評価センター資料閲覧室

第12回 固定資産評価研究大会概要 固定資産税の行く手を考える

30周年記念講演

「固定資産税の行く手を考える」

 

 
  日本消防検定協会顧問
  矢 野 浩一郎
 
 

 はじめに
○ 人口エネルギーの下降化に向き合う日本社会
総人口減少時代への突入
127百万人(2005年)→111百万人(2035年) 16百万人減
2005年の86.6% 39道府県がこの率以下、うち19道県が80%以下に落ち込む。人口活力の面から地域格差増大。
2046年に1億人を割る見込み
少子高齢化の進行
65歳以上老年人口 12.1%(1990年)→21.5%(2007年)
14歳以下若年人口 18.2%(1990年)→13.5%(2007年)
老年人口が30%を超えるのは2023年の見込み
○ 人口エネルギー下降化に伴う土地利用の活力低下
土地利用に対する総需要の減少
農耕地の減少
農地総面積 557万ha(1975年)→470万ha(2005年)
耕作放棄地 38.6万ha
農業をめぐる国際経済環境の変化 農業従事者の減少と高齢化(65歳以上約4割)
宅地の動向 成長期及びその後を通じ拡大を連続
124万ha(1975年)→170万ha(1995年)
20年間で45万ha増 この間の人口増加率13.4%
→185万ha(2005年)
10年間で15万ha増 この間の人口増加率1.8%(ほぼ横ばい)
このような宅地の空間的拡大 ⇒ 大都市圏の商業施設・ベッドタウンの広がり、全国各地の工業生産拠点の整備、地方圏の小都市・町村における道路の整備やマイカーの普及に伴う生活居住空間の充実等の実需のほか、バブル期の投機的需要
伸びきった宅地空間の拡大 ⇒ 負の現象の発生
地価の連続的な下落傾向
土地取引の不活性化(取引事例の現象)
長期間利用休止・放置される宅地の増加
○ 総人口減少時代に対応する政策と土地利用の方向転換
少子化への歯止め・地域間格差増大の防止策等
不可避とされる人口減少傾向の下での地方圏対策
コンパクト・シティ型の街づくり⇒都市機能の集中化
生活共同体機能維持のための集落再編成
宅地の拡散の方向から宅地利用の集約化の方向への転換
「土地余り現象」へのメディアの論調
総人口減少時代の国土利用のグランド・デザインの必要性
地方圏における新たなタイプの公共事業としての土地利用策の検討
○ 資産保有に対する国民の価値観・意識の変化
21世紀世代の国民階層の「土地離れ」傾向
不動産志向から金融資産志向へ
「土地神話」から「マネーパワー信仰」へ
次世代国民層の不動産に対する意識
安定した交換価値の重視よりも生活活動の現実に即した使用便益価値の重視
○ 社会の潮流の変化と固定資産税
総人口減少時代の土地利用をめぐる状況変化・不動産に対する国民の意識変化は固定資産の評価と固定資産税の行く手にどのような影響を及ぼすか
地価の下落傾向と取引事例減少傾向の中で納税者の理解が得られる宅地評価
⇒使用収益価値・宅地利用の状況の相違による価値の差等具体的現実性を反映する評価方法への指向
今後納税者の関心が高まってくると思われる家屋の評価
⇒納税者の具体的な資産価値意識に明快に結びつく評価方法への指向
例えば実務的には種類・質に応じた単位面積当たり建築価格による評価とし、現在の精緻な手法による再建築価格はその評価の根拠及び妥当性を検証する基準として存置する方式など。
税源としての固定資産税の未来状況
土地・家屋に係る固定資産税の比重の変化
国民的見地に立った成熟社会における公共的土地利用政策の推進とこれに見合う準固定資産税的な新しい土地
税源創設の検討
結  び

(講演のレジュメ)  

 

はじめに

 矢野浩一郎でございます。
 今回は、主催者である資産評価システム研究センター創立30周年という記念すべき年の大会に当たりまして、その冒頭に皆様方にお話しをせよというご依頼をいただきまして、まかり出ました。私ごとき者を、こういった大変名誉な役割に起用していただいたことをまことに恐縮に存じております。
 お見かけのとおり、今年の4月から新しくできました後期高齢者医療保険の一角に組み入れられて、心身の老朽化がとみに進んでまいっておりますが、今日は、長い間おつき合いをしてまいりました固定資産税制が、これからの日本にやってくるさまざまな大きな変化の中で、どんな道をたどっていくかということについて、いわば近未来的な角度から、私なりの考え方を申し上げてみたいと思います。
 年をとりますと、だんだん話がくどくなって、同じことを何遍も言ったり、あるいは支離滅裂になったりいたしまして、皆さんにご迷惑をおかけするおそれがございます。そのことを心配されました事務局側のサジェストもございまして、これから40分間の間、私が申し上げようとすることの骨子は、レジュメ(P.2)にいたしましてお配りいたしましたので、それをご覧いただければ、今日私が申し上げることの要点はおわかりいただけると思います。
 皆様方のご期待に添えるような立派な内容を備えたお話には到底なり得ないところでございますけれども、いわば、この年寄りのたわ言とおぼしめしをいただきまして、しばらくの間、皆様方のお耳を汚すことをお許しいただきたいと思います。

1.総人口減少の時代に突入する日本社会
 それでは、第1に考えてみたいのは、我が国が、これから総人口減少の時代を迎え、あるいは少子高齢化のさらなる進行が見られるといったような大きな構造的な変化が進む中で、固定資産、とりわけ土地の空間的な利用に、これからどんな変化が生じてくるだろうかということであります。
 西暦2000年の国勢調査の結果を踏まえた予測によりますと、我が国の総人口は2007年から減少に向かうと見込まれておりましたけれども、実際には、それよりも2年早く、2005年、つまり、その次の国勢調査の年から減少に向かうことになりました。
 この総人口は、その30年後の2035年、すなわち平成47年には今よりも1,600万人減少します。
1億2,700万人から1,600万人減って、1億1,000万人になり、現在の86.6%にまで減少するという推計がされております。いわゆる総人口減少の時代に突入をするわけであります。
 さらにまた、総人口が1億を切るのは、その約10年後、2046年と見込まれておりまして、この年には9,938万人になる。9,900万人台にまで人口が減るというように推計されております。
 さらに、申すまでもありませんが、このような人口減少の状況には、地域によって大きな差があります。つまり、国内では3大都市圏と地方拠点都市に向かって、それ以外の地方圏からの人口の移動が、かなり大きなウエートを占めてくるからであります。
 その結果、国全体では、先ほど申し上げたように、現在の86.6%に減少するわけですが、そういった人口移動の結果を地域的に見ると、人口が増え、あるいは、この86.6%以内の減少にとどまるという都道府県は、たった8団体にすぎません。残りの39の道府県は、すべて、この86.6%を下回る減少率になります。一番低いところでは68.3%、80%を割るのが19道府県に達します。つまり、人口動態の面で、非常に大きな地域格差が生じてくるという予測が行われております。
 また、御多聞に漏れず、65歳以上の老年人口の割合が、これが1990年の12.1%から2007年には21.5%に増加し、逆に、14歳以下の若年人口の割合は、これと同じ期間に、18.2%から13.5%に低下します。
 また、65歳以上の老年人口が30%を超えるのは、最初は2033年と見込まれておりましたけれども、最近の予測では、これより約10年早まって、2023年には65歳以上の人口が30%を超えるという予測がなされております。

2.人口エネルギーの下降化に伴う土地利用の活力低下
 このように下降線をたどる人口エネルギーの将来方向は、いずれにしても、それが土地利用に関する総需要の減少につながることは否定できないと思います。
 そのことが最も早く端的にあらわれているのは、ご承知のように、農地についてであります。
農地につきましては、その総面積が、昭和50年すなわち1975年には557万haでありましたが、それが、30年後の平成17年(2005年)には470万haにまで減少しています。しかも、そのうち耕作放棄地と呼ばれるものが38万6,000ha。3,860平方キロあります。大体、埼玉県の面積とほとんど同じ面積の農地が耕作放棄地になっているという状況にあるわけです。
 これは、農業をめぐる国際経済環境の変化とあわせて、やはり、農業従事者の急速な減少と高齢化によるところが大きいことは言うまでもありません。
 ちなみに、65歳以上の農業就労者の割合は、現在、約4割であります。2006年で全就労者の37.8%というかなり高い割合が、お年寄りによって占められておるということであります。
 農耕地は、そういうことで、最も早く、そういった人口減少の影響が出てきておるわけでありますが、一方、宅地のほうはどうなのかというと、国土の中の宅地は、高度成長期あるいはバブル経済の時代を通じて、ほとんど一貫して、どんどん増え続けてまいりました。1975年――昭和50年――の124万haから1995年までの20年間に45万ha増えて、170万haにまで達しております。これは37%の増加率であります。
 ちなみに、その間の人口増加率は13.4%。人口13%の増加に対して、宅地のほうは37%増えてきておりますが、さらに、その後、2005年までの10年の間に、この間の人口増加率1.8%に対して、宅地の面積は、15万ha、9%増という数字を示しております。
 このような宅地の空間的拡大の中には、ご承知のように、バブル時代の投機的な目的によるものも含まれておりますけれども、その大部分は、大都市圏におけるベッドタウンの広がり、あるいは昭和30年代から40年代にかけて、全国各地で行われました工業生産拠点の整備、いわゆる新産都市、工業特別地域と言われたような工業生産施設の拠点施設の整備。あるいは地方圏の中小都市・町村における道路の整備とマイカーの普及などに伴う生活居住空間の広がりとその質的向上といった理由に基づく旺盛な実需要によってもたらされたものと言うことができます。
 しかし、総人口減少時代に突入したこれからの社会経済状況のもとでは、このように、いわば限度いっぱいに伸び切った宅地空間の利用には、次第に変化が出てくるものと思います。
 土地は、もとより代替性がきわめて少ないものであり、また、移動のきかない物財でありますが、しかし、それにしても、人口増加がほとんどない、年率ゼロ%台に低下した時代に入っても、なお10年間で9%も増加を続けた宅地は、総量としては、既に供給過剰の状態に達しているということが言えるのではないでしょうか。
 しかも、経済のグローバル化に伴いまして、国内の物づくり機能が、次々に東アジア地域などに移転をしていくという動きも、こういう状況に拍車をかけることになっておると思います。
 こういう宅地の供給量が限界に達しますと、それを超えるということになりますと、これに伴って、幾つかのマイナス的な現象、「負の現象」が出てくることとなります。
 その一つは、言うまでもなく、地価の連続的な下落傾向であります。バブル崩壊後の急激な地価の下落がありまして、その後、一時は大都市圏の都心部の一等地を牽引力としながら、地価がやや持ち直しを見せるという現象と見られましたが、近年は、公示価格、路線価、あるいは都道府県地価調査のいずれを通じて見ても、3大都市圏や地方拠点都市の条件の非常にすぐれた地区を除けば、総じて連続的な下落方向に転じてきております。特に地方圏では、長期的な地価の沈下現象が強く示されておるようであります。
 これは、単に景気の冷え込みとか、あるいは地価の過熱状態・土地取引の過熱状態の鎮静化といったような一時的原因によるものではなくて、やはり、構造的な地価の低落化現象だと言うことができると思います。
 その2つ目は、土地取引の活力の低下の傾向、あるいは不活性化ともいうべき現象が顕著になってきているということです。
 ご承知のように、我が国の場合には、土地取引については、株式売買とか商品取引のように市場が整備されておりませんので、はっきりと目に見える形で示されているわけではありませんが、総人口の減少や生産施設の海外移転などは、明らかに土地に対する需要を減少させ、それが、土地取引の減少そのものをもたらすことになっております。
 この傾向は、地方圏において著しくて、地方の小都市などでは、年間を通じて、本当に数えるほどしか土地の売買取引事例がないというような話も聞きます。
 このような土地取引の不活性化の方向は、当然、土地の価格形成に少なからず影響するわけであります。正常な取引価格を基盤とする固定資産税の土地評価をどうするかという問題とも向き合う必要が、出てくると思われます。これからの検討課題の一つになってくるでしょう。
 3つ目は、総人口減少に伴う土地需要の減少の時代において、これからは、宅地の中にも農地の耕作放棄地に当たるような長期間利用休止地、あるいは管理放棄地というような利用・活用されない宅地が増加する可能性が小さくないということです。
 地方圏の人口減少や高齢化が進んだ地域などでは、無人化した住宅地、あるいは放置されている空地が増加してきておるようであります。大都市圏の周辺都市などでも、近年は、建物が建ったままで相当長い間利用されていない土地が、時々目につくようになってまいりました。
 このように、相当な期間にわたって、現実に使用収益されていない宅地というものをどう見るか、その価格をどう考えるのか、また、固定資産税の強化の上で、あるいは課税の上で、どう取り扱っていくのかといったようなことも、これからの一つの課題になってくるのではないかと考えます。

3.総人口減少の時代に対応する 政策と土地利用の方向転換
 このような総人口減少の趨勢に対応して、政府も懸命にいろいろな政策を講じようとしておるわけであります。特に出生率の向上には少子化対策として最も力を入れておるわけでありますが、しかし、出生率をある程度引き上げることはできても、人口減少自体を止めることは、もはや不可能の状況にありますので、今後、人口減少や高齢化の進行が著しい地域、大都市圏との地域活力の格差が大きく広がりつつある地方圏においては、地方自治体と協力して、住宅地の郊外への拡散をできるだけ抑え、そして、市街地の中心に近いエリアに住宅地を配置する一方で、行政機関、商業施設、医療福祉施設、生活サービス施設、あるいは文化教養施設などのいわば都市機能を、その住宅地の近くに集中化していく、そして、住民の利便性を高めようという、いわゆるコンパクト・シティ――ドイツあたりで、まず始められたといわれる――、そういうコンパクト・シティ型の街づくり計画が、これから進められようとしております。
 また、農山村とか漁村地区で、定住者の漸減によって生活共同体としての機能を維持することが難しくなってきたというところでは、移転、移住をも含めて、点在する集落の再編成を図るなどの施策も、これから展開されそうです。
 ただ、いずれにしても、このような人口減少時代の地域の生き残りを目指す政策においては、かつての高度成長期のような開発整備促進による宅地の拡散の方向から、宅地利用の集約化の方向への転換が見られることは疑いありません。それはまた、人口減少社会における「土地余り現象」を広げるということにつながると思われます。
 最近は、マスメディアの論調の中にも、人口減少社会に突入した日本は、これから土地余りの時代を迎える可能性が高いということを指摘し、それならば、下落方向に向かって安くなっていく地価を活用して、高齢者に優しい街づくりや豊かな住空間づくり、あるいは耕作放棄地を減らして、強い農業を育てるための農地政策などの諸施策を展開せよという主張が見られるようであります。ごく最近にも、例えば朝日新聞の社説などで、このような論調を見ることができます。
 こういった議論は、現在はまだ、いわば机上の議論でありまして、それはそれなりにうなずけるわけでありますけれども、現実には、人口減少による活力低下の著しい地方圏の市町村では、こういった政策を民間活力依存で行うことは、おそらく困難であり、ここは、やはり、政府主導の強力な施策が必要になってくると思います。
 特に地方圏の地域活力の再生を図るためにも、総人口減少時代の国土利用のグランド・デザインのもとに、今までの道路事業とかダム事業というようなものに代わる新しいタイプの公共事業として、例えば、国民の健康や体力づくりの向上のための簡素な施設のついた国民運動場、国民スポーツ広場というものを全国的に大規模なネットで整備を図るとか、あるいは海外からの労働力の移入、あるいは国内からの転業の希望者などの受け入れも含めた先端的な農林漁業施設の整備など、公共的あるいは準公共的な土地利用政策を全面的に打ち出すということが必要になってくるのではないでしょうか。
 国家政策として、国民全体のために、国益のために、そういった施策の展開が、これからの状況の下での「土地」というものをめぐって真剣に検討されることが必要になってくるのではないかという気がいたします。

4.資産保有に対する国民の価値 観・意識の変化
 さて、人口減少時代の土地の需要と利用に対して及ぼされるさまざまな影響を申し上げましたが、もう一つ、社会変化の波が、固定資産税や固定資産の評価に及ぼす影響の第2として挙げたいのは、資産保有に対する国民の意識、特に次世代国民の意識と言ったらいいのかもしれませんが、21世紀世代国民の意識あるいは価値観に、かなり変化が出てきているということであります。
 知人の弁護士さんにお話を聞きますと、最近では、ある程度の資産を持った親の遺産相続に当たりまして、相続人がこれを分ける場合には、土地とか家屋敷を嫌って、定期預金とか、あるいは公債・社債・投資信託といったような金融資産、ないしは市場性のある動産の取り合いになる傾向が強く、そういう現象が多くなってきているようであります。
 弥生時代この方、農耕民族としての日本人のDNAの中に深く刻み込まれてまいりましたのは、親子代々受け継いできた土地に対する強い執着でありました。土地を大事にするという大方の日本人に共通するそういった意識は、戦後の高度成長期経済と結びついて、土地を資産保有手段の第一とし、とにかく土地さえ持っておれば、値上がりも期待できるし、借金の担保にもなるし、いざというときに何とでもなるという土地に対する絶対的信仰を生み出しました。いわゆる「土地神話」の誕生であります。その神話が、一時、個人も法人も挙げて土地買いに狂奔をするという1億総不動産屋と称されるような投機的な風潮を広げたことは、今日なお、記憶に新しいところであります。
 しかし、そういった土地投機の頂点で襲ってまいりましたバブル崩壊の衝撃は、「土地神話」にも痛烈な冷や水を浴びせかけ、そして、土地という資産の保有に対する国民各層の意識価値観を大きく変化させる動機をもたらしたと言うことができるでしょう。その結果として、最近では、国民の次の世代の階層に、一種の「土地離れ」という傾向を生み出しつつあるように思います。マイホームの取得にいたしましても、以前は、郊外の土地つき・庭つき一戸建て住宅が理想とされましたが、最近では、それよりも、むしろ、駅や商店街に近い、生活に便利なマンションへの志向が多くなってきていることも、これをあらわす現象だと思います。
 このような傾向は、21世紀世代の国民階層は、資産運用の手段としては、動きの不自由な不動産よりも、弾力的に動かせる金融資産を第一に考える、すなわち、「土地神話」から「マネーパワー信仰」へ移っていくことを意味していると言うことができようかと思います。それは、物づくりによる成長が鈍化した成熟社会の一つの方向なのかもしれません。
 そして、これからの世代の国民層の不動産に対する意識は、安定した交換価値を持つ資産の保有を重視するという考え方よりも、むしろ、自分たちの生活や社会経済活動の現実に即応した使用便益価値を重視する、そういった観点から資産を保有するという考え方に向かっていくのではないかという気がします。このような時代の風潮は、これからの固定資産の利用・活用の形態、あるいはその評価のあり方、また、税源としての固定資産税の将来にも、いろいろな状況の変化をもたらしてくるものと考えられます。

5.社会の潮流の変化と固定資産税
 それでは、このような総人口減少の時代の土地利用をめぐる情勢の大きな変化、不動産というものに対する21世紀世代の国民の意識の変化は、我々の関心の対象である固定資産の評価や、あるいは固定資産税の向かう行く手に、どんな状況をもたらすことになるのでしょうか。いささか、独断と偏見の嫌いがあるかもしれませんが、私の思うところを端的に申し上げてみたいと思います。
 その1は、総人口減少、土地需要の低落という時代の流れのもとでの宅地評価の今後をどう見るかという問題であります。人口や土地利用の動態的活力が引き続いて維持されておる3大都市圏や地方拠点都市を除く地方圏の大部分の中小都市や町村においては、定住人口の減少や土地取引の沈滞化が、今後さらに進んでいくと考えられますが、そのような状況の中で、納税者と課税機関の双方が、土地の評価について、同じ土俵・同じ舞台の上で対等にモノが言え、互いに理解し合える共通の物差しとして目指す方向は何かというと、それは使用収益の現実性・土地利用の現況に即した具体的妥当性をより重視する方向にあるのではないかと思います。
 地価公示価格の一定割合を目標として、土地評価の均衡化を目指す土地政策の基本方針は、固定資産税の分野では、全国40万地点の標準宅地についての鑑定評価を実施に移しました。その手法は、取引事例比較法を基本に置きながらも、収益還元の方法などもいろいろ工夫検討して取り入れていくなど、「適正な時価」、すなわち正常な条件のもとでの売買価格を求めるための、より精緻な手法に進化を遂げてきたというふうに聞いております。
 ただ、一方で、多くの地域で取引事例の件数が減り、その密度が低下し、土地需要が減少し、あるいは利用されない宅地の増加が顕著になり、また、そういった現象の地域間の差も出てまいりますと、一体、正常な条件とは何かということを見きわめることが、なかなか難しくなり、評価の結果と納税者の地価に対する直感的な感覚との間に、ずれがだんだん大きくなってくる可能性があります。そういった乖離の拡大を防ぐには、やはり、状況の変化に適切に対応する土地利用の現実性、あるいは個別具体性への目配りのきいた、よりきめの細かい評価の手法が必要になってくるのではないでしょうか。地価の大幅な低下現象の発生に伴って近年行われるようになった「地価の下落修正」というようなやり方も、まさに、そういった現実重視の方向の一つではないのかと考えます。
 その2は、家屋の評価についての未来図をどう描くかということであります。特に専用住宅を中心に考えてみますと、現在用いられておる再建築価格による評価方式は、世界に冠たる精緻な手法であることは間違いないのですが、しかし、余りにも複雑過ぎて、先ほど申し上げたような納税者と課税機関との双方が相互に理解し合える共通の物差しになりにくいということは、これまで、さまざまな機会に指摘されてきたところです。
 これから、土地神話の時代が過ぎて、固定資産税に対する納税者の関心が、次第に家屋の税負担に移ってくると考えられます。これに対応する家屋評価の簡素合理化の向かうべき方向は、結局、納税者にとっての分かりやすさということであり、若干、理屈っぽく言うならば、生活活動資産の利便性、快適性に対する所有者としての価値意識や満足感の度合いと明快に結びつくような評価方法ではないかと思います。
 そういう意味で、考えられる選択肢の一つは、従来からも言われておりますように、実務的には、やはり、住宅の種類等に応じた単位面積当たりの建築価格を用いる評価方式ではなかろうかと思います。
 そして、現在用いられておる再建築価格による方式は、住宅以外の家屋に対して適用するほか、住宅については、簡素化された実務的評価基準の基礎となるべきデータ及びその正当性を常に検証する基準として、引き続きその機能を保持するということを考えてみてはいかがかと思います。

6.税源としての固定資産税の未 来状況
 次に、分権社会を支える地方税源としての固定資産税の行く手を、今後10年〜20年の近未来的タームで考えてみますと、所得課税や消費課税が、めまぐるしい内外の景気変動の影響にどう対応していくかという問題を常に抱えるのに対して、固定資産税は、今後の我が国社会の構造的変化をどう耐えしのいで、大事な税源の実質を維持していくかという課題と向き合うことになろうかと思います。
 特に、土地に係る固定資産税については、既に述べたように、今後、人口減、公共施設利用の効率化、エネルギー費用の増加等に伴う土地利用の集約化が進むにつれて、土地利用面積の減少と地価水準の低落が続くならば、それは、固定資産税収入そのものの減少の傾向につながるでしょう。いわゆる固定資産税の負担水準の均衡化の方策は、税収入減にある程度のブレーキをかける効果はあると思います。ただ、負担水準の均衡化については、公平の理念の追求ということが大変大事なことでありますが、これからの経済情勢とか、あるいは納税者一人当たりの土地に係る固定資産税の税負担額増加の地域差、つまり人口減の進む比較的地方圏の自治体で一人当たりの土地の固定資産税の増加が大きくなってきつつあることなどにも慎重に留意をしながら進める必要があろうかと考えます。
 他方、家屋に係る固定資産税のほうは、土地と比べまして、ある意味では堅調であります。平成6年度を基準として同18年度までの指数を見ても、土地のほうは平成11年度をピークにして、だんだん収入が減少しているのに対し、家屋のほうは、3年ごとの評価替えの波動を見ても、堅実に、若干の増加を示しております。これは、都市圏も、地方圏も、あまり変わりません。家屋に係る固定資産税は、人口の減少を示す地方圏でも、引き続き新しい家屋建築への需要があるようです。その理由は、結局、今日の国民階層の感覚が、日進月歩の科学技術の革新あるいはエコロジーなどの新しい価値観のもとで、施設構造や生活設備が古くなって陳腐化した住宅にずっと住み続けることを好まず、より新しい近代的な便利さ、快適さを持つ居住空間への絶えざる志向を続けることにあるのだと思います。
 このような観点から見ると、居住施設というのは、結局、地域社会の究極のとりでだと思います。固定資産税収入の上でも、土地に対して家屋の相対的比重が高まってくるでしょう。そういう意味で、今後の住宅政策や住宅に関する税制の扱いというものは、大事にしていく必要があるということを申し上げておきたいと思います。
 最後に、固定資産税の近未来的な状況展望の一つとして、これは私自身の勝手な構想でありますが、先ほど、これから特に地方圏において進んでくると思われる「土地余り現象」を踏まえた国家の基本的な政策として、国民全体の見地に立った国土利用のグランド・デザインのもとに、道路建設などに代わる新しいタイプの公共事業としての公共的土地利用の方策を実施に移すべきだということを示唆いたしましたが、その公共的利用の対象となる土地、いわば事実上管理が放棄され、あるいは長期にわたってほとんど使われていないような空き地などに対しては、これを一定の方向で公有化していくと同時に、それが国民的な見地からの公共的な目的に用いられる場合には、その土地については固定資産税収入はもちろん得られないわけでありますから、これに代わるべき新しい土地税源を所在市町村に付与するという方策を考えてみてはどうかという気がいたします。例えば「公共的土地利用交付金」といったような名称の土地税源です。できれば、数千億円ないし1兆円ぐらいの規模で、こういった方策を思い切って、これからの日本については考えてみてはどうかなという気がいたします。
 地方交付税を包括的に増やして、財源の貧弱な市町村の収入を充実させるということも、もちろん大事なことでありますけれども、そういった方法だけでなくて、やはり、こういった具体的な土地利用政策などと結びつけた新しい財源制度を付与するということが、むしろ、地域活力の再生につながるのではないかという気がいたします。一つの提案として申し上げておき
たいと思います。

結び
 以上、これから固定資産税の歩んでいく方向をめぐって、年寄りの妄言ともいうべき取りとめもないことを申し上げてみました。
 最後に、締めくくりとして、蛇足ながら、最近気になることを一言申し添えておきたいと思います。それは、近ごろの国の政策や行政制度の実施を決めていく政治のシステムの運営において、国民大衆の直接意思、すなわち民意の具体的・直接的な動きを重視するという潮流が極めて強くなってきたということであります。これは、民主主義社会の成熟過程の一つの段階と考えるべきものなのかもしれませんが、そういった状況は、例えば、ご承知の後期高齢者医療制度をめぐる最近の政治行政の混乱によくあらわれておると思います。この制度が、審議会での有識者の十分な議論や国会での慎重な審議を尽くして成立したのは、一昨年の10月でありました。そして、対象となる高齢者たちが強い反発を示したのは、自分たちの実生活の上でこの制度の実施に直面することとなった、今年の4月になってからであります。制度ができ上がってから1年半後のことです。それから後の政党と行政機関の対応ぶりは、ご承知のとおりでありまして、最近では、できたばかりのこの制度、実施に入ったばかりのこの制度の廃止すらも検討の視野に入っているようであります。制度設計に至るまでの時間をかけた論議、あるいは2年前の国会での議決は一体何だったのかという気がいたします。
 かつての高度成長や構造改革の時代のように、政府の官僚たちの知恵、あるいは各界のすぐれた有識者たちの識見と論議を土台としてつくり上げた制度は、これからは、それがどんなに優れた、正しいと思われるものであっても、国民の間に果たして定着するかどうかは分からないという時代になってきています。
 これからの行政制度の点検とか改革については、物事を国民各階層の感覚で理解をする、その立場に立って理解をする、あるいは国民の目線で物事を見る、そういった感性を、もっともっと研ぎ澄ますことが必要になってくるのではないでしょうか。この点は、税制に関しても全く同様に当てはまることだと思います。
 時代の環境の大きな変化に直面しまして、私自身の行政マンとしての経験への反省をも含め、老婆心ながら、そのことを皆様方に申し上げまして、結びの言葉といたします。ご静聴まことにありがとうございました。