評価センター資料閲覧室

地方税法における適正な時価 第7回 固定資産評価研究大会報告書

U.オープニング講演

1 講演者の紹介

 

  鳥取県知事
片山 善博(かたやま よしひろ)
  東京大学法学部卒業
  昭和49年 自治省入省
  国税庁能代税務署長、鳥取県地方課長・財政課長、
  国土庁土地政策課課長補佐・自治省地域政策課課長補佐、
  自治大臣秘書官
  自治省財政課課長補佐・自治省国際交流企画官、
  鳥取県総務部長、自治省固定資産税課長・府県税課長を経て、
  平成11年4月から現職

 

 

 「分権時代の税制と固定資産税」  −分権時代の税制は納税者の信頼によって支えられる−

 いわゆる三位一体の税財政改革が論じられているが、つまるところ地方税制をめぐる議論にほかならない。主な論点は国から地方への税源移譲であり、地方分権時代の税のあり方であるはずだ。税源移譲とは、自治体の財政運営の焦点が国の補助金から地方税に移ることであり、分権時代に大切な課税自主権行使の余地を拡大することにつながる。
 税は納税者によって支えられている。とりわけ分権時代の税制には納税者の信頼が不可欠だ。納税者が納める税は効率的に使われなければならないから、それを監視し点検する議会や監査の役割は大きくなる。また、税制は納税者に分かりやすく、その運用は透明でなければならない。制度の簡素化と徹底した情報公開、それを前提とした説明責任の重要性をあらためて認識する必要がある。さらに公正な税務執行も欠かせない。不公正は信頼感を著しく阻害する。
 固定資産税は市町村を財政面で支えている一方、無数の納税者によって支えられている。まさに分権時代にふさわしい税制である。それだけにこれまで以上に納税者から信頼を寄せられ、かつ、しっかりと支えられる税制でなければならない。本講演では、そのための方策をも明らかにしたい。

       (大会プログラムより)

 

2 講演録(資産評価情報(16.1.1号)大会特集号より

はじめに

 今、ご紹介をいただきました鳥取県知事の片山です。7回目の大会に、私、皆さん方の前でお話をする機会を与えられましたことを大変喜んでおります。
 先ほど、板倉局長さんからご紹介いただきましたけれども、第1回の大会を開きましたのが平成9年のことでありました。私は平成7年7月から、当時の自治省の固定資産税課長をやっておったのですけれども、固定資産税には当時混乱した事情があったものですから、その中で、少し固定資産税も世の中との交流をしなければいけない。ともすれば閉じこもってしまって、関係者の間だけで固定資産税の問題を論じているという傾向があったものですから、学者の皆さんとか、実務家の皆さんとか、関係するいろいろな業種、職業の皆さんと、もっと固定資産税は交わらなければならない。その交わりの中からお互いに成長をしていく。それから、透明性を増していく。そういう作業をしなければいけないということを痛感をいたしまして、何とかこの種の会ができないだろうかということを考えておりました。
 アメリカで今もあると思いますが、IAAOという資産課税の幅広い研究の場がありまして、そこに一度、関係者で視察に行ってみようではないかということで、私自身が行きたかったのですけれども、ちょっと忙しくて当時、自分自身が行けませんでしたので、課長補佐をやっていました内藤さんという人がいまして、今、さいたま市の助役をされていますけれども、その人に行ってもらいました。また、評価センターの方にも行っていただきまして、アメリカのIAAOのようなことはなかなか難しいけれども、日本でも固定資産ないし固定資産税をめぐる幅広い議論を起こすために、やってみようではないかということで始めたのが第1回の大会でありました。
 当時は、この近くの砂防会館で開いたのですけれども、もちろん、期待どおりといいますか、予想を上回る参加者がありましたけれども、それにしてもこんなにたくさんの皆さんが集まることはありませんでした。やはり7回目になって、これも先ほどの局長の話によれば、この種の大会というのはだんだん先細りになるというのが通例であるけれども、毎年増えるというのは珍しいとおっしゃっていましたが、ほんとうにそうだと思います。やはり、関係者の皆さん方の熱意、それから固定資産税についていろいろ課題があって、それについて問題意識をいかに多くの方が持っておられるかということだろうと思います。当時始めた者としては、大変感慨深いものがありますし、ぜひ、この大会がさらに年々、質的にも、それから量的にも成長を遂げられますようにお祈りをしたいと思います。

1. 平成6年度税制改正を振り返って

 私は平成7年夏から、固定資産課長をやったのですが、先ほどの話にもありましたけれども、平成6年度の税制改正の後、固定資産税は大混乱をしていました。評価の制度をがらっと変えたわけでありますが、その評価の大変化に対応する課税のシステムというのがいかにも中途半端というと、制度をつくられた方に失礼かもしれませんけれども、いずれにしましても納税者の皆さんの信頼を得るに足る仕組みではありませんでした。なおかつ、三千二百数十の市町村で固定資産税を運用されている皆さんの理解と納得を十分に得られる仕組みでもありませんでした。みんなが疑問に思って、何でこんな制度になっているんだろうかという人が圧倒的に多かったわけであります。私は固定資産税課長になったのですが、実は、全くの素人ではありませんで、固定資産税というのは若いころからやっておりました。昭和52年から数年間、固定資産税の仕事を自治省でしていたものですから、まるっきり素人ではなかったわけでありますし、それなりに自分でも自負があったのですけれども、平成7年度に固定資産税課長になりましたら、部下の人からいろいろなことを聞くんですけれども、自分でもさっぱりわからないわけです。なぜこんな仕組みになっているのだろうかと。
 7割評価というのは、絶対正しくて証明できる、定性的に分析しても定量的に分析しても7割になると、そういう説明を毎日のように聞かされるんですけれども、さっぱり私はわからなくて、そんなのわからないよという毎日でした。私だけがわからないのなら、私の能力が劣っているんですけれども、実はいろいろな人に聞いてもわからないという。みんな、でもわかったようなふりをしているんですけれども、本音を聞くとわからない。外部からは非常に強い批判と反発がある。やっぱりこれでは固定資産税は制度として維持することが難しくなるのではないかという危惧の念を抱きました。
 であるならば、やはり固定資産税というものが、当時の自治省、自治体関係者の間の閉じられた世界での秘め事のような制度であっては決してならないので、もっとオープンに、世間の批判に十分耐えるものでないといけない。世間の多くの皆さんからも、まあ、いろいろ問題はあるけれども、なるほど、理解できないこともないというぐらいのことは言ってもらえる制度でないといけないと思ったわけであります。特に学者の皆さんでありますとか、税理士だとか、不動産鑑定士の皆さんだとか、そういう関連する仕事をされている皆さんからも、まあまあこんなものではないかと、いろいろ問題は多々あるにせよ、大筋こんなものではないかと言ってもらえるぐらいの、そういう制度にしなければいけないということがあったものですから、それならば交流の場をつくろうということになったわけであります。  
 自分で言うのも何ですけれども、第1回目の会をやってから、随分変わったと思います。内向きでしかなかった固定資産税関係者が、外を向くようになった。外の皆さんの批判を伺って、それに対して何とかこたえよう、それは単に言いくるめてこたえるだけではなくて、自分のほうも改善すべきところを改善しながら、こたえられるようにしていこうという、いわゆるアカウンタビリティを高めようという、そういう努力をするようになりました。おかげさまで、だんだん大混乱というものはなくなりましたし、それ以後も批判に耐え得る制度、納得していただきやすい制度に変えようという努力を関係者でしてきたものですから、昨今ではまだまだいろいろな問題はもちろんあるにせよ、平成6年、7年当時に抱えていたような大きな混乱とか、強い反発とか、訴訟がたくさん起こるというような、そういう事態がなくなったのだろうと思います。
 ですから、平成15年度の改正は比較的落ちついた改正ができたということを先ほど局長がおっしゃっておられましたけれども、それは、実はこの大会なども年を重ねるにしたがって、固定資産税についての理解が広く及んできたということと、その過程を通じて、固定資産税制度自体がノーマライズしてきているということの、その結果ではないかと思って、私も先ほど話を伺っていたような次第であります。
 もう一つ、ちょっと私事で恐縮でありますけれども、今回のこの大会の主催は実行委員会でありますけれども、一番の胴元は一般財団法人資産評価システム研究センターでありまして、実は私はその理事の1人を務めております。この資産評価システム研究センターができましたのは昭和53年ということで、先ほど小川理事長さんが四半世紀ということを言われましたけれども、その設立にも、実は私、当時携わりました。自治省の固定資産税課におったのですが、資産評価システム研究センターという名前を考案したのは実は私なのであります。決定はもちろん、当時の幹部の人がされたのですけれども、名称の候補として資産評価システム研究センターというのを考え出したのは、実はこの私であります。ということもあって、大変愛着を感じる財団であります。そういう財団が主催をするこの大会で講演の機会を与えていただいたということを、大変私は誇りに思っております。きょうはせっかくの機会で、全国から固定資産税の運用に携わっておられる方々、それから、固定資産税に関連するいろいろな仕事や研究、調査をされている方々と一緒にこういう場を持てたことを大変喜んでおります。

2. 地方分権の時代

 きょうは、そこにも書いてありますように、「分権時代の税制と固定資産税」という題名で話をさせていただきたいと思います。分権時代というのはどんな時代かというのは、人によってそれぞれ受け取り方があるのだろうと思います。地方分権というのはどんな時代ですかということを聞きますと、皆さんはどういうことをイメージされるでありましょうか。人によっては、地方分権の時代というのは権限移譲だと。それは3年前の地方分権推進一括法によって、ある程度権限移譲できたんだと。だから、分権時代が始まったんだというようなことを言われる方もおられます。それも一つの側面だろうと思います。私は、地方分権の時代というのはいろいろな見方があるだろうと思うんです。権限移譲というのもその一つであります。ただ、権限移譲が分権一括法によって大きく進んだかというと、決してそんなことはありません。私も長年、地方行政に携わっておりますけれども、3年前を境にして、権限がどっと移譲されて、世の中が大きく変わったということはほとんどありません。実感もありません。多少のことは変わったかもしれませんけれども、目に見えて、権限が移ったからどうだというような実感は、正直言ってありません。
 ただ、分権一括法ができて、機運が大分出てきたと思います。やっぱり分権時代に向けて大きく世の中が動き出したんだ、うねりが出てきたんだという、そういうきっかけづくり、意識改革の端緒といいますか、そういうものはあるのだろうと思います。しかし、法律ができたから世の中変わったということではありません。私はむしろ、分権時代というのは意識をいかに変えていくかということが当面は一番重要ではないかと思っています。分権時代には、今までのような何でもかんでも中央省庁のほうを向いて、中央省庁から情報をもらい、指示をもらい、お金ももらい、おしかりももらいという、こういう時代でこれまであったと思うのですけれども、分権時代というのはそうではなくて、中央省庁のことももちろん気にしなければいけません。気にはしますけれども、重要なのは地方自治の主役である住民のほうを向く。主役のほうを向く。主役に対してきちんと説明責任を果たす。ベクトルの転換、方向をきちんと転換するという、そういう意識改革が分権時代には必要ではないか。また、それが分権時代をさらに大きく前進する原動力になるのだろうと思っております。意識改革です。
 これは、地方団体の皆さんの意識改革が一つ、重要であります。何でもかんでも中央官庁のほうを向いて指示を仰ぐという姿勢を正すということ。一方では、中央官庁の皆さんの姿勢も変わらなきゃいけない。自分たちが何でもかんでもはらはらして、手取り足取りしてみんなを引っ張っていかないと世の中がうまくいかないのだろうという、そういう無用な心配をもうしない。失敗するところが出てきたら、失敗すればいいじゃないか、うまくいくところはどんどん行きなさいと、こういうおおらかな気持ちを中央官庁の人も持たなければいけない。政治もまた意識を変えなければいけない。これが私は分権時代だと思います。これまでの護送船団でみんなを引き連れて、中央官庁がみんなを引っぱっていくという、そういう時代ではなくて、伸びる自治体はどんどん伸びていく。スピードの遅いところは前を行く自治体についていく。見習いながらついていく。船団としてまとまりのあった地方団体がばらけていく過程、これが私は地方分権の時代だろうと思います。制度も決して単一ではない。多様な制度が混在をする。力量も異なる。できのいいところも悪いところも混在をする。そういう護送船団の解体過程が地方分権の時代だろうと思います。そういう時代の税制とはどういうものかというのがこれからの論点になるわけであります。
 そういう中で、じゃあ固定資産税というのはどうなのかということでありますが、私は固定資産税は市町村の今までも、これからも、一番重要な税だと思います。もちろん市町村にはほかにも税があって、個人住民税も重要でありますし、そのほか、軽自動車税だとか、いろいろな税がありますから、それぞれが重要で市町村の税の体系を形づくっているわけでありますけれども、わけてもやはり固定資産税が一番重要だと私は思います。これからも固定資産税が分権時代の主役に税制の面ではなるだろうと思っております。
 都道府県はどうかといいますと、これは今、非常に難渋しておりまして、都道府県の基幹税制、すなわち市町村で固定資産税が一番の中心を占めていると同じような意味での都道府県の税制は何かと聞かれたときに、非常に困惑をしているわけであります。量的には法人事業税が一番重要です。ところが、これからもずっとこの事業税が主役を占めていけるかといいますと、これまでの事業税だとなかなか明快にそういうことが言えないのであります。最近、やっとこの法人事業税のあり方が少し変わってきまして、いわゆる外形標準課税のほうに少し足を踏み出しました。まだまだ入り口であります。もちろん、入り口を踏み出すのに相当なエネルギーがあって、関係者の皆さんの努力に感謝を申し上げなければいけないのですけれども、まだ入り口であります。これから、ほんとうに法人事業税が都道府県の税制の、名実ともに中心として成長するか、発展するかどうかというのは、これからの我々を含めた関係者の努力にかかっていると思うのであります。

3. 分権時代の固定資産税

 それはさておいて、市町村の場合には、堂々たる存在として固定資産税があるわけで、この固定資産税が分権時代に分権型の税制として変化できるかどうか。さっき、私がちょっと言いましたが、平成6年のときのような、信頼を一気に失うような、納得する人の少ないような税制であってはとても分権時代の主役にはなり得ないわけで、ほんとうに納税者から受け入れられて、関係者の理解と協力が得られる税制として固定資産税が変貌を遂げられるかどうかということ、これが大きな問題だろうと思います。私は、地方分権時代の税制として大事なことが幾つかあると思いますので、それをこれからお話を申し上げたいと思います。これは固定資産税にも当然言えることでありますし、固定資産税以外の税制についても通底するものがあります。一般的な問題として聞いていただいたらいいと思いますし、その中でも特に固定資産税の問題を取り上げながら、私の話を進めたいと思います。
 分権時代に必要な税制として、私は一番重要なのは、わかりやすくなければいけないと思います。簡素で、納税者にとってわかりやすいということ、これが分権時代の税制に欠くことのできない資質だろうと思います。分権時代でなくて、何でもかんでも中央官庁が決めていた時代というのは、悪い表現かもしれませんが、よらしむべし、知らしむべからずという、そういう面がありました。これは江戸時代の税制としてよく言われることで、納税者があまり理解しなくてもいい。税金はお上が決めて、六公四民とか五公五民といって、決められたとおりに納めればいいんだということ。民にはあまり知らせないで、権力のほうに依存させていればいいんだと。よらしむべし、知らしむべからずという、こういう税制でも通用したのであります。典型的なのが江戸時代ということであります。
 ひょっとしたら、これまでの日本の税制もそういう面がないわけではなかったかもしれません。ほんとうにわかりにくい制度ができ上がっていて、納税者がとてもじゃないけど理解できない。納税者だけわからないならまだしも、ということはいけないんですけれども、納税者以外に専門家でもわからない。そういう制度がまかり通っていたというのは、江戸時代とそんなに変わらないかもしれない。ですけれども、これからの分権時代というのは、主役である住民の皆さんにちゃんと説明できるかどうか。住民の皆さんに対してアカウンタブルであるかどうか。アカウンタブルというのは、ちゃんと説得的に説明できるかどうか。納得してもらえるように説明できるかどうかという、そういうアカウンタビリティが重要な時代になってくる。そもそも納税者がわからない、理解しにくいという税制では困るのであります。やはり、主役の納税者の皆さんに、多くの皆さんにちゃんと理解をしていただいて、そして支えてもらう。税金を払うというのはみんな嫌ですけれども、それでもちゃんと理解をしてもらって、嫌だけれどもしようがないなと思って払ってもらえる。これが支えということであると思いますけれども、そういう支えを納税者からいただけるような制度でないと、私はいけないと思います。
 地方自治というのは、負担分任と言われます。負担をみんなで分かち合いましょう。分かち合う納税者の皆さん、住民の皆さんが全然理解も認識もできないということではやっぱり困るのであります。そういう意味では、じゃあ、何をしなければいけないのかというと、わかりやすく簡素にということで、税法をもっと簡単にしないといけないと思います。皆さん、いかがですか。税法が簡単だと思う人。だれも多分、手を挙げないと思います。税法は複雑でかなわないと思う人、ちょっと手を挙げてください。
 だと思います。私も税法をいじっていました。役人のときに。自分で書いていて思っていました。これ、読んでも多分だれもわからないだろうなと。じゃあ、そんなことを書いたあなたが悪いでしょうと言われると、それはそのとおりなんですが、ただ、今の日本の立法過程というのは、そういうことを余儀なくされてしまっているんです。国会議員の皆さんも多分わからないような、そういう法律をつくらざるを得ないようなシステムが今、中央政府にはあるんです。内閣法制局に行った途端に、ありとあらゆる場合に対応できるような、鉄壁の構えをした税法をつくらないと、内閣法制局の審査を通らないという、そういう一面があるんです。
 それは、ある意味では私はいい面もあると思います。法律ですから、およそ世の中のいろいろなトラブルが出てきたときもちゃんと司法的解決のよるべになるような、そういう法律を用意しておくというのは、法治国家にとっては必要なことかもしれません。しかし、そこで精緻に精緻を極めた結果、だれもわからなくなってしまった、だれも読まなくなってしまったということでは、これは本末転倒ということではないかと思うんです。ですから、これは自治体の関係者の皆さんというよりは、立法過程に関与している総務省だとか、法制局の皆さんに向かって言わなければいけないことでありますし、そういう、自分たちが見てもわからないような法律を受け入れて可決してしまう国会議員の責任でもあるのでありますけれども、もっと国民にわかる法律にしましょうということをやらなければいけない。こういう改革をしなければいけないと私は思います。
 税法を見て、何が難しいかというと、条文を見ると、括弧書きがいっぱい出てきます。その括弧書きの中にまた括弧があって、二重括弧があったりする。それは、例外を書いて、その例外の例外を書くからそういうことになるのであります。私は、例外というのは、頻繁にある例外なら書いたらいいと思いますけれども、万に一つしかないような例外を書く必要はないと思うんです。ところが、大体、書いてある例外というのは万に一つあるかどうか。世の中によっぽど変わり者がいて、その条文の間隙を突いて訴訟に持ち込まれたらどうしようかということを、やはり法律の関係者は心配するものですから、そういう万に一つ出てくるかどうかの変わり者のことも想定しながら条文を書くと、複雑怪奇になってしまって、原則のほうがわからなくなってしまう。例外のことばかり書くものですから。私は、万に一つの例外なんかほうっておいたらいいと思うんです。そんな変わり者は世の中あまりいませんし、まあ、いたらいたでいいです。訴訟になったら司法で解決してもらったらいいです。裁判所の機能というのは、条文にあらわれていない、条文のない分野についてもちゃんとした裁定を下すというのが、裁判所の機能、司法の機能でありますから、そんな変な例外が出てきたときは裁判所に任せたらいいと私は思うのでありますけれども、まあ、世の中、心配性の人があまりにも多いので例外ばかり書いてしまう。これはちょっとほどほどにされたらいいと思います。これは総務省の皆さんに本来は言っておくべきことかもしれません。
 あと、付則というのがあって、付則に大事なことが書いてある。本則を読んだら比較的すっきり理解しやすいのに、実は本則は全然動いていない。作動していない。今、当面、条文として機能しているのは付則のほうに書いてある。しかも、それが地方税法の本法付則というのがあるかと思えば、各年の地方税法の一部を改正する法律のその付則にまたいろいろな重要なことが出てくる。あっちこっちをひもとかないと全貌がわからない。そんなことをみんなに要求するのは、いかにも酷であります。わかる人はわかっても、普通の人はわからない。普通の人がわかる税制にしなければいけないと私は思っております。
 実は、鳥取県では、まず隗より始めよということで、県税条例を、私が知事になりましてから全部改定しました。といいますのは、鳥取県税条例も地方税法と同じような仕組み、構成になっていたわけです。本則があって、それから地方税法のほうの付則に書いてあることは鳥取県税条例の付則に書くと。要するに、例外は付則に書いていくという、そういう税条例だったんです。すべての自治体の税条例もそうなっていると思います。でも、これはわかりにくいので、国に対して地方税法の構成を変えてくださいということを一方で言いますけれども、とても変えられませんので、それじゃあ鳥取県から変えていきましょうということで、鳥取県の県税条例は全部見直しをしまして、同じ案件は1カ所に出てくるようにしました。本則と付則を読まなくてもいいように。1カ所見れば、ちゃんとそこだけ読めばわかる。原則、例外、時限的な例外、これも全部一覧性があるように、一瞥できるようにしました。大変膨大な作業だったんですけれども、それをやって、県税条例としては比較的わかりやすくなりました。もっとも、さっき言った、括弧書きだとか二重括弧だとか、これを取り去るわけにはいきませんので、これはやっぱり相変わらずついていますから、難しいことには変わりはありません。読みにくいことに変わりはありませんけれども、しかし少なくとも、あっち探したり、こっち探したりというような、本則と付則を行ったり来たりするような、そういう手間を納税者や関係者の皆さんにかけることはなくしました。それだけでも大きな前進だと思います。やればできるのであります。
 地方税法もぜひそうしていただきたいと思いますし、それから皆さん方、自治体関係者がきょうは多いと思いますけれども、ぜひ、自分のところの税条例も見直してみられたらいかがかと思います。本則と付則をがっちゃんこする。一緒にする。そして納税者の皆さんとか職員の皆さんが見てわかりやすい条例にするということをやられたらどうかと思います。ひな形は鳥取県にありますから、もし参考にするために必要でしたら、ご連絡をいただければいつでも資料をご提供したいと思っております。
 実は、鳥取県では、条例をわかりやすくしようというのは、この税条例に限らず、ほかの面でもやっております。いわゆる条例の一部改正というのはしょっちゅうやっていますけれども、これもわかりやすくしようということで、国のやり方から離脱しました。国のやり方、すなわち内閣法制局がずっと明治からやっているやり方というのは一部改正方式でありまして、条例の一部を改正するということで、かぎで取り出しまして、「『……』を『……』に改める」という、そういうやり方をしているはずであります。皆さん方のところのほとんどもそうしているはずであります。これは全然わかりません。わかる人にしかわかりません。議会の議員の皆さんも全然わかりません。わからないものを可決するという、こういうことでは困るんです。やっぱりどの条文がどういうふうに変わるのかということぐらいは、立法者、議会の皆さんには理解してもらわなきゃいけない。ところが、明治以来やっている一部改正方式、内閣法制局のやり方というのは、理解を求めていないんです。理解なんかしてもらわなくていい。とにかく可決、プロセスだけでいいというわけです。後で訴訟になったときに条文が整っていて対抗できればいいという考えです。要するに、訴訟になったときのことだけ考えて、その前にお膳立てだけしておくことを目的にした立法のプロセスなんです。
 でも、分権時代というのはそれじゃあいけないと思うんです。やっぱり、税なら納税者、一般行政なら県民の皆さん、住民の皆さんに、県の自治立法である条例はよく理解してもらわなければいけない。ということで、鳥取県では明治以来の内閣法制局のやり方をすっぱり捨てまして、簡単に「右の条文を左の条文に変えます」というやり方にしました。ですから、見たらすぐわかります。線を引いていますけれども、その分が右から左に変わるというので、一望できます。何も問題ありません。いわゆる新旧対象が改正の本文になったようなものでありますけれども、非常にわかりやすい。みんなそうしたらいいと思うんですけれども、どういうわけかわかりにくい一部改正方式にするんです。あれは明治時代のやり方です。明治時代のやり方というのは、文字を墨で書いていましたから、墨で書く以上は文字数が少ないほうがいいわけです。全部書き直すのは大変ですから。でも、今は墨じゃありません。今はパソコンでやっていますから、コンピューターは字数が多くても全く文句を言いません。一つの条文の中の、例えばほんの3文字変えるだけにしても、コンピューターは文句を言わずに、全体をざっと直してくれます。そういう新しいツールができたのに、法律の改正、条例の改正だけは明治のツールを前提にした改正方式でやっている。何とずれたことかと私は思うんですけれども、国のほうも全然変えられません。自治体も多くはまだ内閣法制局方式をとられていると思いますけれども、一度、皆さんのところも機会があったらぜひ、鳥取県方式にされたらすごく楽であります。楽でありますし、わかりやすい。ですから、そういうことをされたらいいと思います。
 それはともかくとしまして、税条例も法令をわかりやすくしようという一環で、限界はもちろんありますけれども、できるだけということで条例の立て方、構成の仕方を変えたところであります。平成6年のときの負担調整というのはほんとうに難しかったです。この中の皆さん方で、平成6年の負担調整の運用に携わった方、おられますか。あまりもうおられませんか。若干おられますね。ほんとうに難しかったです。私もよくわかりませんでした。担当課長でしたけれど、さっぱりわかりませんでした。よくこんなもの、みんな理解できているなと思って、不思議に思っていましたけど、みんな理解しているような顔をして、実は理解していなかったんだなということが後でわかって安心しました。当時は全国の自治体の職員の皆さんからやっぱりブーイングがありました。納税者の皆さんから質問を受けても答えられませんと。何でこんな制度にしているんですかと聞かれたときに、全然答えられません。もう泣きたくなりますと。で、困って、挙げ句の果てに自治体の皆さんが言われていたのは、納税者に対して、「文句があったら自治省に言ってください。」だったそうです。市町村税である固定資産税の課税をめぐって、文句があったら自治省に言ってください。では困るんですね。市町村税ですから。ですけど、気持ちはわかりますね。自分が決めたわけじゃない。何でこんなわけのわからない仕組みにしたんだろうかと。とても自分では説明できない。だったら、いっそのこと、制度を決めた人に説明してもらおうじゃないか。これは説明責任の回避ですからいけないんですけれども、気持ちはよくわかります。ですから、そういう仕組みにしてはいけないんですね。課税の最前線に当たる職員の人が理解できない、人に説明できない制度は絶対いけませんね。
 こういう制度はやっぱり変えなければいけない。自分で、少なくとも人に理解してもらえるような説得をできる、ある程度自信を持って説明できる制度にしなければいけないというので、それから変えたのが平成9年度の改正でした。その原型が今に至っているんですけれども。いずれにしてもわかりやすい制度にしなければいけないということは、平成6年度改正を経た固定資産税としては大きな教訓をいただいたことだろうと思います。


4. 固定資産評価基準について   

 固定資産税評価基準というのはいかがですか、皆さん。非常にわかりやすいと思う人。
 もう複雑だ、特に家屋なんか複雑過ぎると思う人。
 あまりおられませんか。遠慮がちかもしれませんが。私は、固定資産税評価基準というのは、土地については、いろいろな意見があると思いますが、一応、地価公示との関係で整理をしましたので、昔に比べたら随分わかりやすくなったと思います。ただし、宅地についてはということでしょう。農地とか林地とかについてはよくわからないところが多いですけれども、一応、主流を占めている宅地については比較的わかりやすくなったと思います。では家屋はいかがですか。家屋は非常に難しいですね。これをちゃんと納税者が理解できるかというと、まず無理です。最前線の市町村の固定資産税の家屋の担当者の皆さんはいかがでしょうか。皆さん理解して評価しているでしょうか。この中で家屋の担当をされている人、ちょっと手を挙げてみてください。
 そのままにしておいてください。そのままで、自信を持って家屋の評価基準を理解して、自信を持って評価事務をしているという人だけ手を挙げておいてください。
 じゃあ、大変恐縮ですけれども、先ほど、最初に手を挙げられた家屋の担当者で、悪いけどちょっと手抜きといいますか、簡便化したり、評価基準どおりにはやっていないという人は、遠慮なく手を挙げてみてください。
 あまり挙がらないですか。でも、さっき、失礼ですけれども、要するに評価基準どおりにやっているという方はおられない。私もそう思います。無理だろうと思うんです。仮に、ほんとうに評価基準どおりにやったとしても、結果は据置きだとか、また特例がかかったりして、あまり精が出ませんね、一生懸命やっても。これは総務省の人には大変恐縮ですけれども、やっぱり問題が多すぎると思うんです。これを簡素化する。簡素化だけじゃなくてわかりやすくする。これはこれからの分権時代の固定資産税にとっては大変大きな課題だと思います。
 実は、私、固定資産税課長をやっているときに、過去の評価基準をわかりやすくしようということで、四苦八苦したんです。かなり変えました。かなり変えたというのは、旧態依然としていたものを変えました。当時、私は評価基準を仕事ですから読みまして、ある程度理解しました。全く理解できないというものではありませんでした。理解しましたけれども、何とも驚いたのは、私は平成7年から課長をやりましたけれども、当時、まだ評価基準に待合とかってあったんです。待合ってもうわかりませんよね。年とった人じゃないとわからないです。私なんかも知りません、待合なんていうのは。それが家屋の評価の中で一つの典型的な家屋の類型としてあったんです。土蔵というのもありました。待合というのは、今で言うと何と言ったらいいのでしょうか、風俗と言ったらいいかわかりませんが、お金持ちがお金を使うところでありますから、おそらく明治時代には相当な税源として有望だったのだと思います。だから、その収益性の高い構造の家屋をちゃんと評価しようということで、待合という類型があったのだと思います。しかし、今日も待合はない。土蔵もそうです。土蔵はやっぱり金持ちが持っていましたから、土蔵を評価するということは、担税力のある人の家屋を評価することになったのだと思います。そこで土蔵をあえて取り出して、固定資産評価基準に一つの類型として入れたのだと思います。しかし、今、土蔵といっても、田舎に行けばありますけれども、そんなに担税力はないケースが多いですね。今時、財産価値のあるものを土蔵にしまい込んでいるというのはまれだと思います。それより、私は銀行の貸し金庫にねらいをつけたほうがいいんじゃないかと当時思いましたけれども、それぐらい旧態依然としたものをずっと抱えていたんです、当時。
 で、だれも変えていなかったので、私のときに変えました。平成9年の評価基準から、要らないものは落としました。当時、よく、待合の評価基準をつくるんだったら、ゴルフ場のクラブハウスの評価基準をつくったほうがよっぽど気がきいているのではないだろうかということを冗談半分で言っていましたけれども、ことほどさように旧態依然としていたし、昔の制度をそのまま引きずっていますから、非常にわかりにくいということがありました。できればもっと、類型を見直すだけではなくて、評価基準自体も簡素化しようということである程度やったのですけれども、やっぱりそれは限界がありました。急にはできませんでしたので。これは3年おきに評価基準を変えますから、そのたびに簡素化していくという方法をとったらいいと思いますし、それよりもむしろ思い切ってがらっと変えてしまうということも一つの方法だろうと思います。いずれにしても精緻を極める制度を持っているのは非常にいいかもしれませんけれども、実際にワークしない、作動しないのだったら意味がないわけです。かえってそれは現場を混乱させることになります。評価基準どおりにやっているのかといって納税者から問われたときに、やはり担当者としては、ある種の後ろめたさを感じざるを得ないのだろうと思います。基準どおりにはやっていませんから。手抜きしているんだろうと言われたら、ぐさっと、そのとおりなんですね。ですから、あまり精緻なものが原則だとすると、手抜きと後ろめたさといういかがわしさが伴ってしまう。そういういかがわしさから担当者を解放してあげなくてはいけない。やはり、精緻を極めるよりは、一種の割り切りをするという方向に評価基準を変えるべきではないかと、私は当時思っておりました。その方向に持っていこうとしたんですけれども、私も数年で固定資産税課長を変わりましたので、自分では途中までしかできませんでした。
 ただ、いろいろ勉強はしまして、当時、韓国の評価基準を少し私も勉強してみました。韓国のほうが簡単であります。割り切っております。ですから、精緻ではありません。ありませんけれども、納得してもらいやすいのだろうと思います。ある種の割り切りをしていますから。実は、それをもとに日本の制度も大分改善をしようと私も思っていたのですけれども、先ほど言ったような事情で、時間的余裕がありませんでした。『地方税』という雑誌を講読しておられる方も多いと思いますけれども、そこに書こうと思って準備していたんですけれども、それもできませんでした。実は、私、韓国の税制というものを自分なりに研究しました。特に資産課税の研究をしました。学ぶべきところが多いものですから。基本的には日本の制度を韓国は応用して取り入れています。ですから、原型は日本の制度であります。資産課税は日本の固定資産税でありますし、特別土地保有税なんかも、韓国に仕組みとしては応用されております。ところが、韓国は韓国なりに、日本から持っていった原型をかなり改変しております。それが日本にとってまた大いに参考になるわけであります。日本の制度を変えて運用しているわけですから。
 そういう興味と関心があったものですから研究をしまして、土地税制については考え方をまとめまして、私が固定資産税課長をしていましたときに、『地方税』に比較的長い論文を載せました。引き続き、建物課税、家屋課税についても資料を集めて研究をしていたものですから、続いて第2弾で出そうと思っていたんですけれども、選挙に出ることになりまして、もうそこでぷっつりと研究もやめざるを得ませんでした。資料だけは手元にあるのですが、その間、4年も5年もたちましたから、韓国のほうの制度も変わっていることでしょう。フォローをする余裕もないので非常に残念なんですけれども、当時は韓国の家屋の評価制度を参考にしながら、日本の評価基準の改善もしたいと実は思っていたわけであります。どなたか、志のある方がおられたら、それをされると大いに参考になるのではないかと思って、こんな話を申し上げるわけであります。

5. 固定資産評価員制度について

 それから、評価について言いますと、実は、地方税法にいい仕組みがあるのに、ほとんど運用されていない制度があるんです。それは固定資産評価員という制度です。この中で、例えば市町村の方で、うちは固定資産評価員をちゃんと置いている──ちゃんと置いているというのは、税務課長が兼務しているとかじゃなくて、ほんとうに特別職として専任で固定資産評価員を置いているという方がおられたらちょっと教えてください。
 ちょくちょくおられますね。ちょくちょくおられるんですけど、大半は置いていないんです。評価員を置くとなっているんですけど、置いていないです。みんな税務課長とか担当課長を評価員に任命して、兼任させてお茶を濁しているんです。私は、これはぜひ置かれたらいいと思うんです。見識のある人。評価に対して見識があって、しかも責任を持って納税者の皆さんにも説明できる、議会でもちゃんと説明できる、対外的にちゃんと理屈のついた説明ができる人を評価員として置かれたらいいと思うんです。
 私は固定資産税課長をやっていましたときに、オーストラリアに出張に行ったんです。オーストラリアで資産課税制度の勉強をしてきましたけれども、オーストラリアは自治体に行くと、バリュアーというのが必ずいるんです。その人は、通常の役人ではありません。特別職みたいな人なんですけれども、非常に見識がある。日本の評価員に見識がないという意味ではないんですが、非常に見識があって、きちんと説明されるんです。外国から研究に来た我々に対しても。きっと納税者に対しても、ちゃんとこういう説明をされているんだろうなということが、日常がうかがわれるような、そういう存在でありました。元来、首長は必ずしも税のプロではありません。むしろ、日本なんかを見ると、首長は税に疎いと思ったほうがいいですけれども、それならばなおのこと、バリュアー、評価員がいたほうがいいです。評価の問題については、その人が責任を持って説明する。したがって、議会の同意を得て任命される。それで評価に従事する職員をリードする。そういう制度として、実は評価員制度が地方税法では設けられているんです。  
 非常にいい制度だと思うのですけれども、殆どの団体もそれを利用しないというのは一体どういうことだろうかと私は思うんですけれども、ぜひ、やっていただきたいと思います。これだけ知事が一生懸命言うのだから、鳥取県内では評価員がたくさんいると思われるかもしれませんけれども、鳥取県内の市町村でも置かないんです。ぜひ、皆さんのところで置いてみられたらいいと思います。

6. 評価の広域化について  

 それから、評価も私は広域化したらどうだろうかという考えを持っています。特に家屋の評価などは、広域化して体制を整えられたらどうだろうか。大きな市はいいですよ。ちゃんとした市はいいですけれども、町村の場合は特に、近隣の市町村と一緒になって評価をするというような、そういう仕組みをつくられたらどうだろうかと思ったりもしています。そういうことで納税者にとってわかりやすい制度であり、かつ、納税者にとってわかりやすい仕組みをつくっていくということ、これが分権時代にとって必要ではないか。その中でも固定資産税が一番実践することが多いのではないかと思っております。

7. 情報公開について

 それから、わかりやすいこととこれは同じかもしれませんが、透明性を高くするということが必要です。これは何か。情報公開です。情報公開を徹底する。もちろん課税の問題でありますから、プライバシーの問題などがありますから、それは分けて考えなければいけませんけれども、そうでないものは徹底して情報公開するということです。最近、縦覧制度が変わったようです。大きな前進だと思います。以前は縦覧といっても、その人のページだけ見せて、あと何も見せない。私は固定資産税課長のときに、「縦覧」の「縦」というのはほしいままという意味ですから、ほしいままに見せるということで、しかも課税台帳の縦覧だから、台帳全部をほしいままに見せるのが、これが本来の縦覧制度で、その人の1枚だけをとって、はい、これだけ見なさいというのは縦覧ではないと思っていました。そこで、本来の姿に戻そうということで取り組んだのですけれども、最高裁判所が1ページだけ見せたらいいというような判例を残しているものですから、非常に厄介でありました。
 それで、じゃあ、地方税法を変えようということで準備をしたところで、私、別のポストに移ってしまったんです。そうしたら、後任の人が全然やってくれませんで、もたもたして、やっと最近できましたけれども、当時よりはちょっと後退をしているようです。私は、課税台帳を縦覧してもらったらいいと思うんです。今は縦覧台帳の縦覧というんですか、課税台帳とは別のものをつくって、課税台帳自体は見せないということなんですけれども、課税台帳に見られて困るものは本来ないんです。土地とか家屋の問題は登記簿見たらわかりますし、あとは評価はそれこそみんなに見てもらわなければいけない。比較してもらわなければいけない。これこそ見せるものです。おそらく今、課税台帳自体を見せられないというのは、土地について負担調整をやっていますから、そうすると負担水準が違う土地が混在している。併存している。そうすると、同じ評価額でありながら、隣の土地と税額が違うということがあり得るんです。今の制度上は。それは混乱を生むだろうという、そういう心配だと思います。おそらく混乱を生むはずです。何で評価額が同じなのにおれの土地は税額が高いんだろうかと。いや、あなたの土地は経緯がありましてと、説明するんでしょうけれども、非常にわかりにくいから見せないということだろうと思います。私は、逆にそれを見せることによって、おそらく負担水準の違いの是正をもっとハイピッチで進められるのだろうと思うんです。これを見せてしまえば、怒る人と、よかったと思ってこっそりほくそえむ人がいますから、不公平がわかってしまいます。不公平がわかることが、その不公平をなくす原動力になるのだろうと思うんです。不公平がわかったら困るから見せないということになると、不公平は長く温存されます。
 そういうこともあるので、ちょっとショック療法かもしれませんけれども、課税台帳を全部見せるというほうが私はいいと思って、その方向での改正を考えていました。納税者には説明して、2、3回の負担調整措置の仕組みの改善によって、負担水準の違いを解消してしまおうということを考えたのが平成9年の改正案だったのですけれども、なかなか縦覧の制度は、その後進みませんでしたので、今日のようになっています。でも一応、できたので大きな前進だと思って、私はそれなりに評価をしていますけれども、本来ならば、課税台帳自体を見せるという、もともとの地方税法にあった規定を、本来の運用に戻せばいいだけの話だったんです。まあ、それも含めて、透明性を高くするということ、これが必要だろうと思います。

8. 信頼性の確保

 それから、信頼性を高くするということが必要です。これはどういうことかといいますと、公正でないといけないということです。公正さを欠いてはいけない。それは、先ほど言った、負担水準の違いによって税負担が違うというのは、信頼感にもとる結果になります。ですから、1日も早く、ハイピッチで、ピッチを早めて負担水準の違いというものは解消しなければいけない。少なくとも同じ自治体の中では負担水準の違いは解消しなければいけない。他の自治体との間では違っていても、そんなにクリティカルな問題ではありません。もちろん不公平感は残りますけれども、他の自治体だったらそれは説明できます。許容できます。ですけれども、同じ自治体の中で負担水準が違うものが併存しているというのは、これは1日も早く解消しなければいけない。全く理由がない。経緯だけなんです。経緯も理由といえば理由かもしれませんけれども、今の納税者に対しては全く説明不可能であります。そういうものを早く解消しなければいけない。これが信頼を回復する一つの大きな、固定資産税にとっての課題だろうと思います。
 それから、固定資産税につきものの、非課税と非課税でないものとの認定、これもぜひ徹底してやっていただきたい。一たん、非課税になったら、ずっと既得権になっていないか。土地の使い方はかなり変わっているのに、一たん、非課税と認定したからもう触っていないというようなものがありはしないか、よく点検していただきたい。特例の適用を受けているものもそうです。非課税とか特例というのは、できれば毎年、無理でも数年に1回はちゃんと現況確認をして、それでほんとうに非課税なら非課税の用途として使われているかどうか。そこにそうでないものが入っていないかどうかということは徹底的にチェックをしていただきたい。それがないと、公正さを欠くことになりかねません。
 それから、信頼性を高めるということでは、もう一つ、非常に重要なことがあります。アフターケアです。アフターケアというのは、評価をしたり課税をしたりして、役所が一定の決定をしたり処分したりします。それに対してクレームが出てくる可能性があります。クレームは必ずあり得ます。というのは、人間のやることには必ず間違いがあります。全く完璧で間違いがないということはあり得ません。ですから、間違いがあるということを前提に、我々は仕事をしなければいけない。課税行為をしたり、評価をしたりしたら、果たして間違いが見つかる。そのときに、納税者からクレームが出てきます。それは柔軟に受けとめる必要があります。柔軟に受けとめるというのは、何でも言うことを聞くという意味ではありません。納税者にも勘違いがあり得ます。ですから、確かめてみなければいけません。クレームが出たらまず確かめてみるという、そういう柔軟性をぜひ持っていただきたい。
 中には、クレームが出たら、むきになって、間違っていないと言い張るような人もいるんです。自治体にもあるんです。私が固定資産税課長をしたときに、そういう関心を持って、自治体の話を外部の人に聞いたりすると、評価に対する不服を言おうとしたら、夜、家に市役所の人が来て、絶対やめてくれと言われたとか、不服申立の書類をもらいに市役所に行ったら、そんなものはないと言われたとか、でも、あえて不服申立をしたら、知り合いの市会議員が来て、おまえは何か変なことをしているなといって注意を受けたとか、クレームが出ることに対するアレルギーというのがすごく多いなという印象を当時受けました。
 私はそれは間違いだと思うんです。クレームが出てくるほうが健全なんです。多くの納税者の皆さんに課税行為をするわけですから、その中に1つや2つ、必ず間違いがあるんです。完璧ってあり得ません。間違いを納税者のほうから見つけてくれて、指摘をしてくれるわけです。本来ならば、間違いがないように役所が全部目配りをしなければいけないのに、納税者のほうから間違っていますよと言ってくれるというのはありがたいことです。コストの上でも経済的です。全く間違いがないように徹底しようとすると、ものすごいエネルギーとコストがかかります。何重にも何重にもチェックをすることになるとコストパフォーマンスが極めて低いです。それより、いいかげんにとは言いませんけれども、かなり慎重にして、通知を出して、あとは間違いは自分で見つけて下さいといったほうがトータルコストは絶対安いんです。ですから、クレームが来たときには確かめる柔軟性を持っていただきたい。そして、確かめてみて、役所が間違っていると思ったら、素直に直せばいいんです。納税者のほうが間違っていたり、勘違いがあるようだったら、あなたの勘違いですよと言って説明してあげればいいんです。それだけのことなんです。
 ところが、納税者からクレームがくると、税務課長は、おれの恥だと、絶対そんなことはさせない、はがい締めにしてでも出させないという、こういう悲壮なことを考え、思い詰めるからだめなんです。私は決していいかげんにしろとは言っていないんです。誠心誠意やっていただいて、でも、間違いはあるということを自覚しながら仕事をする。間違いがあることを前提にした補完のシステムが固定資産評価審査委員会であったり、課税行為に対する異議の申出であったり、裁判であったりするわけです。ですから、自信を持って仕事をして、間違っているというクレームがあれば、柔軟にそれを聞き遂げて確かめてみるという、こういう姿勢をぜひ持っていただきたい。この柔軟な姿勢が、税制に対する信頼感を生むわけです。ところが、はなから、絶対におれのところには間違いがないはずだと、クレームを出す方が悪いと、こうなると、信頼感は生まれてきません。不信感が生まれてきます。ぜひ、柔軟な、信頼を得る運用をしていただきたいと思います。

9. 分権時代の税制

 分権時代の税制として大切なことということで、次から申し上げるのは固定資産税に限ることではないのですが、分権時代の税制は、最初に言いましたように、ばらばらになる可能性があります。一律ではありません。一律自体おかしいんです。自治体が3,200もあって、自治体の行政水準は違います。違ってしかるべきです。自治体の行政の力点も違うはずです。うちは教育に力を入れたいという自治体が当然ありますし、うちは土木行政に力を入れたいという自治体があっても、それはおかしくないんです。鳥取県も随分変えました。私が知事に就任したとき、歳出予算の中で一番大きな比重を占めていたのが、だんとつで土木建設費でした。今年から、私、2期目なんですけれども、平成15年度予算は気がついてみたら、ほんとうにこれは気がついてみたら、教育費が一番になっていました。だから、同じ県の中でも力点というのはシフトするわけです。まして3,200もあったら違って当たり前なんです。行政サービスの水準も違います。
 それならば、ほんとうは負担も違ってもいいんです。それを全ての市町村で、固定資産税は、同じ評価基準で評価をして、税率は1.4%より下は絶対ないという線を引いてやっているというのは異様といえば異様なんです。分権時代はこれがばらばらになる。ばらばらに解体される、そういう可能性を秘めた時代なんです。
 何が言いたいかというと、税率は違っていいんです、本来ならば。今でも、標準税率を上回る超過課税はできますから、多少のことはできますけれども、問題は下げられないですね。うちは行政改革をやって税金も下げますというところがあってもいいんですけれども、税金を下げたら、とたんに地方債の発行権能がなくなってしまう。標準税率を下回ってはいけないという規定がまだあるんでしょう。そういうのはこれからは変えなければいけないですね。税率は上にも下にも、リーズナブルに動かせるような、そういう柔軟な制度にしなければいけない。これが分権時代に必要な枠組みだと思います。これは自治体の皆さんにというよりは、中央政府の皆さんに言わなければいけないことであります。
 減税競争になって困るのではないかとの懸念もあります。そういうところもあるでしょう。でも困って、仕事ができなくなったら、また目覚めて、ちゃんとした税金を取るようになります。そこまで中央政府が心配することはないんです。ちょっと過剰な心配を中央政府の人はしているのではないかと思います。
 それから、それと関連するんですけれども、議会がもっと税に関与しなければいけません。地方議会が。日本は地方議会を税の世界から排除する仕組みになっております。毎年毎年、税条例を改正しますけれども、議会で議決を得て改正しているところがどれぐらいあるでしょうか。ほとんどないのではないでしょうか。税条例の改正は全部専決でやっていませんか。議会の議決で税条例を改正しているところはありますか。
 私のところはやっているんですけれども、鳥取県では税条例を県議会にかけています。それは、税法が可決する前にかけているんです。地方税法の改正案を盛り込んだ税条例の改正案を、国会で議決を得る前にかけているんです。せめてもということで。もちろん、中身の審議は正直、できませんけれども。ですけれども、いわば停止条件つきの税条例の改正案のようなものを県議会に出して議決してもらっています。専決を極力避けようということで、まあ、それも苦肉の策ですけれども。今、全国の3,200、都道府県を含めて、税条例を議会で議論して議決するということは、まずやっていないはずです。やれないんです。なぜならば、3月になってから税法が改正されるので間に合いませんよね。少なくとも、私は、地方税に関する法律は、1年前に改正すべきだと思います。これは板倉局長さんにぜひお願いをしておきたいんですけれども、それぐらいの余裕を持って改正をして頂きたい。
 それから、もう一つは、税法を改正するときに、ぜひ、地方団体の選択の範囲を広げ、選択肢をつくる工夫をしていただきたい。何でもかんでも、北海道から沖縄まで全部一律というのは、地方分権時代になじみません。やっぱり地域の実情に応じて、多少の枠があったり、選択肢があったりする。そういう税法であってもらいたい。それを1年前に改正してもらいたい。そうしますと、その枠の中でどういう選択肢を選ぶかということを議会で決めることになりますから、いきおい議会が税条例を真剣に審議することになって、議会で可決をするということになります。しかも時間的余裕を持って。分権時代の税制はそうでなくてはいけない。何でも国が全部決めて、それをそのままうのみにする。しかも、議会の審議を経ないで、全部専決でというのは、分権時代にはふさわしくない税制であります。総務省というのは地方分権を推進する官庁であります。その官庁が、地方分権の一番の基礎である税について、議会に全く審議をさせない。選択の余地がない法律をつくるのは、私は、総務省としての存立意義から見て大きな矛盾だと思います。かく言う私も、実は税務局でそういうことをやっていましたから、自己反省も含めてでありますけれども、ぜひこれからは変えて頂かなければいけないと思っています。議会がもっと活性化しなければいけない。議会なんかにいろいろ言われたらうざったいなと思われている皆さんもおられるかもしれませんけれども、それは不健全であります。議会は住民の代表でありますから、住民の代表の議を経る。そこで承認を得るということを当たり前のこととしてうけとめなければいけないと思います。
 鳥取県では、議会を大きく改革をしてもらいました。議会が自主的に判断をするという、そういう議会に今、なっています。昔は根回しと談合で、議会が議論しないように仕向けていました。私が知事になってから、もう根回しはしませんということで、談合もしません。したがって、疑問があることはどんどん議場で言ってもらいます。嫌なら反対、否決をしてもらいます。そういうことを今やっています。議会の自主立法もできてきました。議員立法です。
 つい先だって、9月県議会が終了しました。いろいろ議案を出しましたけれども、補正予算のうちの大きな部分は、すっぽりと修正されました。一応、形式的には予算の修正でありますけれども、その予算の部分については否決であります。まあ、多少の反対はあるかなと思っていましたけれども、全会一致でその部分は否定されました。というようなことがもう日常的になっています。そんなことされたら、知事は名誉や沽券にかかわるから大変でしょうと、心配してくれますが、全然そんなことはありません。まあ、よかれと思って議案を出すわけですけれども、議員の皆さんがそれはどうかなと言われるのは、それはそれで結構です。ですから、最近、いつもそうですけれども、修正とかは全然珍しいことはない。日常茶飯事であります。そのかわり、議会は議会で責任を負わなければいけない。自分たちで決めたことですから。何でもかんでも執行部の責任だとは言えないわけで、議会は自分で決めたことは自分で責任を持つという、そういうある種の緊張感のもとで今、仕事をしています。
 じゃあ、議会と知事はものすごく対立しているかというと、そんなことはありません。別に仲よしこよしと癒着しているわけでもありませんけれども、そんないつもけんかしているわけでもありません。是は是、非は非で、全く支障はございません。長野県とか徳島県みたいに不信任はありません。否決はあります。そんな関係であります。皆さんのところもぜひそういう議会になってもらいたいし、それから、そういう議会でぜひ、税の問題を議論する。税のあり方について議論する。そういう議会になってもらいたい。そもそも議会というのは税を論ずるところなんです。もともと西洋で議会が発祥したいわれをたどってみると、税の問題を議論しているんです。国王が増税しようとする。それに対して納税者の代表が反対をする。ないしは条件をつける。それが議会の役目だったんです。だから、議会ができたというのは、実は税に対して文句を言う。税に対して注文をつけるのがそもそもの目的なんです。ところが、日本の地方議会は税について全く関与しないという世界でも非常にユニークな議会なんです。そんなユニークな議会は早く解消して、議会が税を論ずる、税を決めるという、そういう本来の議会にしなければいけない。これが地方分権時代に私は必要なことだろうと思っております。
 ちょっとだけ申し上げておきますと、ばらばらになると言いましたけれども、日本の場合には、今、地方交付税ということで財政調整していますので、そことの関係だけはちょっと整理しておかなければいけない。ばらばらになって、税を全然取らなくなって、交付税が増えると、そんなこと ではいけません。それはモラルハザードを起こします。ですから、交付税は一定の基準で、税は取ったものとして計算をする。そういう一つのルールを決めておいて、あとは実際のどれだけの税を取るかというのは、地方団体が決めればいい。そういう財政調整との兼ね合いはちょっと注意しておかなければいけませんけれども、税自体は私はばらばらになったらいいと思うのであります。 そういう時代です。それを心配される人が国にも地方にもおられるかもしれませんけれども、そういう時代が分権時代の税だと思っています。

最後に

 まだまだお話ししたいことはありますけれども、時間が来ましたのでこれぐらいにしておきます。きょうは私なりに、私は税をライフワークにしてずっと来た者の1人なものですから、税について感じること、特に分権時代の税について感じることと、それから、鳥取県で今、税について実践していることを皆さんに少しご紹介を申し上げて、私の話を終わらせていただきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。