客は幾らでも集まってくる。3カ所の分譲地を投資客に反復売買をさせまして、坪当たり4,000円ぐらいまでスパイラル状に売り値を上げていく。まさにこの辺が限度だと思いますと、別の投資、分譲地の販売にまた取りかかるという』のをキャッチボール商法といいますが、結局最後の買い手がばば抜きをさせられるわけです。このころ、いろいろなことで投資分譲が行われ、まさに異常な時代でございます。
 この時期の経済の特徴は、昭和48年10月の第4次中東戦争を引き金とした第1次石油ショックが起こっておりました。原油価格は一挙に4倍に引き上げられまして、狂乱物価でございます。テレビでは主婦たちがティッシュペーパーを真剣に奪い合っている映像がよく出てきます。当時の経済状況をあらわす書物で、昭和49年1月から3月期の卸物価が年率5割上がっています。消費者物価につきましては、何と4割の急騰。昭和49年の春季の賃上げ率は32.9%でございます。石油ショックにより、世界経済はまさにインフレの高進、国際収支の赤字、それから戦後最大の不況というトリレンマを背負うということになった時代でございます。
 イ 市街化調整区域の地価高騰
 私はちょうど45年の春に横浜市の財政局管財課というところで評価係、まさに鑑定評価をする部署に配属されました。横浜市が市有財産の売却や取得を行う場合に、横浜市の財産評価審議会を開催いたしまして、適正な評価額を決めることになっているわけでございます。
 そこへ配属されまして最初に直面したのが、まさに市街化区域と市街化調整区域の区分なのです。これは昭和45年の新都市計画法の中で、市街化区域と市街化調整区域という区分ができたのはこの年でございます。ご承知のとおり、市街化区域というのは、土地計画区域のうちで、既に市街地になっている区域や公共施設を整備する、面的な整備を行うことによって積極的に市街地をつくっていく区域をいうといっております。また、市街化調整区域は、都市の健全な発展と計画的なまちづくりを図るため、市街化を抑制する区域として定められているわけでございます。当然、両区域は価格も変わってくるわけでございます。
 しかし、特にこのとき、市街化調整区域は、市街化を抑制することでしたが当時、全くその趣旨には合致していませんでした。むしろ公共団体による乱開発ブーム、そういう結果になっていました。これには正直言って、びっくりいたしました。皆さん、どうしてかわかりますか。「公共物は」ということだけです。本来、建設できない建物が、公共施設という名のもとで、次々に建設されていくわけです。地主さんが持っている調整区域が変わっていき時価がどんどん上がります。それにつられて市街化区域も続けてどんどん上がります。どこが地価を上げていったのかということです。当然、土地の価格はもうほんとうに上がりまして、建設ラッシュでありました。
 当時、そこで一番に問題になっていたのは、公共物を含めた建築物です。この年、建設ラッシュで、粗悪コンクリートが多いのがこの時期に集中しています。一例を挙げますと、冷蔵庫会社でございますが、昭和30年代に建設した冷蔵庫が結構あります。それから、もう1つ、昭和48年に建設した冷蔵庫があるのです。その両年代の冷蔵庫を比べてみますと、古い年代の冷蔵庫のほうが現在も頑丈なのです。それに比べて、昭和48年に建設した冷蔵庫というのはボロボロでして、壁ははがれ、天井は一部落ちて、ひどいです。そして、断熱不良で雨漏りもしているわけで、当然、耐震強度はありません。皆さん、地区に帰って、48年度、そのころ建築された公共建築物等の状態はどうでしょうか。改めて確認されてみてはと思いますが・・・。私のところではそういう事例があります。
 ウ 地価公示制度の発足
 もう一つ、昭和45年にできた地価公示制度というのがあるのです。地価公示制度というのは、『土地鑑定委員会が毎年1回、標準地の正常な価格を公示しまして、一般の土地の取引価格に対して指標を与えるとともに、公共事業用地の取得価格算定の基準とされるということです。また、国土利用計画法に基づく、取引の規制における、土地価格算定の規準とされる等により、適正な地価の形成に寄与することを目的とする』と、こういうことになっています。
 なぜ公共事業用地の取得価格算定の規準になったのか。しかも、キジュンは「基」ではなくて、規則の「規」です。ここで明確なのは、このような規定をわざわざつくったということは、当時、公共用地の買収価格というのが、ややもすると正常価格を大幅に逸脱していたという証左でもあったのではないでしょうか。我々が公共用地を評価しているときに非常に困ったのはこの時期でございます。特に先ほど触れましたとおり、規制が緩くて安価でありました原野という名称の山林、ここが買いあさられまして、市街地の地価上昇率を山林の価格上昇率が唯一上回ったのはこの時期でございます。また、山林の公簿面積そのものは、実際面積の半分以下ということが、珍しくないです。縄延びと言っております。この辺のエピソードがいっぱいあります。
 今思い起こしてみますと、なぜかこの当時の取引規制、不動産絡みの規制と申しますのは、第1回目の地価高騰期よりもさらに腰砕けの感が否めません。常に後追い的で、魂の抜けたような規定が多かったように感じております。そして、地図の整備、公図整備に至りましては、まさに明治時代から、私の知識の中でもそれほど変わっていないところがございます。現在でも整備状態は、ほとんどまだよくなったとは言えないと思います。この当時の公図などいろいろな不動産関係についてお話ししたいのですが、今日はちょっと時間がありませんので、また別の機会があればお話ししたいと思います。次に進みたいと思います。
 エ 住宅用地の特例減額措置の問題
 48年は固定資産税の象徴的な年だということでお話ししました。
 ちょうど昭和46年のことですが、固定資産の評価基準に市街化区域農地という評価が追加されたのはご存じですね。市街化区域内の宅地並み課税が実施されたことは画期的でした。これはもちろんなのですが、私はそれ以上に実務担当者として驚かされたのが住宅用地の特例措置の導入です。これは昭和48年に課税標準額が2分の1になりました。それで、次の年に4分の1になったのです。小規模住宅用地、200平米というのができました。
 このとき、私が横浜市の主税部の固定資産税課土地係にちょうど異動した時期でございまして、農地が宅地並み課税されるというのはかなり政治的には大変だったのですが、実務家の私にとっては、時価評価ということでそれほど驚くことではございませんでした。しかし、税額が一挙に増額されました。当時、実務的に増税回避策の一例を紹介しますと、区画整理というのが非常に頻繁に行われておりましたので、区画整理が行われて上下水道完備の土地(「農地」?)に、クリ林が急に増えた。クリ林です。クリの「畑」です。まだ栗はできていません。4年物ぐらいですかね。林が急激に増えたのです。説明は不必要で、当然、皆さんご存じだと思います。納税者は庁舎近くで、連日、むしろ旗を持って騒いでいた記憶があります。
 しかし、逆に納税者が非常に歓迎した住宅用地の減免措置、これは実務家の私たちは、頭の中で非常に大混乱を来たしました。実はそれがいまだに尾を引いている課税誤り問題のもとでございます。課税明細書問題、これも課税誤りと連動して起こりました。後ほど、お話しします。それは結果として、納税者をだまし続けてしまうのではないかというおそれが私の頭にありました。私は50年代に入ってから、このことがほんとうに頭を離れられなくなっておりました。
 確かに縦覧という制度があります。ところが、今もそうかもしれませんが、当時はごく一部の土地所有者が利用していた程度でございます。50年代後半では、土地の価格が上昇したことがありまして、誤りは、増々過大になっていきます。このまま置いておいたら、ということで恐怖心を覚えまして、誤っている税額がこれは半端な額ではないのです。しかも、返済できる年限は時効で5年です。
 そこで思いついたのが、当時はやったカード会社から送られてくる利用明細書です。利用明細書を納税通知書に添付したらどうかなと考えました。少なくとも本人が確認できるのだからだましたことにはならないだろうということで、そして、当時の上司でありました主税部長に相談して、平成元年、横浜市では、課税明細書というのを初めて納税者へ送りました。これは議論がありまして、『課税明細書』にするのか、いや、『資産明細書』だろうと、縦覧のときに送らなければ意味がないだろうと。当時は、納税通知書を送ってしまってからでは審査申し出はできませんでしたから、そうですよね。そんな議論をさんざん重ねまして、最終的には「課税明細書」にしたのです。しかも、納税通知書の後ろにつけたわけです。
 それで、平成元年指定都市では初めて納税通知書に添付したのですが、発送したときは特に納税者からの反応は意外に少なかったんです。後ろまで見なかったのですかね。翌年、同じ、後ろにつけていたのですが、平成2年に滅失家屋の課税誤りの件で区役所でちょっとごたつきまして、それをきっかけに大々的に発覚して、既に皆さんご承知のとおり、平成2年に全国的な問題になりました『課税誤り問題』に発展したわけでございます。3日ほど報道対応等で寝ない日が続いた記憶がございまして、大変に苦労いたしました。皆様にも、ほんとうにご迷惑をおかけいたしました。
 それでは、なぜ恐怖心を持ったのかということでございます。その理由は地図が未整備で、まず
@ 建物と土地とが連動していないということです。どの土地の上に住宅用地が存在するのか、多くの土地で不明であったわけです。この当時は開発のスピードが速くて、現況宅地の調査もままならない状態でございます。それから、
A住宅用地の法律改正とその準備期間というのがほとんどありませんでした。半年もなかったと記憶しております。極めて短いということで、調査が可能でなかった状態もあります。次に、
B住宅用地であることの申請書提出を義務づけるということで法律になりましたが、これが実は逆効果になったのです。申請書が提出されなかった場合は住宅用地の適用はしなくていいんだと、そういう誤った実務担当者の理解も全国的に発生したわけです。非住宅用地のままで課税するということです。極めつけは、
C課税誤りの額が多額なんです。非住宅用地で課税されていた宅地というのは、小規模住宅であるということが判明した場合、これは商業地に適用しないとか、そんなものではないですよね。住宅用地ですから、銀座の真ん中でも同じです。これは横浜市でいいますと、少し少な目に言いますけれども、一納税者で数百万円を超えている方がいます。返済額が放置すればするほど雪だるま的に過大になっていくわけでございます。現在、課税明細書の送付が義務づけられるようになりましたけれども、横浜市における土地の課税誤りの額というのは、我々サラリーマンの住民税の諸控除誤りとはかなり違って多額でございます。類似した問題が発覚しないようにと祈るばかりでございますが、当時、そんなようなことがございました。
 当時、またもう一つ、担当者としてつらかったことですが、標準地の適正上昇率というのが、時価の上昇に比べてなぜか大体低く決まっているのです。これは私どもで報告書を県を通して国へ提出するのですが、理由を書く欄があるんです。その欄に、例えば売買実例価格が100万円で、固定資産税の評価額は30万円としますと、不正常要素は70%と書かなければいけません。その不正常要素というのは評価基準にもありますけれども、特別な事情がある場合ということでございます。しかし、100万円というのは特に不正常ではないというふうに実は思っていました。そこで、若気の至りで、不正常要素を地価公示の評価割合とし、例えば評価割合を50%と記載して提出したのです。そうしたら、県の職員が受け取れないということで、大分やり合いました。
 当時、評価場所も地価公示はころころ変わっておりましたし、実際的には固定資産税の分野では全く認められておりませんでした。当然だと思います。国では46年8月の「長期税制のあり方について」では、課税技術上可能な限り、地価公示との均衡を失しないような評価をしなさいということは形式的には言っておりましたが、特に実務家としてはあまり、地価公示なんかという、そんなような風潮があったことは事実でございます。
 横浜市では、昭和50年代の最初から、地価公示の評価割合ということで評価しております。証拠は拙書63年に出した『土地評価と課税の実務』というところで掲載しておりまして、既に51年度の評価要領に載っておりますので、それをご確認いただければ、証拠になると思います。以上、これが第2回目の地価高騰でございます。

(3)第3回目の地価高騰
 3回目につきましては、まさにプラザ合意以降のバブルでございまして、これは東京都心部から周辺住宅における投機的取引の増大から、かつて例を見ないバブルが発生したということで昭和60年代の出来事でございます。これについては特に説明を多くしなくても、皆さんは良くご存じだと思います。ちなみに数字だけ申し上げますと、土地バブルの典型をあらわすということで、東京圏の商業地の地価動向ですが、昭和61年が12.5%の上昇です。昭和62年が48.2%です。昭和63年は何と61.1%に及んでいるわけです。まさに積もり積もった無理が熱病のように一挙にあらわれております。固定資産税も連動して大増税になるんだという仕組みが確立されていれば、今も破綻をしないで、市町村は潤っていたのかもしれません。逆に、市町村では、いまだに土地の評価を時価に近づけることができていませんで、後遺症を深く残している状態になっているわけでございます。
 先に触れました戦後第2回目の地価高騰で、政府税制調査会が固定資産税の評価については、「課税技術上可能な限り、地価公示と均衡を失しないような評価をすることについて検討すべきである」と言いました。61年10月の政府税制調査会による税制の抜本的見直しについての答申でございますけれども、「土地の評価については、課税上の評価であることに加えて、固定資産税の性格にかんがみれば、その評価額が公示価格とある程度異なることになるのはやむを得ないという意見と、両者の間にはかなり大きな開きがあることから、この差の縮小を図る方向で努力すべきという意見もあった」と結んであります。けれども、地価公示価格によるべきか否か、この当時、地価公示価格のあまりの急上昇があり、果たして適正な時価を反映しているのかということで、各委員の中で、まだ地価公示に対してよるべきかどうかということで揺らいでいた事実がございます。
 そして、これまで2回の地価高騰を経験して、土地に対する施策は一向に上がっていない事実が露呈しまして、平成元年度の『土地白書』では次のことを言っております。「土地問題に適切に対処する上において、国、地方公共団体、国民等の間で、土地は社会性、公共性を持った財であるという共通認識が確立していなかったことが主な原因の一つになって、これまで各般の施策が講じられてきているものの、必ずしも十分な成果を上げてきたとは言いがたい状況にあった」として、反省を公にしております。この結果、平成元年12月に、ご承知のとおり、土地の憲法になる土地基本法が成立したわけでございます。土地基本法の第16条では、「国は、適正な地価の形成及び課税の適正化に資するため、土地の正常の価格を公示するとともに、公的土地評価について相互の均衡と適正化が図れるように努めるものとする」とされたところでございます。
 その後、固定資産税で、基準宅地等にかかる路線価の公開とか、7割評価の導入、それから不動産鑑定評価の活用がなされるようになってきたのはご存じのとおりでございますが、固定資産税の土地の標準地の評価についても、全面的に不動産鑑定士の方にお願いすることになりました。冒頭にお話ししましたとおり、私もちょうど平成6年4月から、自治省の資産評価室の課長補佐をしておりました。標準宅地の鑑定評価を全面的に導入しようということで、制度の導入を手がけたところでございます。ここに鑑定士の方がおられると思いますが、その際、鑑定士の方々にいろいろお世話になりまして、全国説明のためお話に歩きましたけれども、その節は大変お世話になり改めてこの席をおかりいたしまして、御礼申し上げます。
 既にご承知のとおり、不動産鑑定評価と固定資産税評価制度というのは大きく異なっております。不動産鑑定評価が点の評価であるのに対しまして、固定資産税のほうは面的で、大量一括評価という特徴がございます。標準地のとらえ方や状況類似地区など、地域区分の考え方の調整が極めて難しいと経験的に思っておりました。
 将来ですが、希望的観測を言えば、どちらの評価でも、宅地の評価でこの日本列島の都市がある程度成熟していきまして、固定資産税の土地評価制度が鑑定評価の技術を学んで成熟し、大まかな不動産の価格は固定資産税によれば間違いないんじゃないかというような時代が来ればいいかなというふうに思っております。皆様の宅地評価についても、適正化に向けての努力をぜひよろしくお願いしたいと思います。

(4)7割評価に至った若干の経緯
 時間がせまっていますので、固定資産税の評価を地価公示価格の7割評価にしようというようになった経緯を少しお話ししておきます。平成2年当時、急激な地価下落を予測した者は、だれもおりませんでした、と思います。固定資産税の基準年度が終了した段階で、基準宅地ベースで3.02倍でしたので、逆算しますと、地価公示価格に対して23%以下になっていたんです。ですから、かなり低い状態になっていた。これらのことを踏まえまして、平成3年の総合土地政策推進要綱で、近年の著しい地価高騰の中で、大都市地域を中心に地価公示価格に対する割合が低下していることもあり、平成6年度以降の評価替えにおいて、速やかに地価公示の一定割合を目標に、評価の均衡化、適正化を推進すべきであるとの意見が沸き上がってきたわけでございます。
 平成元年11月の参議院で開催されました土地問題に関する特別委員会の会議録を見ましても、これは質問で「基本的には土地ではもうけにならん」と、これが質問要旨です。「投機の対象にならんというような考え方、そういう意識を徹底させるような税制というものを模索しなければならないと思うがどうか」。あるいは、土地評価の一元化問題でございます。「これはいろいろ衆議院でも議論もあったと聞いているが、なかなか無理があるんじゃないか」と。
 それに対して答弁は、「税制につきましては利益に応じた適切な負担を基本理念といたしておりまして、投機的取引の抑制はもとより、土地の資産としての有利性をできるだけ減殺するようなスタンスというのが求められるのではないか。地価公示価格と固定資産評価額とを一元化することは目的、性格も異なりますし、不可能ではないかというように考えております。相続税の評価に当たりましては、一般的な商業取引の評価に比べまして、相当かた目の評価をしていく必要がある。こういったことで、地価公示価格との関係では、大体7割ぐらいのところをめどに評価しておるというふうな事情がある」と答弁しております。最終的に地価公示の具体的な7割評価の数字が出てきますのは、平成3年12月の政府税制調査会の答申文を待つことになるわけでございます。その後に7割という表示が出てございます。以上が、第3回の地価高騰期のお話でございます。

3.戦後の土地評価のあり方と議論の経緯

(1)横浜市の取組み
 それでは最近のお話に戻したいと思います。固定資産税評価の共同化、集約化の横浜市の取り組みを紹介させていただきます。平成17年度、本市の主税部の運営方針は、私が主税部長をしておりましたときに大規模家屋の固定資産評価のあり方検討会というのを掲げまして、固定資産税にかかわる土地家屋の評価に関して一層の適正化を確保するということで、大規模家屋の評価、全市的、広域的視点からの土地の評価のあり方について、平成17年度中に集約化等の検討を行うということにいたしました。
 現在の固定資産税評価は複雑でわかりにくいという仕組みになっておりまして、近年、職員の人事異動の期間が短くなり、今後、団塊の世代が相次いで退職することなどからも、評価スキルやノウハウを蓄積、伝承しがたい状態になっているということがございます。特に土地の広域的評価は、区役所単位の執行のみでは困難な状況が現出しつつあります。そこで、評価の一層の適正化と均衡化ということはもとより、区役所間の不均衡、それから一件一件の困難案件を機動的に対応し、固定資産税業務の効率的な運営、税務行政の効率的等を図ることが急務になっているということで対策をとろうということです。
 横浜市の現状をお話ししますと、家屋の評価では木造家屋に比準評価方法を導入しておりまして簡素化を努めているんですけれども、大規模非木造家屋、これは一般的には5,000平米以上を指すと思いますが、とりわけ5万平米を超えるような巨大な非木造家屋でございますが、見積もり等の精査で多くの時間を要したり、非常に複雑で煩雑なものになっております。これらの評価は当然、固定資産評価基準と、それに基づく本市の評価要領で行っているわけでございますが、その具体的運用において、各区において必ずしも完全に統一されていない面がありました。なかなか発見しづらいということです。
 また、土地の評価では、縦覧制度というのは他の価格と比較可能になっておりますけれども、情報公開とか責任説明の要請が高まっておりまして、一層の適正化、均衡化を求められております。加えて、土地の価格形成要因が必ずしも行政区単位でまとまっているものではなくて、土地の代替競争関係が成立して、価格の相互に影響を及ぼすような関係にある圏域、同一需給圏でございますが、例えば駅前の商業地だとか大規模工業地等に、本来、行政区域を越えて価格バランスを検討する必要があったわけでございます。
 さらに本市では、特に土地と家屋それぞれに特有の問題として解決しなければならない、家屋の課題があります。特に大規模非木造家屋において、昨今、郊外型の大規模店舗が出現するなど、評価体制が十分でない少人数職場でこれらの評価に対応せざるを得ないということで、現行の区単位の評価体制では不十分なところがあります。早急に大規模非木造評価の組織体制を構築する必要があったということでございます。
 それから、土地のほうは、市内全域を評価対象とした評価で、画地評価による、区役所単位のきめ細かい評価体制が要請されるというのですけれども、全市的な価格バランスを確保しようというときに、均衡化を確保する組織的仕組みが改めて必要じゃないかということで、広域的評価をきちんとしたいということでございます。
 私どもでも、現在、県等含めて、広域的に一括して共同評価したらどうかというようなことを視野に入れまして、神奈川県とも働きかけを行っております。いずれ県か市町村が参加しまして、固定資産評価及び審査申し立ての共同化など、新しい固定資産税評価の運営形態等ができないかどうかも研究して、信頼される固定資産税評価を目指したいということを夢に思っているわけでございます。

(2)滞納整理の取組み
 時間がありませんので多少ちょっと飛ばさせていただきます。実は滞納整理のお話もちょっとしたいと思ったのですが、滞納整理につきましては、私ども横浜市でいろいろなことをしております。インターネット公売とか捜索等をやっております。これはなぜ重点的に取組んだかというのは、先ほど冒頭にお話ししたとおり、税源移譲を見据えて、早急に手をつけなければならなかったからであります。
 私が主税部長に就任した当時は、未だ93.0という低い収納率だったのですが、私は4年間いましたけれども、滞納整理強化をすぐに手がけまして、現在96.5を目標とするところまでいっております。6,677億で7,000億弱の税収でございますので、1ポイントが70億になりますから、3.5ポイント上げるということは、計算上、245億円になります。
 ですから、徴収率を上げるということ自体がどれだけ大切なことかということです。19年度からの税源移譲等による増税で、かなり問題になったときに、納税者に対して滞納強化対策を行うことを宣言するよりは先に取ってしまったほうがいいわけですから、それはやらなければいけないのです。ただ、できれば為政者の方、特に知事や市長はリーダーシップを持って、いろいろな圧力がある関係団体がありましょうけれども、そういう人たちにめげずに頑張ってもらいたい。税務のトップも市長に対して、陣頭指揮で徴収対策のリーダーシップを執って欲しいことを言っていただければ、ありがたいなというふうな感じを持っております。
 いろいろな徴収関係の悪質納税者の話も、時間があればお話ししたいと思ったのですが、まもなく終わりになりますので、最後のお話に移りたいと思います。

4.市町村税の今後の課題

 市町村税の今後の課題でございます。市町村税の、特に固定資産税と市民税の現行の仕組みについては、都市化の進展等によりまして、特に指定都市等では徴税経費が国税に比べて多大になっていると思います。簡素化とIT化が急務でありまして、まさに転換期に来ているんではないかと思います。本日の主要課題ではありませんが、市民税の現行システムは結構むだがあると思います。現年課税の導入など、抜本的な改正が必要じゃないかなと思っております。
 固定資産税の評価については、既に共同化のところで触れましたように、効率化、効率的な評価システムの導入がこれは不可欠ではないかというふうに思います。課税のシステムにつきましては、土地はとにかく評価額課税に早く戻すべきだと思います。それから、税源移譲後、19年以降は、市町村の徴収事務がこれはかなりきつくなると思います。今、いくつかの県では機構等をつくって県が主導で徴収対策を実施しておりますが、今こそ真の地方分権が試される時期がやってきたのでございます。議会と行政責任者は、まさに勇気ある行動を期待したいと思います。
 最後になりますけれども、IT化の伸展化に伴いまして、土地、家屋の評価システム、それからGIS、地図情報システム等の近代化、これがもたらす社会的、経済的な意義は非常に大きいものと考えております。地方税の賦課方法、それから徴収機構の整備、住民サービスや効率化等の観点から、これはすべて検討が急務になっております。その理由は、現行制度における地方税、特に市町村税の基幹税目が全て賦課課税になっており、戦後半世紀を経た今、時代の変化に適切に対応できていません。市民税は現年課税化、固定資産税は評価・課税の簡素化が急務であり、徴税経費が不必要に過大となっている現状を早急に改めるべきです。もう一度言います、戦後のシャウプ勧告以来、賦課課税になっていますので、基本的な仕組みはほとんど変わっておりません。国税に比べまして、格段と徴税経費が市町村に重くのしかかっています。簡素化が求められます。
 今日ご出席の皆さんはまさに市町村で担当されております。「知恵は草の根に宿る」というふうな言葉もございます。今こそ、全国の関係者諸氏の積極的な行動が望まれます。私も40年代から地方税に携わっておりまして、激動を経験しました。新しい時代は、ここにいる皆様が改革の精神を引き継いでいただけるということを希望いたしまして、お話を終わりたいと思います。拙い話でございましたが、ご静聴どうもありがとうございました。