評価センター資料閲覧室

第3回固定資産評価研究大会 基調講演

 「固定資産税制度の改革の方向」

学習院大学法学部教授  金子 宏


はじめに
 ただいまご紹介いただきました金子でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 実は私、この研究大会の第1回で基調講演をさせていただきまして、今日お話することはそのときの内容と若干だぶる点もあるかと存じますが、あらかじめお許しをいただきたいと存じます。だぶる問題についても、なるべく別の角度からお話申し上げたいと考えております。
 私の話の表題は「固定資産税制度の改革の方向」ということでございます。先ほどオープニングセレモニーでお三方からお話がございましたように、地方分権推進一括法が成立いたしましたが、これは我が国の地方制度、特に地方自治の発展の上で画期的な意味を持っていると思います。それと同時に自主財源の充実と申しますか、私は「自主財政主義」と呼んでおりますけれども、地方団体が自主財源を持つことが何よりも必要なことです。地方分権の推進と自主財政主義は車の両輪のような関係にあるわけです。

1.自主財源確保の必要性
 先ほどお話のありましたシャウプ勧告も、地方自治というものを重視いたしまして、国・県・市町村の中ではできるだけ多くの権限を市町村のものとすべきである。それから、地方団体は十分な固有の自主財源を持つべきであるということを強調していたわけでありまして、最近の動きはまさにシャウプ勧告が50年前に提案したところを実現する方向にあると考えられるわけでありまして、シャウプ勧告を常日ごろ研究する者の一人として感慨深いものがあります。
 自主財源の充実という点から見ますと、固定資産税は極めて重要な意味を持っております。市町村の財政にとって大変に大きな意味を持っております。まず第一に真の意味で固有の自主財源であるということであります。地方税にもいろいろな種類のものがありますけれども、固定資産税が最も真の意味ので自主財源であると言ってよろしいのではないかと思います。
 2番目には、先ほどお話がありましたように、市町村の税収の上で、あるいは財政収入全体の上で非常に大きなウエートを持っているということであります。それから、第3番目には安定財源であるということ。
 第4番目には固定資産税は住民自治の涵養に大いに役立つ制度ではないかと思われることであります。
 そして、市町村の公共サービスは従来からどんどん拡大の方向にあります。インフラの整備をはじめといたしまして、いろいろな公共サービスを行っているわけですけれども、最近は社会福祉関係の施設の整備・充実というものが大きな課題になってきております。例えば保育所の建設、その他いろいろな新しい施設を充実していくという任務を市町村は負っているわけでありますけれども、さらに最近は対人的サービスの拡大が顕著なわけであります。神野先生は、こういう市町村の役割を総称して「セーフティネットの提供」ということを言っておられると思いますが、まさにそういう時代に入っているのではないかと思います。
 そういたしますと、市町村の財政収入の確保充実の必要性は一層高まるわけでありまして、それにつれて固定資産税の重要性もますます大きくなると言ってよろしいわけであります。そこで、固定資産税の根拠をどこに求めるのかということが重要な問題になってくるわけであります。固定資産税はもともと市町村が住民に提供する役務の対価であると考えられてきましたが、その役務の範囲を単に家屋の保護に役立つような消防とか警察、あるいは地価の上昇に役立つようなインフラの整備、そういうものだけではなくて、むしろ人的サービスをも含めた市町村の役務に対する対価と広く考えていくのがよろしいのではないかと思います。
 市町村の住民は市町村の行政サービスの受益に応じて負担を分任する、これが地方自治の本旨でございますが、住民は所有している財産の価値に応じて税負担を負うということ、これも負担分任の一つの重要なあり方であります。要するに持っている固定資産の価値というものは、住民が市町村から受けている受益の最も重要な一つの物差しであると考えてよろしいのではないかと思います。

2.固定資産税における二重構造の解消
 今日の統一テーマは、先ほどありましたように、21世紀に向けて固定資産税制度がどう改革されるべきかということでありますが、そういう観点から固定資産税の改革の方向を考えてみたいと思います。固定資産税の改革を考える場合に重要なことは、固定資産税は市町村の基幹税でありますので、住民の立場から見ても、また住民の代表である議会や市町村長の立場から見ても、固定資産税制度は簡素で公平で中立的であることが必要なわけであります。
 そういう点から考えてまいりますと、固定資産税制度の改革において何よりも必要なことは、二重構造の解消ということではないかと考えております。「二重構造」という言葉は必ずしも一般化しておりませんので、もう一度申しますと、地方税法では固定資産税は固定資産の価格を基準として課するということになっており、その場合の価格というのは公正な時価であるとされているわけです。それがもともとの固定資産税の本則で規定しているあるべき制度であるということになります。
 しかし、固定資産税制度ができて以来、地価の上昇に見合って評価と課税標準を引き上げることが実際問題として困難であったということから、評価と課税標準の引き上げが十分に行われてこなかったという事情があります。しかも、評価と課税標準額が市町村の間でばらばらであるだけでなくて、1つの市町村の中でも不均衡が多く存在していたということがあります。その後、昭和40年代、50年代と進むに従って、課税標準を時価に近づける努力をもっとすべきではないかという意見が強くなりまして、それに応じて引き上げの努力がされてきたわけです。
 しかし、評価額を引き上げても一挙に課税標準を引き上げると税負担が急増することがあるものですから、それを避けるためには負担調整措置と呼ばれるものが採用されてきたという経緯がございます。そこで、現実には本法附則による負担調整措置が現実の制度として妥当しているということになるわけであります。負担調整措置による課税標準が本則課税による評価額を超えるような場合は問題はないわけですけれども、そういう例はまれであると思いますので、現実には本法附則の負担調整措置が妥当しているということになるわけでありまして、このことを私は「固定資産税における二重構造」と呼んでいるわけであります。
 この二重構造はやむを得ない事情によって生じたことでありまして、一概に非難することはできないわけでありますけれども、いろいろな弊害を持っていることは確かであります。制度が二重になっていると大変わかりにくいということもございます。それから、附則の負担調整措置の諸規定を見てみますと非常に複雑でありまして、解説書を読まなければ正確には理解できないという問題もあるわけであります。
 そこで固定資産税のような基幹税についてはもっと簡明な制度にする必要があるのではないかということが言えるわけであります。そういう観点から言いますと、二重構造を解消する努力をしなければならないということになります。それから、附則の課税、つまり負担調整措置自体についてもいろいろな問題があるわけであります。もともと低い評価を基礎として負担調整措置が積み上げられてきたということがございますし、評価が均衡を欠いていた場合が多いということもございますので、それを基礎として負担調整を講ずると不公平の問題が残ってしまうということになります。
 不公平の問題というのは、別の言い方をすれば固定資産税の制度が非中立的であるということにもなるわけであります。例えば交付税の算定などにつきましても、固定資産が低く評価されている市町村は、配分上有利であるという問題もあります。そこでこれをどういうふうに解決すべきかということが問題になるわけでありますが、この点で注目されることは、平成9年の制度改正におきまして、負担率という観念が導入されたことであります。
 負担率というのは、評価額に対する前年度の課税標準額の割合です。7割評価が平成6年から導入されましたので、地価公示価格の7割である評価額に対する前年度の課税標準額の割合を意味しているわけであります。これによって課税標準がどの程度バラツいているのか、あるいは、課税標準が評価額に対してどの程度乖離しているかということがわかるわけであります。つまり、負担率を見れば固定資産税の負担が本来法の予定しているところと比べて低いということとか、負担が不公平であるという問題をも明確にしたわけであります。そういう意味では二重構造の解消を促進するという意味を客観的には持ち得ていると考えるわけであります。
 そこで、すべての土地について負担率を合わせる、あるいは近づけることができるならば、二重構造は解消され、そして固定資産税は簡素・公平な制度になるということが言えるわけであります。ただ、現在の負担調整措置では二重構造が解消されるのにはかなりの年数がかかるわけでありますので、二重構造の解消のスピードをもっと速める方法はないだろうか、もっと早める必要があるのではないかということが、関係者にとっては重大な関心事であるのです。問題をすぱっと解決するような方策が考えられればよろしいのですが、短時間の間にそうすることができるような方策が実際問題としては見当たらないというのが現状です。
 現在は負担率をだんだん一定の範囲に収斂させていくという方向で努力が行われており、また今後もそういう努力が行われることになると思いますが、もっとドラスティックな方法を考えようと思えば、例えば評価額それ自体を課税標準として、それに対して適切税率を現在の1.4%の税率をもう少し引き下げるという方法も一つは考えられるわけであります。つまり、現在の標準的な負担率に見合った税負担と結果的には同じになるような税率を採用する、そして、評価額自体を課税標準とするというやり方もひとつ考えられるわけであります。
これは例えばの話としてお聞きいただきたいと思いますが、1.4%のかわりにこういう方法をとりますと、税率は0.9%とか1.0%というふうに下がるということになると思います。そういたしますと、土地に対する税率と家屋や償却資産に対する税率が異なってしまうという問題があるわけであります。そこで、3つの種類の資産に対する税率を同じに維持するという政策を続けようと思えば、今度は土地の評価額の一定割合、例えば70%とかいう割合に1.4%という基本税率が長期的に続くと仮定いたしますと、評価額の7割に1.4%を適用するというような方式が考えられるわけであります。
この7割というのは仮の数字でありまして、6割とか8割とかいろいろな考え方がありうるわけですが、評価額の一定割合を課税標準とするという方式を、仮に70%をαという数字で置き換えてα方式と呼ぶことができるわけです。α方式を採用しますと、3つの種類の資産を通じて税率は同じであるということになるわけであります。このα方式の下でも基礎になるのは評価額でありますから、二重構造は解消されて、公平や中立性が維持できるということになります。したがって、評価額自体を課税標準とする方式と、α方式とどちらが長期的に見た場合によろしいかという問題があります。私の見るところではどちらも制度としては合理的ではないかと考えられるわけであります。
 残るのは、税率を3種類の資産を通じて一本にするのか、それとも別々の税率でも構わないのかということであります。従来、私は税率は一本が好ましいと考えてきましたので、その観点からいくとα方式が妥当だということになると思いますけれども、別の考え方もあり得るわけであります。というのは、α方式よりは、評価額自体を課税標準とする方が制度としては簡明であるという問題があります。ですから、どちらを採るかという問題は、将来の問題としてもう少し考えてみる必要があろうと思います。

3.固定資産税の税率について
 ところで、固定資産税の税率は1.4%という標準税率が長い間使われてきたわけであります。若干の市町村は超過課税をしてきましたが、それよりも低い税率を採用してきたところはほとんどないと聞いております。固定資産税の税率は各市町村に任せるべきなのかどうかというのが、これからの大きな問題であります。
 住民自治を貫徹しようとすれば、各市町村が自らの判断で税率を定めるべきだという考え方が当然に出てまいります。財政需要の増減に応じて市町村が自由に固定資産税の税率を引き上げたり引き下げたりするということも考えられるわけであります。むしろそれが将来の方向としては好ましいということになると思います。つまり、市町村がそれぞれの行政需要と、固定資産税以外の財源を見積りまして、足らない部分を固定資産税の額として算定する。そして、それを固定資産の総評価額(課税標準の総合計額)で割った率を税率とするという考え方であります。恐らく"rate"という言葉はこういうところから来ているのではないかと思いますが、そういう方式が当然に考えられるわけであります。
 そういたしますと、受益と負担との関係がより明白になり、住民はどれだけの税収が固定資産税から必要なのかを見積もって、それに応じた税率で固定資産税を負担するということになるわけであります。これは住民自治の涵養にとって非常にプラスであると言えると思います。ただ、市町村ごとに税率、つまり税負担のあり方を決めることをそのまま認めてしまっていいのかどうかという点については、問題が残るように思います。究極的にはそれがいいし、理論的にもそれがいいと言えるにしても、実際問題としては問題が残るように思います。と申しますのは、日本全体が一つのマーケットであるわけでありますから、固定資産税の負担が違いますと、例えば企業の間の競争条件に食い違いが生じてしまうとか、いろいろな問題があるわけであります。もちろん固定資産税の負担が重ければ、それだけ行政サービスの質も高くなるということは言えますし、固定資産税の負担が少なくていいという場合には、それだけ行政サービスの質が悪くなる。したがって、税率は高くてもいい、固定資産税が高すぎると思えばよそに移ればいいのではないかというふうに理屈の上では言えても、実際問題としては日本のような土地に対して人々が強い執着心を持っているような国の場合には他の市町村に移ることはなかなか難しいのではないかという感じもいたします。
 そこで、自治体が原則的には税率を自由に決めるべきだという理念を前提としつつも、地方税法で標準税率を定めて、地方団体が標準税率で課税してもいいし、それを上回る水準で課税してもいいし、下回る水準で課税してもいい、それはそれぞれの市町村の住民が自主的に決めるという体制を将来つくっていくのがよろしいのではないかと思います。
ところで、地方税法で標準税率を決める場合に、例えば1.4%なら1.4%と固定的に決めるのか、それとも一定の幅を持った決め方をするのかという問題がありまして、前回の研究大会で私は標準税率は一定の幅を持った税率で決めたらどうだろうかということを申し上げたわけでございます。市町村になるべく自由に税率を選ぶことを可能にするためには、一定の幅を持った税率がよろしいのではないかと思いますが、その辺は技術的にもいろいろな問題があるかもしれませんので、もう少し考えてみたいと思っております。
 ところで、固定資産税に関連してしばしば提出される論点の一つに実効税率論というものがございます。これは固定資産税の負担水準はどの程度であるべきかということの一環として言われることでありまして、代表的な意見は、昭和50年代の地価安定期の土地に対する固定資産税の負担の水準は0.4%ぐらいだったから、そこまで税率を引き下げるべきではないかという考え方であります。この考え方は口当たりがいいと思いますが、よく考えてみるといろいろな問題があるように思います。
 まず第一には本当に0.4%だったのかどうかという計算の根拠をもう一度検討しなければなりません。それから、昭和50年代には地価は比較的安定しておりましたが、固定資産税の負担の水準は低いのではないか、徐々にではあっても少しずつ高めていくべきではないかという意見が非常に強かった時代でありまして、みんなが固定資産の負担の水準を将来に向かって固定することを主張していたわけではありません。
もう1つは、市町村の財政需要は絶えず変動するということであります。そういう変動に応じて固定資産税の増収を図らなければならない、あるいは、場合によっては減少をしてもいいと住民が判断することもあるかもしれませんが、固定資産税の負担の水準は各市町村の財政需要によって変わってくることであります。
 それから、仮に財政需要が安定している場合であっても、例えば住民税が減税になれば代替財源が必要になるわけでありまして、固定資産税のような基幹税がその代替財源として重要な意味を持ってくるということは当然あり得るわけであります。
第4番目には、税率、つまり税負担の水準は各市町村が自主的に決めるべきことでありまして、一定の水準で固定するということは中央集権的な考え方であって、分権の時代には合わない思想ではないかと考えられるからであります。

4.課税ベースに関する問題
 それから、固定資産税の改革をするにあたって重要なことは、税率と並んで課税ベースをどうするかという問題であります。現在、固定資産税についてはたくさんの特別措置があります。国・地方を通じてそれぞれの租税についてたくさんの特別措置が定められているわけですが、固定資産税についても例外ではありません。こういう特別措置はなるべく廃止した方がいいのではないかと考えられるのであります。
特別措置の廃止は、すべての種類の租税を通じて共通の課題でありますが、固定資産税に限定して申しますと、固定資産税は市町村の公共サービスの対価の性質を持っているわけでありますから、受益をしながら負担をしないということは不公平なことであると考えられるわけであります。受益をしていれば同じように負担するのが当然のことだと言えるからであります。
 次に、固定資産税について減免措置を講じますと、その直接の結果はその固定資産税の所在している市町村の税収の減少ということになりますが、その恩恵はその市町村の住民の範囲を越えて広く全国民に及び得るわけであります。私が私立大学に奉職しておりますのに、こういうことを言うのは穏当を欠くかもしれませんが、私立大学の場合には教育の用に直接供する固定資産については固定資産税を課さないということになっております。
 しかし、課することにすれば、恐らく授業料が若干高くなるということになると思います。そうすると、それは在学生全体に及ぶわけであります。在学生は東京都23区の人ばかりではありませんで、ほかの地域の市町村の人もたくさんいるわけですから、所在している市町村の減収になるけれども、税負担の軽減による利益は、その市町村の範囲を越えて広く拡散するという問題があるわけであります。ですから、そういう点でも特別措置は問題であると言えるのではないかと思います。
 それから、課税ベースに関連して何よりも大きな問題は、小規模住宅用地の特例の問題であろうと思います。現在は200u以下の部分については課税標準額が6分の1、200uを超える部分については3分の1となっているわけですけれども、これはやや行き過ぎではないかと私自身は考えております。アメリカで生活した経験のある人に聞きますと、日本の住宅に対する固定資産税はアメリカの財産税よりもずっと安いということを異口同音に言います。
それは評価の問題もあるかもしれませんが、小規模住宅用地の特例が大きな原因ではないかと思います。受益と負担との関係についての考え方がはっきりし、また住民自治の意識がだんだん浸透するに従って、こういう問題は徐々に解決していくべき問題ではないかと考えているわけであります。
 ところで、最近固定資産税の人税化ということがよく言われます。固定資産税は財政学では伝統的に物税として分類されてきたわけであります。人税化というのは、固定資産税の所有者、あるいは住宅用であれば、そこに居住している人の人的要素を固定資産税の負担に加味すべきではないかという主張であります。例えばアメリカでは"サーキットブレーカー"というような制度が固定資産税についてあります。
 これは大阪学院大学の前田高志先生が非常に詳しくていらっしゃいますので、また折りがありましたら、前田先生の書かれたものを読んでいただきたいと思いますが、前田先生が述べておられるところによりますと、アメリカでは34の州で"サーキットブレーカー"の制度を採用しているとのことで、"サーキットブレーカー"というのは、強い電流が流れすぎるとブレーカーが下りると言いますか、ヒューズが飛ぶと言いますか、もともとはヒューズが飛ぶということだったと思いますけれども、それと同じであります。
 固定資産税、財産税の負担がその人の所得に比較して重くなりすぎると、そこで何らかの軽減措置を講ずるべきであるという考え方であります。財産税の金額がその人の所得の一定割合を超えるような場合には、その超える部分の財産税については住民税から全部または一部を控除するということであろうと思いますし、多くの州では高齢者に対してこれを認めているようでありますので、高齢になって今まで住んでいた土地を捨て、よそに移らなければならないということをなくすためであると言われております。こういう制度を我が国でどこまで考えるのかという問題があります。
 それから、"リバースモーゲージ"という制度がありまして、財産税を払えない場合には延納あるいは徴収猶予を認める。その代わりその税額相当額の担保権をその家に設定する。そして、その人が亡くなった場合には、その担保権により延納あるいは徴収猶予になっていた税額の徴収を図るという制度であります。
我が国でもたしか武蔵野市で介護の費用について、そういう制度を採用したように記憶しています。固定資産税についてではありませんが、固定資産税についてもそのような制度は考えられるのではないかと思います。

5.これからの固定資産税制の課題
 最後に一つお話しておきたい論点は、こういうことであります。我が国の民法では土地と建物は別々の不動産ということになっておりますが、アメリカやドイツでは一つの不動産、土地の上の建物は、同じ人が所有する場合には一つの不動産ということになっております。外国の建物は石造りとか煉瓦造りの堅固な建物で、耐用年数も長いということがありますが、我が国の場合には木と紙でできているという素材の違いに由来するところもあるかと思います。
 この点を、民法がどうなっているかということは別として、固定資産税について将来どう考えていくのか。つまり、土地と建物を一体として評価し、課税するということにするのか、今までどおり別々に評価し課税するという方法を維持していくのかということは一つの問題ではないかと思います。もっとも、長期的なことは別として、私は中短期的には従来のやり方を維持するほかはないのではないかと思います。
 外国では一般的には土地の上に家が立っている場合に、土地は安く建物は高価であるということで、その土地と建物を一体として見た場合には、建物の善し悪しによって評価額が大いに違ってくる。建物が主要な要素であるということがありますが、日本の場合にはむしろ土地が高く、それに比較すると建物の価値は相対的に少ないという場合が多いものですから、その辺の事情が違っているということが一つあると思います。
 それから、外国でも土地の所有者と建物の所有者が違う、つまり土地にリースを設定して建物をそこに建てているという場合には、当然別々に評価され課税されるということになります。ですから、長期的にはアメリカやドイツのようなやり方を考えるかどうかは検討に値すると思いますが、中短期的には従来のやり方を維持していくほかはないのではないかと考えている次第であります。
 先ほど土地と建物を一体としてとらえるかどうかということをお話するときに「最後に」と申しましたが、もう1つつけ加えて、カリフォルニアの"プロポジション・サーティーン"(提案13号)の問題についてお話しておきたいと思います。提案13号というのは1978年にカリフォルニアの住民投票によって憲法が改正されて成立した制度でありますが、1970年代のアメリカはインフレーションの時代で、地価もどんどん高騰いたしました。
もちろん建物の価格も高騰いたしました。カリフォルニアでは高騰に応じて評価額もどんどん引き上げたわけであります。しかも税率を引き下げなかったために、税負担がどんどん高くなるということがあって、住民の不満が蓄積いたしました。その結果として住民運動が起こって、1978年以降は、新しく購入した住宅は別として、たしか1975年の評価額で住宅の評価額を据え置いて、財産税を課税するということになったわけであります。
 日本の場合には負担調整措置によって地価が値上がりしても、税負担はそれに応じて値上がりしないという措置をとってきたために、アメリカのようなことは起こらなかったわけでありまして、そういう意味で日本の負担調整措置は大変に賢明な制度であったと言える面を持っていると思います。アメリカのハーバードのオルドマン先生が日本の地方税、特に固定資産税のことを勉強したときに、ちょうど"プロポジション・サーティーン"が問題になっていた時期だったものですから、日本の負担調整措置は非常にいいのではないかと言っておられたことがございます。
 私は、そういうプラスの面を負担調整措置が持っているということはもちろん認めるわけでありますけれども、先ほどのような二重構造の問題がございますので、できるだけ早い時期に何とか二重構造を解消して、制度を簡素化・公平化する必要があるのではないかと考えている次第でございます。
 大変に雑駁なご報告になりましたけれども、私のお話はこの辺で終わりにさせていただきたいと思います。ご静聴どうもありがとうございました。