V.パネルディスカッション
1 出演者の紹介
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佐藤 英明(さとう ひであき)
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神戸大学大学院法学研究科教授
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東京大学法学部卒業
主な著書: 「脱税と制裁」(1992年弘文堂)
「信託と課税」(2000年弘文堂)
租税法学会理事・運営委員長
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「地方税法における適正な時価」
市町村税収の過半を占める固定資産税は、市町村の行政サービスを支える貴重な財源として、ますますその重要性が高まっています。
地方税法では、固定資産税の課税標準は価格とされ、価格は適正な時価とされています。
不正常要素を割合大きめにみて、適正な時価を求めていた時代においては、適正な時価が大きな問題とされることはありませんでした。
しかしながら、地価下落が引き続く中で、7割評価の水準による評価の適正化・均衡化が図られるに当たり、より適正な時価での課税を求める納税者の意識が高まってきました。
さらに、7割評価が想定する3割の評価誤差率を超えて地価下落した土地の評価について最高裁判決が示されるに至り、適正な時価に対する納税者の関心、評価実務家の意識は非常に強くなっております。
このことは、家屋についても、とりわけ築年数の古いものやマンション等を中心に、同様に関心が高まりつつあります。
そこで今回は、適正な時価を巡る様々な問題点の整理と、固定資産税の価格としてのそもそものあるべき姿など、実務現場にも配慮しながら、幅広く議論を交わして参りたいと思います。
(大会プログラムより)
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渋谷 雅弘(しぶや まさひろ)
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東北大学大学院法学研究科助教授
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東京大学法学部卒業
主な論文:「アメリカの財産税における取得時評価について」
「相続税における財産評価の法的問題」
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平舘 勝紘(たいらだて かつひろ)
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財団法人日本不動産研究所システム評価部長
不動産鑑定士、一級建築士、不動産カウンセラー
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中央大学経済学部卒業
昭和45年 日本不動産研究所入所、平成14年5月より現職
埼玉県上尾市伊奈町伊奈特定土地区画整理評価委員、大利根・
栗橋町土地区画整理評価委員、草加都市計画事業八潮南部中央
一体型特定土地区画整理評価委員、住宅性能評価評価委員、社
団法人東京都不動産鑑定士協会副会長、盛岡市都南地区土地区
画整理事業審議員、東京都地価動向調査委員会委員、地方財政
審議会特別委員
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村田 恭輔(むらた きょうすけ)
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川崎市財政局税務部税制課長
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横浜国立大学経営学部卒業
昭和49年 川崎市入庁
多摩区税務部市民税課・諸税課、財政局税務部収納課・税制課
計理課長・税制係長、財政部庶務課庶務係長、財政局主幹、
税務部収納対策課主幹・課税指導課長
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佐々木 敦朗(ささき あつろう)
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総務省自治税務局固定資産税課長
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東京大学法学部卒業
昭55年 自治省入省
自治省行政局行政課、佐賀県税務課長・財政課長、外務省在連
合王国日本国大使館一等書記官、自治省大臣官房企画室理事官、
神戸市震災対策本部総括局参事・理財局財政部長、自治省財政
局財政課財政企画官、鹿児島県総務部長
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2 パネルディスカッション討議録(資産評価情報 大会特集号(16.1.1号)より)
趣旨(はじめに)
佐藤 神戸大学の佐藤でございます。きょうは各界の皆様と2時間ほどの時間ではありますが、「地方税における適正な時価」という題でお話を進めていきたいと思います。どうぞよろしくお願いを申し上げます。
さて、こういうテーマが選ばれました経緯を簡単に最初に振り返ってみたいと思います。皆様ご承知のように、地方税というのは国税に比べるといろいろな意味で関心を呼ぶことが少なかった時期は長うございました。固定資産税について見てみますと、例えば、この評価には不服であるという不服の申立の数字を見てみますと、平成3年度の評価替えについては約5,700件の審査申出があったわけですが、訴訟というようなところまで行くことはそんなに多くなかったわけであります。ところが、平成6年度の評価替えの際に、この審査申出件数は一挙に全国で2万件を超えるわけであります。その中で訴訟が提起される数も194件と、200件に近づくというような大変な関心を呼んだ時期がございました。
これは平成9年度、平成12年度の評価替えが行われていくに従いまして、だんだんと落ちつく傾向は見せてまいりました。例えば、平成9年度の評価替えの審査申出件数は、前回の約半数の1万741件です。訴訟の提起件数も82件というふうに、ここで1回減ることになります。平成12年度の評価替えを見ますと、さらに審査申出件数は4,400件なにがしというふうに減ってまいりまして、これだけ見ますと、平成3年度の評価替えに関する申出件数とほぼ同じ水準まで落ちついたということができようかと思いますが、その反面で訴訟の提起件数は73件ありまして、関心を呼ぶ話題であるということは引き続き変わっていないのではないかと思うわけであります。
これで1つ、象徴的な例をご紹介したいのですが、皆様の多くもご講読されていると思います『判例地方自治』という雑誌がございます。この雑誌はご承知のように、各種の裁判例を紹介するというものですが、編者のコメントがついているものが結構ございます。平成元年ごろの固定資産税の事案についているコメントですが、こういうものがございました。「本件は審査委員会の決定の取消を求めた事案であり、国税と異なり、地方税に関する事例は少ないので、事案の集積という意味からも重要といえるだろう」こういうコメントがついていた。固定資産税について訴訟が起こるということがいわば雑誌に取り上げられるような時代だったということではなかろうかと思います。
しかしながら、今ご紹介しましたように、決して固定資産税の事案、特に評価が裁判で争われるということはまれではなくなってまいりました。こちらの資産評価システム研究センターの研究会で調べましたところ、昭和63年以降の事案を中心にして集めていただいた資料集には、何と969件の裁判例が収録されております。これは1つの事件が控訴審、上告審と争われれば3件というふうに数えていらっしゃいますし、また、評価にかかわるものがすべてというわけもありませんが、しかしながら、平成に入って非常に多くの事案が固定資産税をめぐって争われてきているということは間違いのない事実と申し上げてよろしかろうと存じます。
その中で、一部の方はご承知かと思いますが、今年に入りまして、6月、7月と、最高裁判所は土地の評価、家屋の評価につきまして非常に重要な判断を示したと言ってよろしいと思います。最終的には裁判で争われる固定資産の評価というもの、そして、その中核をなす適正な時価というようなことにつきまして、きょうは裁判例等の分析を含めてお話を進めていこうと存じます。
1.固定資産評価の実務現場での問題点
佐藤 そこで、最初、導入というようなことでありますが、一体、今、固定資産の評価の現場におきましてどういう問題があるのか、納税者の方々はどのような不満を抱いておられることが多く、また、逆にそれに対応していらっしゃる評価実務の方々にはどういう悩みがあるのだろうかというようなところからお話を進めてまいりたいと思います。
どうでしょう、この点につきましては村田さん、いかがでございましょうか。
村田 トップバッターということで若干緊張しておるのですけれども、今回のテーマであります適正な時価に関しまして、問題提起になるのかどうかわかりませんが、若干発言させていただきたいと思います。
固定資産税評価というのは、ご存じのように大量一括評価を前提としていまして、個別評価とはおのずからその手法が異なるのではないかと理解しております。特に現在の固定資産評価基準に基づく評価が、例えば土地については標準地、または主要な街路の路線価に比準して価格を求める方式を採用しているところであります。また、家屋につきましても、近時の評価基準の改正によりまして、従前、原則として部分別評価であったものが、部分別評価または比準評価、いずれかの方法によると、こういったように改められましたことから明らかなように、大量一括評価を前提として評価方式の簡素化を目指そうとしているものというふうに現場では受けとめております。
評価する側から言いますと、大量の固定資産評価事務を限られた時間と人と財源の下で、最小の経費で最大の効果を発揮するよう、効率的かつ効果的にこなしていくためには、このような評価方式の簡素合理化は今後さらに推進されてしかるべきであろうと思っております。
また、一方、納税者の側からいたしますと、このような評価方式の簡素合理化はわかりやすい評価という点では歓迎される反面、個々の固定資産の評価を、その資産の個別的事情をきめ細かく反映した形で行うべきであろうという要請が根強くございます。特に納税者意識の向上という時代の流れとともに、その傾向が強まっていると感じているところでございます。
おそらくこのような要請がなされてくる背景の一つとしましては、地方税法に定める適正な時価とは、個々の固定資産ごとに、その個別事情に配慮して求めた価格を意味しているという、そういう考え方があろうかと推測されるところでございます。もちろん、私ども評価する側も、全国一律の基準の適用にとどまらず、地域事情や個別の固定資産の価格形成要因を固定資産の評価に極力反映すべく、市町村長の所要の補正を活用して対応してきたところではございます。しかしながら、先ほど申し上げましたとおり、何分にも時間的、人的、財源的制約条件のもとで、大量の固定資産評価事務をこなしていかざるを得ない関係上、おのずとその対応には限界があるというのも事実でございます。
このような中で評価する側としては、個別事情に配慮して、どこまで細かく評価することを地方税法及び地方税法から委任を受けております固定資産評価基準が我々に求めているのであろうかという問いに何とか、予定調和ではございませんが、答えを見出したいと。その答えをもって納税者の理解が得られるところとなれば、これは願ったりかなったりだというふうに考えているのが現在における素直な気持ちでございます。
以上でございます。
佐藤 どうもありがとうございました。
今、土地と家屋の両方を扱ってくださったかと思いますが、評価全般につきまして議論するのは非常に範囲が広うございますから、一応、以後の議論というのは宅地、その中でも市街化、路線価があるところを主たる対象とするということにいたしたいと存じます。それからもう一つ、きょうの議論の中では家屋もできるだけ扱っていこうと思っております。家屋につきましては、出訴というようなことはそんなにまだ件数的にはありませんけれども、きょうこの後で扱います最高裁の判決も家屋にかかわるものでありますし、また、15年の評価替えの減収見込みをごらんになった方は多いと思いますが、そこでもやはり主要な部分が家屋でありますので、家屋についてもなお議論をしていくと、そういうスタンスで話を進めていきたいと思います。
その意味で、家屋と土地と両方についてなのですが、村田さん、納税者が不満を持って、もちろん漠然と、要するに私の税金は高いというところに不満はあると思うのですが、それをさらにブレークダウンするとどんなあたりに具体的な不満というのがございますでしょうか。
村田 やはり、個別の資産価値というのですか、それはいろいろな視点からとらえられるのかなと思っておりまして、例えば、自分が買った値段であったり、自分が売りに出したときの値付け価格、それと市のほうが値付けした評価額との乖差だとか、そういうものが一つの判断基準になっているのではないかと思われます。
とりわけ、最近、不動産市場もかなり動いてまいりましたので、やはり売買実例等が出てまいりますので、自分の財産の市場価値じゃなくても、類似の資産の市場価値に照らし合わせてどうなのかというようなお問い合わせを受ける場面もございます。
佐藤 ありがとうございます。
やはり、漠とだれでも自分の税金は安いほうがいいということは当然思っているわけですが、しかし、抽象的な不満が具体的な不満になるのにはいろいろなきっかけがあるということではないかと思います。特に不動産の評価というようなことになりますと、何か高いのではないかという気持ち。それから、周りと比べて高いのではないかという疑問。それから、今ご指摘がありましたように、自分が買った、あるいは売ろうとした、あるいは類似の土地が売りに出されているというようなときに、具体的な数字があらわれてきて、それと評価額との乖差というようなものが、一つ、納税者が不満を持つきっかけ、あるいは固定資産税によくも悪くも関心を持つきっかけということになるようであります。
そういたしますと、我々素人は自分の持っている宅地の価格、あるいは建物の価格というようなものをダイレクトに知るということは少ないわけでありまして、そういう場合にはやはり専門家のご意見をということで、その最大の専門家は不動産鑑定士さんたちであろうと思います。これまでいろいろな意味で評価実務は不動産鑑定評価を参照しながら、いい意味で協働してきたというふうに外からは見ているわけですが、こちらのほうのご専門であられます平舘さんはどのように固定資産評価、あるいは適正な時価というものをとらえられていらっしゃいますでしょうか。どうぞ、一言お願いいたします。
2.不動産鑑定評価と固定資産評価の相違
平舘 評価のあり方を振り返って、適正な時価というのはどういうふうに考えるか?というのが今度の裁判でもいろいろ問題になっていると思うんですけれども、納税者または住民が抱くところの適正な時価はさまざまだと思うんです。各人がそれぞれ、これが適正な時価じゃないかな!!と考えていると思うんです。
端的に言ってしまえば、私は固定資産税の適正な時価というのは、固定資産評価基準に基づいて出された評価、これが適正な時価と考えております。それはなぜかと申しますと、日常でも適正な時価とか、そういうことはいろいろなところで使われているんです。例えば、今の固定資産税では確かに適正な時価というふうに使っておりますけれども、鑑定士としていろいろな仕事をやっておりますと、例えば公的評価のうちで、相続税評価、これには基本通達というのがありまして、これに基づいた価格は時価であると。その取引、取得したときの時価によると書いてあるわけです。これも評価に基づいています。それから、地価公示というのがありますけれども、土地鑑定委員会は、正常な価格を求めることと、言っているわけです。これも、この方面に携わっている人たちは適正時価、適正価格と、こういうふうに言っておりますけれども、用語では正常な価格というふうに言っております。そのほかに、都道府県の地価調査、同じようなものがありますけれども、これについては標準価格と、こういうようなことで時価を評価しています。
我々も鑑定士として鑑定評価をするわけですけれども、そのとき、価格には4つあります。正常価格、限定価格、特定価格、特殊価格。これは例えば、普通の取引で相対でやっている、何の制限もない、市場性を見ると、こういう意味からは想定上の問題ですけれども、完全市場があったならば取引されるであろうという価格で、正常価格と言っておりますけれども、これも適正な価格です。ただし、例えば、隣の土地を買おうと、こういうような場合、または今ある隣の土地を切って売ってもらおうと、こういうような場合には、普通の場合のときよりも高く買うのが普通です。これを限定価格と言っていますけれども、これも鑑定上は適正な価格と言っています。
こういうふうに、いろいろ用語はありますので、固定資産の評価の場合には、一応、適正な時価というのは不動産の固定資産評価基準に基づく評価から求められた価格だと、考えております。
佐藤 今お話しくださったのは、適正な時価、あるいは正常な価格、あるいは価格といっても正しいと言える価格が、実は例えば同じ土地についてもたくさん考えられると、こういうふうに理解してよろしいわけですよね。
平舘 そうです。その目的によって、それぞれの人が、これが適正だと、こういうふうに考えているということになります。
佐藤 そうすると、例えば住民の方は、あるときは売ろうとする、あるときは、極端に言えば、隣の人が買おう、あるいは隣の人に売ろうというようなことで価格のイメージをつくってしまいまして、それと固定資産税の評価額が大分ずれているのではないか。こういううまく比べられない2つの価格を比べて、それが一つ、不満の原因になっているのではないかというようにお話を伺ってよろしゅうございますか。
平舘 そうですね。けれども、もう少し話を進めてみれば、固定資産評価基準というのは、よくできていると思うんです。土地については。特に、市街地宅地評価法における路線価を求めるための基準については、平成元年でしたか、土地基本法ができてから、公的評価の均衡化というようなことでいろいろ工夫を重ねてきまして。確かに用語等は違います。例えば、状況類似地域というようなことを、鑑定評価上は近隣地域といい、また、範囲も若干違ったりなんかしますけれども、考え方はほぼニアリーイコールになってきて、特に、標準宅地の標準的使用、標準価格を求めるところまでは非常に相互に近接した価格が出てくるのではないかと思います。
それに対して、所要の補正ですとか、そういうことで個別要因も結構補正するようになってきていますから、鑑定士としては、固定資産評価基準に基づいて出した土地の価格というのは、ある程度まではニアリーイコールになっているなと、こういうふうに思っております。
佐藤 鑑定評価のほうで価格には幾つかの種類があるということをおっしゃいましたが、固定資産評価基準とニアリーイコールである不動産鑑定のほうの言葉で言うと、これは正常価格というのが一番ニアリーイコールであると考えてよろしいのですか。
平舘 固定資産評価はあるがままのものを土地を独立させて、更地として評価しておりますので、その範疇においては鑑定評価も独立鑑定評価として、更地としてという評価がありますので、そういうところである程度ニアリーイコールです。ただ、鑑定士の場合には、ある程度、将来の見込みとか変動とかを強目に見る場合もありますけれども、固定資産税のほうではあまり見ていないように感じます。
佐藤 土地を評価するときには、特に固定資産税に関する土地の評価の訴訟などでは、取引価格方式と収益還元方式というのは全く対立するもののように扱われて、現行の評価基準は、例えば取引価格方式を用いているが、実は収益還元方式による価格が正しいのではないかというような、こういう議論がしばしばなされるわけなのですが、こういう議論というのは不動産鑑定評価の理論から議論しますと、どんなふうにとらえればよろしいのでしょうか。
平舘 鑑定評価上は、理論上は3方式は一致すると、こういうふうに考えておりますけれども、これはあくまでも理論であって、例えば、住宅地を評価する場合、その住宅地でも、快適性を重視するような高級住宅地を評価する場合と、アパートとかマンションとか賃貸マンションとかを評価する場合では違いまして、快適性を重視して、ステータスのようなことが価格に反映するというようなものについては、取引事例のほうに重きを置くし、賃貸性を重視するようなときには収益性に重視を置くと。また、商業地についても、自社ビルを建てるようなステータスのあるような地域については、やはり取引事例を主に置く。それから、貸しビル等、収益指向が強い地域については、そういうことを主に置くというように、各地域の価格形成要因によって、その方式の重さに変化を持たせて、それぞれに理由をつけて、重視の仕方を考えながら判定するということになります。
ですから、特に、相反するものだとか何とかということではなくて、これはあくまでも経済学から来ているところの効用ですとか、代替性ですとか、収益性ですとか、そういうものの範疇に入ってくる考え方ですので、どれも相互に補完していると考えたほうがよろしいのではないかと思います。
佐藤 そういう考え方というのは、今の評価基準にも十分生かされているものなのでしょうか。それとも、やや、評価基準のほうは頭が固いなというような印象を持たれるものなのでしょうか。
平舘 先ほどちょっと言いましたように、評価基準がもとになっている路線価方式については、標準宅地をまず評価して、その上で掛け目をつけて、それに掛けてまた比準していくと、こういうふうな方式になっています。標準宅地を評価するのは鑑定士が今のところ評価していることが多いと思うのですけれども、この標準宅地は公示地並みの価格をつけるということになっておりまして、その公示地並みの価格というのは、3方式を駆使してやる鑑定評価の価格である。つまり、ここで出てくる標準宅地の価格は、公示地と同じように正常価格である。正常価格というのは鑑定評価によって求められた価格。その価格については、標準価格ですので、鑑定評価の最有効使用までは出しているのですけれども、通常は標準的使用までの価格を応用して、それで路線地に比較して持っていくと、そういうことなので、固定資産税の場合にも収益価格がその中に全部織り込まれていると考えています。
佐藤 このあたり、いかがでしょうか。村田さん、何かコメントはありませんか。
村田 非常に難しい話なのですけれども、先ほどのお話で、1点確認させていただきたいのは、標準宅地の鑑定価格の基本は最有効使用ではなくて、通常使用と。
平舘 標準価格そのものは鑑定評価額ですけれども、路線地で応用するところの価格は標準的価格と。
村田 ということは、7割にした段階では通常使用価格に落としている。
平舘 まあ、落としてありますよね。
佐藤 7割の点はともかく、まず一番基礎になる100%のところから議論しましょうか。
平舘 鑑定評価を行う場合には、その近隣地域を見廻して、そこの近隣地域におけるところの標準的使用を定めまして、その標準的使用に対する標準価格というものを出します。ですから、ここの一帯のものは標準的には幾らですよという価格を出すんですけれども、それに対して鑑定評価はピンポイントですので、そのものは幾らかと言うことが必要になってくると思うんです。そうすると、これが最有効使用の判断をと、こういうことになりまして、それについて価格を出すと。これが鑑定評価額ということになります。
ですから、標準宅地も最終的には鑑定評価額を求めていますから、総額で幾らと、こういうことになりますけれども、路線価を引くためには1地点が幾らというのではなくて、そこの道路に面しているところの標準的使用における価格が幾らかということなので、まず、その前段階の価格に対して7掛けして使っていると、こういうふうに考えています。
佐藤 今、収益還元方式と取引価格方式との関係について大分議論しているのですが、これはお心当たりのある方もいらっしゃるかと思いますが、特に固定資産税の評価を争う多くの裁判例で、一つの論点は収益還元価格をとるかどうかということであるわけです。そこでは、少なくとも問題の設定が固定資産基準というのは取引事例をもとにしている。しかしながら、土地の価格というのは、本来、収益還元価格であるべきだ、あるいは取引事例価格と収益還元価格は一致するはずだが、日本では一致していないじゃないか、こういう議論をしてきたわけです。
平成13年以降の幾つかの東京高等裁判所の判決というのは、非常に収益還元ということを強調しておったわけですので、そういう枠組みがどうかということを今伺っておったのですけれども、今のお話を伺う限りでは、そういう二項対立のような発想ではなくて、そもそも評価のもとになっている標準宅地には、既に収益性というのは織り込まれているとおっしゃる。この点はこれまでの多くの議論と少し前提が違うなと思って聞いておりました。
もう一つ伺いたいことがあるのですが、土地、特に路線価の引いてある宅地について議論をしてきましたが、建物についても固定資産評価と不動産鑑定評価というものがあろうかと思うのですが、こちらの関係はいかがでしょうか。
平舘 土地については、前は確かに近傍の取引事例と比較してということでやっていましたけれども、今は、標準宅地という鑑定評価をもとにしてやっています。それについてはもともとが鑑定評価上の正常価格なので、客観的市場価値があると、こういうふうに考えているわけです。
建物については、客観的な交換価値というよりは、鑑定評価上で言うところの、再調達原価、これをもとにして固定資産評価のほうは出していると思うんです。通常、不動産鑑定評価においては、建物だけが独立して売買の対象になるというようなことはないのであって、土地建物複合不動産としての価格の中で処理します。建物だけの資産価値は幾らなのかという場合には、鑑定評価上、建物自体ということで独立して評価しますけれども、市場性・収益性は考えません。固定資産評価のほうは、再調達原価ですから、どこにあろうとも価格はほぼ同じということになります。鑑定評価上は、複合不動産としての土地のあり方とのマッチングにおいて価格が出てきます。ですから、建てたばかりなのに、そこには必要のない建物だということになれば、価値はゼロになるというような場合もあるわけなんです。この辺は固定資産税の評価と鑑定評価とでは違うという感じがします。
ただ、鑑定評価の一手法に再調達原価からアプローチする原価法というのがありますので、この原価法については、全く固定資産評価とよく似ているということになります。
佐藤 一般的に用いられるのは原価法という方法ではないわけですよね。
平舘 通常は原価法でやります。ただし、原価法で出てきた答えに対して、そこで終わりにするのではなくて、それに対して土地建物との適合性・適応性ということで、もう一度、全体として、複合不動産としての市場価値を見ると、こういうことになります。
佐藤 今のお話ですと、不動産鑑定評価というものと、固定資産の評価基準による評価というものを比べてみたときに、大ざっぱに市街化の区域の宅地について言えば、これはかなり近いものがあり、両者は接近してきていると考えていいという反面で、建物については、いわゆる再建築価格方式をとっている固定資産評価基準と、不動産鑑定評価の一般的な考え方の一つとはかなり距離があるというようなイメージで私は受け取っておりました。そうであるとすると、このあたりもう少し、必要であれば分けて議論をしていく必要があろうかと思います。
この辺で佐々木さん、何かコメントはありますか。
佐々木 今、鑑定評価との関係で、土地についてはかなり似通っているけれども、家屋については少し異なっているようなものもあるというようなお話がございました。
私ども、固定資産の評価について、原価法とか取引事例比較法とか、いろいろな方法があるというのは、これはあくまでも評価の手法、手段だと考えておりまして、それぞれ資産の種類によって、どの手法が一番適切かということで採用しているということだと思うんです。歴史的にもそうだと思いますし、今でもそうだと思う。基礎データが得られやすいかとか、公平に価格を算定できるかとか、納税者に説明しやすいかとか、いろいろな観点での理由から総合的に考えて、最も適切な手法を採用している。そういう中で土地については評価基準では取引事例比較を基本にしながら、今、宅地については公示地価、鑑定評価というものの7割というものを使っているということです。
一方、建物については、再建築評価をしているわけですけれども、これはやはり建物について、その資産の本来の価値を算定するにどういうものが一番適当かというときに、従来も言われていますけれども、取引の中で家屋だけの価値というものを取り出すのが現実的に難しいとか、あるいは、個別のいろいろな事情が反映されているといったことから、最も公平に、適正に算定できるのは再建築法ではないかということで、この手法が採用されていると思います。
ちなみに、これは最近の判例の中でも、名古屋の高等裁判所の判決というのがあるのですけれども、この中でもこういう指摘がございます。かなり大胆な言い方をしておりますけれども、「家屋の場合には、家屋本来の価値のほかに、敷地の場所的条件や売買当事者の主観的事情によって取引価格は大きく左右され、家屋固有の価格が市場によって形成されることはほとんど期待できない」。ちょっと大胆な言い方をしているのですが、このような考え方のもとに、再建築評価は、同じコストで建築されたものを同じ価格として評価課税する仕組みであり、公平性の確保が強く求められる資産課税の評価方法として妥当なもの、家屋を評価するに妥当なものであるというご判断をいただいているものと思います。これは当然のことながら、大量一括評価という性格からもこういった判断をなされているのだろうと思っているところでございまして、そういった面で、また後から最高裁の判例の紹介などもあると思いますけれども、私どもとしては家屋についての再建築方式というものは、現在の裁判例の中でも支持されている方式ではないかと考えております。
佐藤 ありがとうございました。
今の途中の部分というのは、名古屋の高裁のご判断でありまして、ご所属の固定資産税課の意見ではないということは当たり前であります。
ということは、今の名古屋高裁のような発想をとるということは、建物の固有の価値というのは、敷地と別にあるということを意味しようかと思います。つまり、こういう建物、こういう二階家が北海道に建っていても、鹿児島に建っていても、同じ固有の価値がある。しかし、それは北海道に壁の薄い建物を建てても多分、だれも住めないでしょうし、桜島の灰の降りそうなところに建てるのに適した建物もあるでしょうから、どこに建っているかで本来は大きく価値が変わってくる。そうだとすると、売買の過程、市場というのはそういう意味でしょうが、売買の過程にある建物を、それだけだったら幾らかということはなかなかわからないはずだというのは、名古屋高裁流の判断であり、そこまでおっしゃるかどうかは別にして、建物固有の価値というのはそういうものなのだというのが、今の固定資産の評価基準の考え方であろうと思いますが、渋谷さん、この辺はいかがお考えですか。
渋谷 建物についての再建築価格方式というのは、裁判例を見ても、かなり古くから一貫して支持されています。その意味では、固定資産評価基準がとっている考え方を、裁判例もずっと支持してきているということになるのでしょう。ただ、この点について個人的には若干疑問もないわけではありません。一定のコストをかければ、必ずそれに見合うだけの資産をつくることができるという考えは、あまり現実的でないというか、社会一般からして受け入れられないのではないかと。しかし、先ほどから指摘されているように、固定資産税における家屋の評価というのは、土地と切り離して家屋だけを評価しなければならないものであります。また、家屋というものは、土地建物をまとめて買うという人にとっては、その家屋は無価値であったり、あるいは邪魔だったりするという場合でも、売り手、現に住んでいる人にとっては価値があるというような、かなり人によって、状況によって価値が変わってくるものです。ですから、再調達価格方式を批判するとしても、じゃあ、それにかわるもっとよいものがあるかと言われると、なかなか思いつかないというのが個人的な意見です。
佐藤 そうすると、1つの問題点は、いついかなる場合も、不動産として家屋と土地を分けて評価しないといけないのかというところにあるということでしょうか。
渋谷 もちろん、今の固定資産税の仕組みからは当然そうなってくるわけですけれども、外国の例などを見てみても、これが必然的なものでないことは明らかであると思います。
佐藤 そのあたりは時間があったら、もう少し先に行って議論をしたいと思います。
少し長いスパンで納税者の不満、あるいは評価実務の対応ということを議論してきて、次に、そのほかと申しましょうか、評価基準以外の評価で出てくる代表的なものとして不動産鑑定評価との関係というものを議論してまいりました。
3.最高裁判決(平成15年6月、7月)までの「適正な時価」の判示の傾向と固定資産評価基準
佐藤 そこで、適正な時価という言葉がいろいろな意味で使われておりますが、この言葉がこれほど、パネルディスカッションをしなければいけないほど注目を浴び始めるというのはいつごろだろうかと考えますと、一つの切れ目は平成8年ごろにあったと思われるわけです。すなわち、平成8年よりも前の裁判例の主流は、ご承知の方も多かろうと思いますが、固定資産評価基準に従って算出された評価額というのは、それイコール適正な時価であるというふうに解していた。調査期日が賦課期日より前ですから、たまたま賦課期日現在の価値、時価というものがわかって、それが評価基準による評価よりも低いとしても、それは構わないんだと。評価基準による評価のほうが高いとしても、それは違法ではないということを繰り返し述べていたかと思います。平成8年ぐらいまでの判決です。
それが、平成8年の東京地方裁判所の判決をきっかけにして、適正な時価というのは、その土地の客観的な交換価値だというふうに議論をし、客観的な交換価値よりも高い評価をするのであれば、それは評価基準に従っていても、なお違法となる余地があると議論をしたわけです。これをきっかけにして、大きく裁判例の態度というのは変わってきたのではないかと思います。そこで、ある種の現時点での結論である15年の最高裁判決に話を移す前に、固定資産評価基準というもの自体を、今の段階でどういうふうに考えるべきだろうかということについて少しコメントをいただきたいと思います。
一つは、不動産鑑定評価との関係で平舘さんからは、今の固定資産評価基準に従ったものが固定資産税における適正な時価と考えてよいという肯定的なコメントを先ほどいただきましたが、今の評価基準というのは、そういう意味で、土地についていうと割合肯定的に評価されると考えてよろしいのでしょうか。
平舘 土地と言ってもいろいろあるので、今は、市街地宅地評価法の範囲内においては、私は十分だと思います。
佐藤 ありがとうございます。
渋谷さん、この点についてはいかがですか。
渋谷 私も同じように考えております。固定資産評価基準というのは一般的合理性は肯定できるものだと考えております。ただ、先ほど申し上げたように、家屋については先ほどのような感想を持ってはおりますが。
佐藤 ありがとうございます。この評価基準の元締めであられる佐々木さんと、まさにそれを責任を持って適用していらっしゃる村田さんのほかに、中立的なお2人からも肯定的な評価をいただいていますので、もう少しその話を伺いたいのですが、固定資産評価基準がとっている、先ほど来、少し出ていました7割評価という考え方なのですが、いろいろな意味で適正な評価があるといえばAという適正な評価の7割がBという目的で適正な評価だということで、論理的には矛盾していないものの、7割を掛けるというのはどういう意味なのだろうかと考えることがしばしばあるのですけれども、村田さん、評価の実務の現場では7割というのはどんなふうに理解していらっしゃるものなのでしょうか。
村田 まず押さえていただきたいのは、現在の評価基準というのは、固定資産の評価の均衡適正を確保するために、全市町村を通じて統一した同一の手法でやっていこうという考えに基づいて定められまして、したがって、地方税法においても、現在の評価基準については、市町村長を拘束するものとなっております。
それが定められましたのは38年前後なのですけれども、しかし、その後の展開を見てみますと、その趣旨は、申しわけないのですが、残念ながら、その後十分に評価の現場においては徹底されたものとはならなかったと。それがどこで顕在化したかというと、7割評価を導入した際に、やはり市町村間のアンバランスが顕在化してきたということにあらわれていると思っております。
したがいまして、7割評価の導入はこういった問題点について、地価公示価格または鑑定価格の一定割合を全市町村を通じた共通の物差しとして活用することによりまして、もう一度評価基準の制定時の原点に立ち返って評価の均衡適正を目指していこうというものであろうと理解しております。
また、我々現場サイドからしますと、地価公示価格の一定割合という、納税者にとっては非常にわかりやすい共通の物差しを導入したことによって、評価実務の現場の中で担当者が、ある意味ではいわば、さじかげんで評価を行っているのではないかという、あらぬ不信感を払拭したという意味で納税者の信頼を確保したという点では非常に意義のある役割を果たしたと受けとめております。
佐藤 共通の物差しといい、ある種の評価のアカウンタビリティ、それを増したものだということはよくわかりましたが、それだけだと、やや意地の悪いことを申しますと、7割でも72%でも、80%でもよさそうですが、そのあたりはどうなんですか。
村田 そこは、私も、ですから一定割合と、今、慎重に発言したのですけれども。
必ずしも7割にこだわる必要はないのではないか。もし、3割の乖差がある意味ではアローワンスであるならば、地価の下落局面においては5割評価でもいいのではないか。ただ、問題は、そういったある公的評価、つまり地価公示価格の一定割合、場合によっては100%でもいいと思うんですけれども、その共通の物差しで全市町村が統一して評価の均衡適正をやっていこうじゃないかといったところに、むしろ積極的な意義があったのではないかと解しております。
佐藤 ありがとうございます。
佐々木さん、この点は大体定着して、あまり争われることはありませんが、今の村田さんのお話に何かコメントがあればお願いしたいと思います。
佐々木 基本的には同じような考え方ですけれども、先ほど、片山知事さんから、7割評価の導入の後に、大変な状況だったという思い出のお話もございました。当時、大変ないろいろなご苦労が私どもの先輩、皆さん方の先輩、ここにおられる方も含めていろいろあったのだろうと思っております。ただ、一方で片山知事さんは、現在、負担の水準がばらばらになっていると、この均衡化を進めなければいけないと、それを特に市町村の中では進めなければいけないと、こういうような課題をお話しされました。
村田さんが今、お話しになりましたけれども、この負担の均衡を実現しなければいけないという課題が浮き彫りになったのは、まさにこの7割評価があればこそであったわけでありまして、7割評価という一つの統一的な物差しで、評価については少なくとも統一の基準をしますよと、スタートラインをみんな一緒にして、その後、それに対してその目標にどれぐらいの到達で税を負担するかということを決めるという仕組みになってきたわけです。後のほうの仕組みは、平成9年に片山知事さんが導入をされた負担水準均衡化という仕組みですけれども、そういった意味では、村田さんと同じ考え方になりますけれども、税の第一原則というのはやはり公平という面で、評価がまず公平になったという意味で7割評価は大きな意味があったということに私も同感であります。
次に、7割ということについてなのですが、なぜ7割かという点については、7割評価を導入したときにいろいろな説明がなされていたかと思いますけれども、現在までに至る裁判例、特に最高裁における判決を見ましても、基本的には賦課期日と評価の基準時点というのですか、こういったもののずれというものもあるということを踏まえ、あるいは評価の安全度を見たがための評価と、こういった意義があるとなされているわけであります。今日的な意義、特に地価下落局面での意味としては、そういった説明というものが最も一般的ではないかと思います。
ただ、それでは、7割がいいのか、それより下げるべきか、上げるべきかと問われるとすれば、最高裁の土地に関する、夏に出た判決でいけば、最高裁はむしろ適正な時価というのは地価公示から持ってきていますので、そういった意味ではむしろ地価公示の100%が適正な時価であり、客観的な交換価値であるといったような形での結論の導き方をされているわけです。そういった意味で、今、半年前まで基準時点をさかのぼっていますけれども、半年で3割も落ちるということがないということであれば、8割評価でも9割評価でもいいんじゃないかというような考え方も一方ではあり得るのかなと思っております。
他方で、7割評価に対して、現在、例えば商業地においては、70%の負担水準の条件を加えておるということで、実質的に7掛ける7で49だから、5割ぐらいに下げたらいいのではないかというご意見もございます。ただ、私は、適正な時価という、今の法律の文言があります。その文言をそのままにしておく以上は、なかなかそこから離れた形での評価割合というのですか、それを評価基準の中でどんどん下げていくというようなことは、ちょっと難しいのかなというような、これは個人的見解ですけれども、そういうような印象は持っておりますし、また、現在の地価下落といったものもまだ流動的なところもあります。7割評価というのも、固定資産税独自で決めたわけではありません。相続税とか、いろいろな関係で公的評価の均衡化、適正化の中でできたものでありますから、そういった意味では、現在ただちにこれを変えなければならないというものではないのかなという印象を持っております。
ただ、税負担の問題と、この7割評価の問題を別に議論すべきであるということは常に頭に置いておくべきであると思っております。
佐藤 ありがとうございます。
平舘さん、不動産鑑定評価は100から始まるわけですから、直接の関係ではなくて、相続税は8割とか、固定資産税は7割ということが言われているというのを、評価のプロからごらんになりますとどんな印象を持たれますか。
平舘 昔は、例えば商業地は時価の8%だとか、住宅地は1割だとか、そんな時代もあったように思います。この時価、私の鑑定評価の時価ですけれども。今は、先ほど佐々木さんがおっしゃったように、土地基本法等で均衡化というようなことを非常に強調しまして、公示地をベースにしていると思うんです。この公示地は、先ほど申し上げた鑑定評価で3方式を使って、もし市場があったならば、幾らで売買されるのが適正であろうかということで、公的な売買の場合には、これと規準にしなさいとなっていて、あくまでもこれは売買市場を考えたものです。ところが、相続税はよく8割になっていると言われますけれども、これは一応、申告課税でやっていますので、一応、不服のある人は申し立てる権利があるというようなことで8掛けぐらいがいいんじゃないか。しかも、これは贈与とかを除いて相続以外の場合には所有権が移ることがないということですね。又、現物出資という反面もあります。固定資産税の場合には、実際には売買するということではなくて、一応、課税目的で賦課課税と、こういうことですので、相続よりはもう少し緩めてもいいのではないかと、そういうことで決めたのではないかと、今のところは理解しています。別にこれが5割でもいいのですけれども、一応、だんだん定着してきていますので、これでいいのかなと思います。
ただ、先ほどちょっと固定資産評価基準は鑑定評価基準と比べてどうかという話で、これは適正だということは申し上げてありますし、渋谷さんもそう言っていただいたのですけれども、ただ、今出てくる7割評価に対する価格の点なのですけれども、公示地も固定資産税も更地としての独立評価なんです。日本の場合には、現実に建物があっても、それがないものとしてという評価をやると、これは最有効使用の状態を想定しますので、一番高い値段が出てくることになるんです。現実には家が建っていて、もしかしたら複合不動産としてはもっと値段が低いかもわからない。それなのに公示地・基準地をもとにして出していますから、一番高い値段を出している。それに対して7掛けがいいのかと言われると、ちょっと難しいなという気もしますけれども。
佐藤 ありがとうございます。
4.最高裁判決(平成15年6月、7月)の論理
佐藤 さて、時間も大分進んでまいりましたので、15年6月、7月の最高裁判決について話を進めたいと思います。
渋谷さん、これはまだ公刊されていませんね。
渋谷 ないと思います。ホームページでは見られると思うのですが。
佐藤 すみません、では、だれもが読んでいるというものでもなさそうですので、申しわけありませんが、宅地が6月、そして家屋が7月ですので、それぞれの事案等についてかいつまんでご説明いただけますでしょうか。
渋谷 かいつまむのが難しい判決なのですが。先ほどお話がありましたように、適正な時価ということが裁判上、問題になり出したのは、平成8年ぐらいからです。これはもっともなことでありまして、平成6年評価替えの7割評価の導入というところから問題が始まっているわけです。それまでは土地の固定資産税評価額は実勢価格の一、二割程度だったと思いますが、これぐらい実勢価格と評価額がかけ離れておりますと、両方の関係が問題になるということはあまりないわけです。しかしながら、7割評価ということになると、従来よりはずっと評価額と実勢価格が近接してくることになります。さらに、地価下落傾向などが重なりまして、場合によっては両者が逆転するということなどがあり得る、そういった事態が起こってきたわけです。
そういうわけで、この7割評価のもとで適正な時価ということが裁判上問題になってくるのですが、これについて見るために、まず最高裁の6月の判決の一審に当たるのですが、東京地裁の平成8年9月11日判決から見ておこうと思います。
(注:6月の判決は、民集57巻6号723頁に掲載されました。)
この判決は、平成6年度の評価替えに関するものです。このときの評価替えについては皆様ご承知のことと存じますが、平成4年7月1日が価格調査基準日とされておりまして、さらにそれに加えまして、平成5年1月1日までの地価変動に伴う修正が行われております。しかし、平成6年度の評価替えにおいては、賦課期日は当然、平成6年1月1日なのですが、平成5年1月1日から平成6年1月1日までの地価変動というのは考慮されていなかったわけです。
この事案について、この判決は、次のような判断基準をとっております。まず第1に、評価基準に従った評価がなされているかどうかを審査する。第2に、評価基準が一般的合理性を有するかどうかを審査する。3番目に、標準宅地の価格が適正であるかどうかが審査される。そして、この3つが立証されたとしても、なおかつ、登録価格が土地の客観的時価を上回るときには、その登録価格の決定は違法になるということを言っております。
この事案では、平成5年1月1日から平成6年1月1日までに、標準宅地の価格の下落が3割を超えていると認定されています。32%ないし33.75%だったのですが。これは公示価格の7割水準で評価するということを考慮しても、なおかつ標準宅地について客観的時価を上回っているのではないかということになったわけです。
では、この判決ではどうしたかといいますと、この標準宅地を平成6年1月1日の公示価格並みで評価して、それに基づいて争われている土地の評価を行いました。ここで注意すべき点は、平成6年1月1日の公示価格の7割水準で評価したのではなく、公示価格並みで評価したという点であります。ですから、結論的には標準宅地について32%ないし33.75%の差である2%分ないしは3.75%分が違法ということになったわけであります。
この東京地裁判決について、さらに控訴されたのですが、それが棄却されて、さらに上告されたというのが平成15年6月26日判決であります。この最高裁判決はどういう考え方をとったかということですが、まず、土地課税台帳等に登録された価格が、賦課期日における当該土地の客観的な交換価値を上回れば、当該価格の決定は違法となるとしております。
そして、評価対象となる宅地の価格が、賦課期日における客観的な交換価値を超えるものではないと推認するためには、標準宅地の適正な時価として評定された価格が、標準宅地の賦課期日における客観的な交換価値を上回っていないことが必要であると言っております。
ですから、ここでは標準宅地の評価というのが問題にされているわけです。この標準宅地の評価がどうだったかというと、これは一審以来の事実認定に基づきまして、標準宅地の適正な時価として評定された価格が、標準的な賦課期日における客観的な交換価値を上回っていると認定されたわけです。そこから、その評価対象の土地についても客観的な交換価値を上回るものではないと推認することができないということになってしまいますので、結果的に6月の判決においては一審以来の判断、登録価格が違法であるという判断が維持されております。
次に、7月の判決ですけれども、こちらは家屋に関する事案を扱ったものであります。この判決の原審、これがちょっと特殊な判決なのですけれども、この原審では、不動産鑑定士の鑑定評価書を根拠として、市長による建物価格の決定を違法であると判断しております。これはかなり訴訟の経緯も特殊だったらしいのですけれども、これについて上告されたのがこの事件でありまして、これに対して本判決は、平成15年7月18日の最高裁判決になりますが、次のように言っております。
市長が建物について評価基準に従って決定した価格というのは、特別の事情がない限りは、適正な時価であると推認するのが相当であるとまず述べております。そして、この事件の具体的な事案について、先ほど、不動産鑑定士の鑑定評価書を根拠にしていると申し上げましたが、この鑑定評価書を見ても、特別の事情がうかがえないということで、評価基準に従って決定した価格を適正な時価であると推認し、原審を破棄、差し戻ししております。
この2つの判決について見てみますと、どちらもやや特殊なところを抱えている事件なんですけれども、まず最初の土地についての判決のほうですが、これは一般論としてはかなり厳しいことを言っているわけです。評価基準にのっとって評価しても、客観的時価を上回る場合には違法であるとか、法は評価基準に客観的な交換価値を上回る価格を算定することまで委ねたものではないなどと言っております。しかし、具体的な事案を見てみますと、これは結局、標準宅地の価格の認定によって問題を処理しています。評価対象となった個々の土地について、実際の価格を認定しているというよりは、標準宅地のレベルで問題を片づけているわけです。なおかつ、この標準宅地の価格の認定についても、具体的に鑑定評価を行うというよりは、むしろ、標準宅地のあるところの地価下落、1年に30%以上下落したということですが、そのような特殊な事情があったものについて、30%を超えた部分、2%ないし3.75%分、これだけが違法であると判断したというものであります。
それから、次に、家屋のほうについて見てみますと、こちらは原審のほうが不動産鑑定士の鑑定評価書に基づいて登録価格を違法としたという、かなりかわった判決なんですけれども、これに対して特別の事情がない限りは、評価基準が定める評価方法によって評価された価格が適正な時価であると推認されると言っております。推認ということですから、必ず適正な時価になるということではないのですけれども、特別な事情がない限りは適正な時価と扱われることになるわけです。
こういうわけで、一般論として言っていることはともかくとして、個々の事案をよく見てみますと、それほど極端なことを言っているわけではないし、かなり事案としても限られたものではないかと私は個人的には考えております。
佐藤 どうもありがとうございました。
まだどの辺が勘どころかというのがぴんと来ないところもあるのですが、6月の宅地のほうの事案について、当該の評価ではなくて、標準宅地のレベルで問題を片づけていると、今、おっしゃったかと思いますが、その意味しているところはこういうことでしょうか。客観的な交換価値を上回った登録価格は違法であると言っているけれども、じゃあ、どうやって客観的な交換価値というのを見出すのかというと、当該土地の鑑定評価書を持ってきて、それと登録価格とをぶつける、比べるという手法をとることを、少なくともこの判決において最高裁が認めていない、そんなふうに理解してよろしいのでしょうか。
渋谷 認めていないというか、そういう事案ではなかったということです。そこまではこの判決は及ばないということになるでしょうか。
佐藤 私の懸念はこういうことなのですが、評価基準に従っていても、なお違法になるかもしれないというのが一般論ですよね。どうすればいいんだ、何がこれから起こるんだというのが、やはり多くの評価の実務の方々の関心ではないかと思うんですけれども、そのときに争われ方として、当該土地あるいは当該建物の鑑定評価書を持ってこられて、それと登録価格を比べて、登録価格のほうが高ければ違法であるというような争い方が一般的に認められるのだろうかというのは、大きな関心事ではないかと思うんです。宅地と家屋というので、性格的に差があるかどうかもあわせて伺うべきかもしれませんが、家屋のほうを見ますと、控訴審段階では鑑定評価書が出てきて、その鑑定評価書には格別おかしなところはないから、これは客観的な時価だという判断で登録価格のほうを違法とするわけですね。それを最高裁はひっくり返して差し戻している。片や、納税者のほうが結論的には勝訴している宅地のほうを見ても、評価基準をすっ飛ばしてといいましょうか、それとは無関係に客観的時価というものを観念しようとしているのではなくて、標準宅地を経由して、評価基準を使って、当該土地の登録価格の違法を言おうとしているというような点ではよく似ているのかなというふうにも見ているものですから、その意味で、客観的交換価値という一般論と、評価基準との関係といいましょうか、そのあたりをどんなふうに理解すればいいのかという点について、もう少しお話をいただけますか。
渋谷 まず、客観的交換価値をその土地の鑑定評価によって立証しようとした場合のことですけれども、これは実際のところ、どちらのほうが説得力があるか、証拠として重きを置かれるかということになるかと思いますが、これまでの裁判例の傾向などを見る限りでは、おそらくは評価基準による評価のほうが適正な評価である、より信頼できる評価であるということになるのではないかと思います。なおかつ、評価基準による評価のほうは、7割水準で評価するということになりますので、30%分、安全性を見ているわけです。ですから、その分でも違法とはされにくい。評価基準による評価が客観的交換価値を上回るという決定はされにくいということになろうかと思います。
この2つの点で、争われている土地について鑑定評価をぶつけるというやり方では、なかなか納税義務者のほうは勝訴しにくいのではないかと思います。ただ、現在のところ、下級審判決の動向にも若干不安定なところがありますから確実なことは言えません。最高裁判決自体からそこから読み取れるわけではありませんし。ですから、あくまで私の予想ではありますが。
佐藤 ありがとうございます。
5.最高裁判決を評価実務の観点から見て
佐藤 佐々木さん、少し伺いたいのですが、6月の最高裁判決というのは、考えようによっては非常に怖いところがありまして、評価基準によって評価をしていても、裁判所はそれを違法と言うことがあるという一般論と、かつ、2%ないし3.75%分ではありますが、違法という具体的な判断も下されたわけですが、これを評価実務というような観点で見ましたときに、どんなふうに理解すればいいのだろうかという指針のようなものを少しでもお示しいただけるとよろしいのかと思いますが。
佐々木 家屋のほうも含めて説明させていただいてよろしいですか。
実は、土地の裁判も家屋の裁判もそうなんですけれども、この間、ずっといろいろな地裁レベル、あるいは高裁レベルでもさまざまな判決が出ておりまして、ある意味では実務に携わる皆様方、あるいは私どももかなりいろいろな幅のある判決が出ておったものですから、ある意味では非常に不安も抱えながら、どんなふうな最高裁の判決が出るのだろうかというようなことを非常に興味を持っていたというのが正直なところでありました。
そういう観点で、実務という観点から見て、この土地に関する最高裁判決と家屋に関する最高裁判決に関して一言で言うならば、皆さんは、評価基準に従って安心して評価をしていただければいいということでありますが、一方で、安心し過ぎてもらっては困るということかなと。当たり前のようでありますが、そういうふうに思っております。
まず、判決で評価基準の位置づけがどのようにされているかということですけれども、確かに、今、渋谷先生のほうからお話がありましたように、土地の事案については委任というのはかなり評価基準に冷たいような表現をしているわけなんですけれども、実際には客観的交換価値を超えているという部分、これは原審の判断を最高裁が支持したという形になっておりますけれども、客観的時価を超える、要するに3割を超えているという部分については、標準宅地から比準をしてくるという方式でありますとか、あるいは画地計算方式、あるいは地価公示を使うということを含め、基本的には裁判所も評価基準を使ってやっております。ただし、その中で、ずれている部分はだめよという形で判断を下したということであります。この土地の事案も、明確には言っていませんけれども、評価基準の一般的な合理性というものは理解を示されたものだと考えております。
それから、家屋のほうの7月のほうの判決ですけれども、これは評価基準の定める評価法では算定できない特別の事情が存しない限り、適正な時価と推認するのが相当と、はっきり書いておりまして、そういった意味では、土地の事案、家屋の事案、結論の出方が若干違っておりますけれども、基本的に共通の考え方は評価基準の合理性が一般的に認められました。ただし、算定結果が適正でない何らかの特別の事情というものがきちっと具体的に立証され、認められれば、それは適正な時価ではないと、その限りで違法ということはありますよと、こういうことがいずれも判例の結論だろうと思っております。
具体的な実務に与える影響という意味では、土地のほうは、当時1年間で3割以上の地価公示の下落というものがあって、1年間までしか当時はさかのぼらなかったものですから、30%以上の地価公示の下落相当分について違法とされたわけです。これは皆さんご承知のとおり、平成9年度の改正で下落修正を半年前まで反映できることとされたこと、あるいは、将来にわたってどうかはわかりませんけれども、少なくとも近年の地価動向からすれば、半年で3割、公示地価が下落をするというような事態は発生することは考えられないような状況でありますので、実務としてこの点を心配する必要はないのではないかと考えている状況でございます。
それから、家屋についても、このケースで特別な事情が立証されていないとされたわけですけれども、この中で、さっきも少し触れましたけれども、再建築法、再建築評価という方式についての一般的な合理性もあわせて支持されたのではないかと考えております。
ただ、さっき安心してやっていただいていいと申し上げましたけれども、結果が適正でないという証明がなされれば、特別の事情があると認められれば、それは違法の可能性があるという留保がされているわけであります。したがって、個別の事案においては、もちろん評価基準の運用というものが基本になるわけですけれども、評価基準といっても100%、全部が全部機械的に算定できるようになっているわけではありませんし、最終的に評価基準をそれぞれの土地なり建物にあわせて、どういうふうに適用していくのか、あるいは先ほど村田さんからもお話がありました、補正をどのように適切に運用していくのかということによって、総合的に適正な価格を求めていくということが我々の使命であるということは常に頭に置いて評価に当たっていただきたいと考えているところでございます。
佐藤 ありがとうございます。
村田さん、いかがですか。
6.このような判決の下で今後生じる問題
村田 少し話させていただいてよろしいですか。
これは評価庁の話ではなくて、審査庁の話になろうかと思うのですが、今後の問題として少し提起させていただきたいのですけれども、固定資産評価審査委員会における審査対象の範囲に関係する問題でございまして、固定資産評価基準は、皆さんご存じのように、市町村長に対する法的拘束力を有しておりまして、市町村長はこの基準によって固定資産の評価をして、価格を決定しなければいけない。そういう意味では、評価基準によらずして行った評価というのは違法なわけであります。そういうことから、評価基準は審査委員会の審査自体の基準としての性格を有するのではないかと理解しております。したがって、審査委員会が審査するに当たりまして、要するに、評価基準適合性の審理を行えばいいのではないか。つまり、評価基準によって評価が行われて、誤りのない価格が台帳に登録されていることを審査すればいいというふうに地方税法は要請していると理解していいのではないか。これは現場の思い込みもございますが、このように従前から受けとめてきたところでございます。
先ほどるる説明がございましたけれども、今回の判決がこのような考え方に修正を迫るものであるのかどうかという点でございまして、具体的には地価の下落局面において、価格調査基準日と賦課期日とのタイムラグによって、固定資産評価額が賦課期日現在における適正な時価を上回る場合がございますので、その際に台帳登録価格の適否を審査委員会が判断する上で、いわゆる逆転現象の有無をチェックする必要があるのかどうかという点が1点ございまして、仮にその必要があるとした場合に、先ほど佐々木課長からもお話がありましたけれども、3%、何%というお話がございましたが、上回った部分について価格の修正裁決をする必要があるのかというような点について、いわば地方税法上、審査委員会の判断事項としてどこまで要請しているのかという点については、どのように整理されるのか、現場として非常に大きな関心を抱いているところであります。
佐藤 ありがとうございます。
では、そこで、今、せっかくお出しいただきましたので、審査委員会の機構にも少し踏み込んでみたいと思います。
渋谷さん、今、提起のありました審査委員会は、法律上、固定資産評価基準に明確には縛られている文言はないわけですが、そういう法制のもとで、審査委員会の審査の範囲というものはどういうふうにお考えですか。
渋谷 この問題については2つに分けて考えないといけないと思います。
一つは、どこまで審査できるのか。言いかえれば、評価基準に拘束されるのかどうかということですけれども、これについては明確に拘束されるという規定がないことと、それから、わざわざ審査委員会のような機関を設けられている以上、独立性を尊重して考えるべきであるということからして、評価基準には拘束されない。広く審査ができると考えるべきであると思います。
もう一つの問題として、それではどこまで審査しなければいけないのか。つまり、この程度の審査ではちゃんと審査したとは言えないとして、この審査決定が取り消されるということにならないようにするにはどうしたらいいかという問題です。これについては基本的に評価基準適合性を審査すればよいのではないかと考えています。なぜかと申しますと、審査委員会の審査というのは、短期間で裁決をするということが予定されているものですし、また、最近の地方税法の改正でも、迅速で簡易な審査をするという方向に改正がなされています。なおかつ、さまざまな裁判例を見ても、評価基準の一定の合理性というのが肯定されており、評価基準に従って評価をしておけば、適正な時価が出てくると推認されると判断されておりますので、その点からいって、評価基準適合性がきちんと審査してあれば、審査手続き、審査の過程が違法であって、審査決定が取り消されるということにはならないと考えております。これは私の個人的な意見ですが。
佐藤 ありがとうございます。
引き続きということになろうかと思いますが、こういう最高裁の判断のもと、すなわち、基準の一般的な合理性は認めるという考え方のもとで、あえて審査の申出をするという場合には、およそ納得できないから、新しい、より証拠力があると納税者が思うような鑑定評価書を出してくるというのが一つのパターンだと思いますが、もう一つの考え方は、一般的な基準の合理性を覆す特別事情があるということを主張してくるパターンだと思うんです。それは、この具体例でいえば、例えば本件で標準宅地を含む地価公示の地価が3割以上下落していたというのは特殊な事例だと思いますし、あるいはこの標準宅地の評価についてこういう特性があるのが認められていないという議論、こういう議論はあり得ると私は思うのですが、そういう場合は評価基準の適合性のみでは不足するのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
渋谷 納税義務者が具体的に問題にしてきた事柄、例えば、1年間に3割以上価格が下落していると。これについて何も答えないということだと、そもそも審査委員会のような機関というか、あるいは審査申出という制度がある意味がありませんので、そのように具体的に特別の事情が示された場合には、当然、何らかの答えをしなくてはいけないと思います。
佐藤 そうすると、やはり、評価基準の適合性を審査すれば足りるのではなくて、納税者に親切に応接をするということが必要なのではないか、ごく平たく言うと、そういう理解を今いたしましたが、村田さん、いかがですか。やはりその辺は実務上は難しいとお考えなのでしょうか。
村田 例えば、具体例で言いますと、標準宅地の鑑定がございますよね。市が行った鑑定。それに対して別の鑑定士さんを立てて、鑑定評価書をぶつけてきた場合に、審査委員会としてどこまで踏み込んだ審査を行うべきかというのが一つのケースとして考えられると思うんですけれども、これは私見になりますけれども、一つは、鑑定士さんというのは国家試験を通っていらっしゃった有資格者という意味で、それなりの識見を有する方であるということが一つと、もう一つは、同じ鑑定士さんでも、ここにいらっしゃるので失礼に当たるかもしれませんけれども、値幅があるだろうということで、これは例に出すと非常に悪いのですが、例えば地価公示価格でも、最近はどうかわかりませんけれども、AB鑑定が行われておりまして、その中で比較考慮して値付けがされるということもございますので、あらかじめ鑑定価格にも値幅があるだろうと。
そうしますと、やはり私どもとしては、市の鑑定士さんがやった鑑定価格に著しい不合理性がない限りは、与件のものとして審査していただくのがよろしいのではないかと考えているところでございます。
佐藤 村田さんのご意見でも、また、渋谷さんのご意見を素直に理解したところでも、今回の裁判が下されたから、ただちに審査委員会がより能動的に動く義務を負ったというところまではないということだと、理解をいたしました。ただ、このような、まさに評価基準の道筋に従いながら、しかし、特別事情をそこに織り込むというような判断枠組みを最高裁判所が示しましたことから、直接、自分の土地の鑑定評価を持っていて、これは登録価格より安いという主張の仕方はだんだんしにくくなっている。それは証拠力の問題ですから、最終的にはできるんですけれども、しかし、最高裁のロジックに従うと、しにくいところがあるだろうと思います。それにかえてどういうふうに争うかというと、本件の特殊事情であり、その一つの例は標準宅地の評価が違うのではないかという、そういう議論だろうと思います。
あれは平成15年に入ってからでしたか、東京地方裁判所の事例で、標準宅地の選定が間違っているという判断を下されて評価の違法が判決されたものがあったかと記憶しておりますが、例えば、そういうふうに標準宅地について鑑定評価書なり、あるいは選定の合理性なりを争うというのが一つの争い方のスタイルになり得るだろう。なるかどうかわかりませんが、なり得るだろうと個人的には考えておるんですが、こういう場合について、さらに波及するという問題は、渋谷さん、あまりありませんでしょうか。
渋谷 波及ですか。
佐藤 例えば、審査委員会にこういう形で申出があると、標準宅地の選定が必ずしも合理的でなかったということを申し立てる。これが特殊事情ですよね。それには応接すべきだろうというのが渋谷さんのご意見でしたから、調べてみたら必ずしも標準でない宅地が選ばれているという場合には、審査委員会はこれに応接するわけですね。
渋谷 そうですね。
佐藤 そうしますと、その標準宅地の評価なり選定なりを、その本件にだけ変更するのが審査委員会の役割ということになると思いますが、その後始末のようなものはどういうふうにお考えですか。
渋谷 あくまで審査委員会のするべきことは、不服があった固定資産についての審査です。そこから先は市町村の課税部門のほうの仕事ということになると思いますが。
佐藤 佐々木さん、課税部門の仕事というふうに振られていますが、こういうことについて、どんなふうに考えればいいのか、何か手がかりでもあればお教え願えますか。例えば、これからどういうふうな形で争いが起こるかということを変えたときに、1つの例は、固定資産評価基準の適用にどこかおかしいところがあるというふうに主張しないとうまく通らないようなので、例えば、標準宅地のようなものが争われるということの効果なのですが。指針のようなものがあれば。
佐々木 標準宅地の問題に直接お答えできるかどうかあれなんですけれども、先ほど、村田さん、渋谷さんからもお話があったのですが、審査委員会における対応ということでは、もちろん評価基準に基づいた評価ということが原則だと思うのですけれども、多分、土地の最高裁判決の場合は非常に特殊な事例だったので、30%以上落ちたか落ちていないかという特殊な事例だったと思いますけれども、現実のいろいろな争いというのは、うちの土地はもうちょっとこういう特殊な事情があるよとか、さまざまな個別の事情を主張して争われることがあるわけです。固定資産の評価基準といいましても、自動的に決まるものもあれば、ある程度、どういうふうに適用していくかということを考えて適用していかなければいけないところもありまして、現実に、例えば審査委員会に鑑定評価書が出てきて、評価基準に基づく評価でこうなっているけれども、鑑定評価書はこうだというふうに争いになって、個別の事情をこう見るのが正しい、正しくないの話になったときに、もちろん評価基準が原点であることは言うまでもないと思いますけれども、その評価基準で見ている減点補正の考え方とか、あるいは特殊な事情の適用の仕方というものが違う適用の仕方をすべきではないかという立証、反論が、具体的ないろいろな事実を含めてあった場合には、固定資産評価基準の適用の範囲内ででも、当然、審査委員会が別の決定を下せるということはあると思いますし、そういった意味では固定資産評価基準にのっとっていさえすればそれで問題なしということではなくて、審査委員会としては固定資産評価基準の適用なり運用の仕方として別の判断があるというような結論の下し方も、当然あるのだろうと思います。
そういったときに、今回の裁判例の大きな意義というのは、別の鑑定評価書が出てきたから、じゃあ並列に並べてどっちが勝つかということではなくて、まずは基本は評価基準に基づく評価がありますよと。それにそぐわない特別な事情というものが具体的に立証されたときに、それはやはり審査委員会というものが、そのものを説得力があるなと、特別な事情というものが確かに現実に評価されているものと全然違うということが、具体的に立証なり確認なり心証があるということであれば、それは審査委員会が具体的に決定を変えるということはあり得ると思います。
それから、今のは審査委員会の話ですけれども、実務という面では、大量一括評価ですから、どうしても限界はありますし、先ほど言った3割の話なんていうのも、評価実務の時点では絶対にわかり得ない話でありますから、片山知事さんが最初にお話しになりましたけれども、やはり実務というのは大量一括評価の中で一定の基準で評価をたんたんとしていくというのが、この評価基準の考え方でありまして、間違っていれば、それは審査委員会なり、そういったところで個別に納税者からお話を聞いて修正をしていくんだというシステムがとられているということを率直に受けとめていただいて対応していただいたらいいのではないかという気がしております。
審査委員会で間違い、修正があったから、実務者の作業が全部おかしかったということではないと。個別に結果が違っていたというのはあるかもしれませんけれども、そういった仕事の仕方がおかしいと否定されることではないということを、まず、皆さん方も自信を持ってやっていただきたいと思います。
佐藤 ありがとうございます。
7.固定資産税評価はどうあるべきか
佐藤 そろそろ時間も過ぎてまいりましたので、最高裁の判決から離れて、この際ですから、固定資産税におけるある種の宅地、あるいは建物の評価方法全般について、もう少しお話を伺いたいと思います。
固定資産税の評価についてたくさん争われているということを冒頭に申しましたが、納税者の主張、それから、それに応接する裁判所の判決文等を見ていて、若干気になることが1点あります。それは途中でも出てまいりました負担の問題なのですが、確かに土地の値段が下がっている。あるいは、不況ということもある。税金が重いという、そういう固定資産税の負担の問題が非常に今のシステムの中では、多く評価に集中して争われている。本来、評価というのは、正しく評価するといいましょうか、格好よく言えば、科学的に認識をするというような問題であって、そこからどれだけの税負担が生じるべきかというのは制度の問題として、おそらく切り離せるはずだろうと思うんですけれども、どうもそこが直結すると、例えば、この土地から得られる収益を超えて課税をしてはいけないというような裁判例も見られるわけですけれども、そんな、少しねじれた理解になるのではないかと思います。
その意味で、ちょっと負担ということからは切り離して評価というのがどうあるべきかということを少し伺えるとうれしいなと思うのですが、最初に、最高裁は客観的な交換価値というのが適正な時価だと申しました。最高裁がそう言ったから、じゃあ、客観的な交換価値とか、適正な時価というのが1つに決まるかというと、これは到底決まりそうにないように思うのですが、時価にはいろいろな考え方があるとおっしゃいました平舘さん、いかがですか。最高裁は客観的交換価値といえば、1つに決まるような理解をしているのかなと思うのですが、そのあたり、私の問題提起に限らずにお話しいただけませんか。
平舘 やっぱり固定資産の評価というのは、一括大量評価だと思うんです。ですから、バランスが非常に必要ではないかと思うんですけれども、今、いろいろ問題になっていました、地方裁、高裁、最高裁の判断を見ていったり、コメントを見てみますと、やはり裁判所は法律の塊ですので、これは反面教師として、もし、この裁判で勝てるとしたらどういう方法をやればいいのかと考えていたんです。
そうしますと、例えば、裁判所の考え方は、一応、固定資産評価基準というのは準法律だと。こういう仕事をやっていくための準法律的取り扱いをしているんだと読み取れるわけです。ですから、適正な時価というのも、また客観的交換価値というのも、実際の市場での交換価値という意味合いではなくて、固定資産税評価上のそういう客観的交換価値というふうに私は見ました。
ですから、これは先ほどいろいろな方がおっしゃっていましたけれども、固定資産評価基準にのっとっていろいろな仕方をやっていけば、まず法律的には間違いがないじゃないかなと。そうすると、この裁判で勝つためには、建物については、さっき片山知事もおっしゃっていましたけれども、また、最高裁のコメントにもあるように、今、行っている固定資産評価基準の建物、家屋の部分で、これが実際の今の社会の状態に合っていないんだということで、これを訴えるしか、家屋については勝てないんじゃないかなと思ったんです。
それから、土地については、標準宅地ですね。ここに鑑定士の人もたくさんいらっしゃいますけれども、ここを訴えるのがいいんじゃないかなと。それも、固定資産評価基準は準法律的にやっていますけれども、標準宅地の選定の仕方ですとか、そういうものは各市町村が鑑定士と合わせて公示地等の選択基準をもとに選択しているんですけれども、これはあくまでも経済人として、また、社会人として、常識の範囲内でこれが標準であろうというようなことで選択しているだけで、法律で守られて選択しているわけではないですから、ここについてよく検討をしないといけないなと。
もう一つは、個々の評価をやった鑑定評価書の開示ですよね。鑑定評価書の中身を開示されたときに、何か違っていることがあれば、これは間違いと、こういうことになって、攻めるのはやはり標準宅地の問題と、もう一つは、当該課税宅地については、やはり所要の補正が社会のニーズに合っているかどうか。また、この所要の補正を説明できるかどうかと。これが反面教師としては攻める口ではないかと、こういうふうに思いました。
佐藤 非常に実践的なコメントをいただきまして、守り側と攻め側と両方聞いていらっしゃるんでしょうから、行司もちょっと困るんですが、土地の評価について争いを提起する、もちろんこれは納税者の権利でありますから、それは当然の行動であると思います。そのときに、今、示唆してくださったのは、一つは、固定資産評価基準適合性というレールに乗りつつ、大もとである標準宅地というものについて争いを提起するという方法がある。逆に言えば、受ける側はそこを守っておかないと危ないかもしれない。もう一つは、逆に、当該土地の特殊性という、非常に個別のほうに偏ってというか、視点を移して、そこで議論をするという、そういう考え方があるだろうというご示唆でありました。
渋谷さん、今、平舘さんのご意見の中では、最高裁は評価基準を準法律のように見ていると、我々的に言うと、おそらく法規範性のあるものとして見ているというご説明がありましたが、その点は同じご意見ですか。
渋谷 なかなかこれも簡単には答えにくいところなんですけれども、観念的にというか、あるいは率直に言うと、建前としては適正な時価というのは一義的に決まっていると言わざるを得ないわけです。適正な時価が決まっていないと言ってしまったら、これは課税要件明確主義に反するということになってしまいます。そして、最高裁が言うように、評価基準がやるべきことも、技術的、細目的な基準の定めまでしかできない。これもまた租税法律主義、課税要件法定主義からもそうならざるを得ないわけです。
そして、そこを前提として2つの最高裁判決を見てみますと、まず、6月の判決のほうでは、これは技術的かつ細目的な基準の定めを自治大臣の告示に委任したということですから、これは委任の範囲内であれば法的効力があるということになるのだと思います。他方、7月の判決のほうを見てみますと、これはむしろ内容的合理性のことを言っているんですね。評価基準というのは一般的に合理性があるから、それに従って評価すれば、適正な時価が出てくると推認されると。これは違うことを言っているようにも見えるのですけれども、あるいは同じことなのかもしれません。結局、一般的合理性がある限りで法的拘束力があるということになるのでしょうか。
佐藤 最終的に大丈夫だよという佐々木さんの結論と結びつけるものは何かというと、評価基準の実体的な合理性。今ある評価基準が、お2人が先ほど来おっしゃっているように、相当程度合理的であるということが、その結論を担保していると、こういうふうに理解してよろしいわけですね。ありがとうございました。
8.固定資産評価基準の合理性を納税者にどう説明するか
佐藤 この点について、もう一つだけ、私の素朴な疑問なんですが、どうやってこのあたりの事情を納税者の方に説明するのがいいのだろうかと思うんです。学者は、あるいは実務の方もそうだと思いますが、適正な時価とか客観的な交換価値を独立当事者間で成立する売買価格であるとか、市場で成立する売買価格から不正常要素を除いたものだとか、こんなふうに説明をしてきたのだと思います。そうすると、今度は見ず知らずの人から相対で買った値段がこれであるというのを知っている納税者は、まさに彼らの頭の中では独立当事者であって、子会社とか親会社とかそういうものではない。そこから買った値段と評価額が大きく乖離すると、それはどうしてなんだというような疑問がやっぱり出てくるのだと思います。
先ほど、佐々木さんからご紹介がありました名古屋高裁金沢支部の事案は、たしか相対で3億か4億円かで買った建物、これを鑑定評価すると10億円ぐらいになるものが、評価基準によると17億円になるというので出訴した事例だったと思うのですが、例えば、この人に対して全く相対で、独立した相手から買ったら何億円だったのに、それより10億円も高いというのは、一体どうやって説明すれば、どういう言葉で説明すれば納得するんでしょう。独立当事者間ですとか、不正常要素ですとかいって、全然不正常じゃない、向こうもこっちも納得するのに何だと言われたときに、何かもう一つ言葉があるとうまく説得できるかなと思うのですが、平舘さん、いかがですか、その辺。何かうまく説明があるといいなと思うんですけど。
平舘 嫌な問題振ったなと思います。
実は、あれを読んでいて、これが法律なのかと、こういうふうに思いました。実際に、ほんとうに駅前で、相対で買っているものは4億円ちょっと。それが地元の不動産鑑定士に頼んだら10億円。固定資産の評価額は17億円と。それでも裁判の結果は17億円が正しいんだと、こういう結果でしたので。
よく読んでみますと、先ほども申し上げたように、裁判所というのは、やっぱり法律に基づいて結論を下すところであって、経済人ではないわけですよね。それから、社会的にこうだろうという判断は、今のところやっていない。昔の大岡裁判みたいに気持ちよくやれるような自由はなくて、やっぱり根拠がないとできないということで、あの場合でも、やはり根拠は固定資産評価基準、これに基づいてやっていると。そして、計算も間違いがなければ、採用した使用資材についてもきちっとやってある。こういうことだと、あと求めるものは、確かに鑑定評価基準というのがありますけれども、鑑定評価基準は土地建物一体としての中から、あとは土地残余法等を援用し、建物残余法を用いて、建物の収益価格を出したりしておりますけれども、やっぱりこれは一つの鑑定評価という立場からやっているだけです。その上、土地と建物とはどうも固定資産評価基準も裁判所も取り扱いを変えております。建物は客観的交換価値とは言っていなくて、資産価値としてはこれだけありますよと。それでこうなりますということでばしっと決めた。法律からいえば、これで当然なんだなと私は思ったんです。
ただ、この方は上告なさいました。最高裁まで上げているんですけれども、最高裁のほうでは不受理ということになったわけですけれども、そのときのコメントで、やっぱり最高裁は少し自由があるのかなというのは、もう少し社会の実態を見つめて、固定資産評価基準そのものについて何か問題があるというのならば、これは話はわかるけれども、ただ高い高いと言って、ほかの手法をもって問題を提起しても、これは該当しないと、こういうふうにして不受理になっていますので、さっきちょっと申し上げたように、もう少し評価基準のほうで、先ほど片山知事が言っていたように、待合だとか、倉庫だとか、現在にはそぐわないものがありますので、勝つやり方は結構まだまだいろいろなところがあるので、そういう面からやればよかったのかなと思いました。もうそれ以上は裁判所としては無理なんじゃないですかね。この正当性を認めるのはね。
佐藤 非常に難しい。何かうまい説明があるといいんですけれども。
もう一つ、納税者の意識とのずれみたいなものがあるかなというのが、地価が下落しているということの中での評価という問題なんです。佐々木さんに伺おうと思うのですが、3年に一遍の評価替えというのは、右肩上がりのときは2年分得をしているという感じもあるのですが、右肩下がりになり、土地が下がってくると、毎年やり直してくれというような希望が納税者のほうから出ているような気がします。16年、17年度も簡易修正できるというのはそういうことかと思うのですが、このあたりはどういう感想を持っていらっしゃいますか。
佐々木 評価替えは3年に1回ということでやっているわけですけれども、もっと毎年やるべきじゃないかとか、いろいろなご意見も中にはあるのかなという感じがします。基本的には、今、大変たくさんある資産を大量一括評価するという、全体のシステムの中、土地については地価公示とか鑑定価格をやる。家屋については建築物価の反映をしたり、大量の対象物件を調査していくという、こういうかなりの作業が皆さんの現場で必要になってくるわけですから、この資産税制度として何年かに1回の評価作業になるというのは、これは日本だけじゃなくて、欧米を含めて、資産課税について広く認められているところではないかと思っております。
実は、私、先月、アメリカの資産評価大会、IAAOという、片山知事さんからもちょっと話がありましたけれども、この固定資産評価研究大会の元祖となりましたアメリカの大会を見てきました。そのついでに、アメリカの2つほどの都市に伺ってお話を聞く機会があったわけですけれども、1つの都市では、4年に1回評価替えをやっておりますという説明で、4年に1回、資産の評価額は大きく変わっているという資料が出されていたわけです。それを持って次の都市に行ったものですから、「評価替えは何年に一遍ぐらいやられていますか」と聞いたら、「いやあ、この間30年ぶりに評価替えをしましたよ」という話をお聞きをしまして、びっくりいたしました。細かい正確なところはよくわかりませんけれども、要するに30年間。多分、州法では何年に1回と決まっているんじゃないかと思うんですけど、実際にはずっと評価替えをやっていなくて、結局、古い、昔からの建物を持っている人と、最近建てた人の不公平というのが出てきまして、ある納税者から、これはおかしいといって訴訟を起こされて、裁判で評価替えをすべきだと、こういう結論が出たので、評価替えをしたそうです。
こんなことがあったぐらいで、なかなか日本のようにきちんと3年に1回評価替えされているというのは、世界の常識というところまでは行っていないのではないかと思いました。そういった意味では、3年に1回、詳細な調査をして評価替えをしているというのは、現在の価値にできるだけ近い形にしていこうと、最大限の努力をしているのではないかと思っています。
ただ、多分、最近、評価替えのサイクルが問題になったり、言われるのは、もともとは右肩上がりというものが本来は想定されていたところが、地価が10年以上にもわたって継続して値下がりしているという、かなり特異な状況があるというのが、一つあるのだと思います。そういった意味で、3年に1回というのは基本だと思いますけれども、地方税法でもはっきり言って異例のような形で簡易な下落修正というものを市町村長が判断できるということにしているわけでありまして、こういった地価下落という、経済的にいうと比較的特異な状況を受けた、もともと資産課税ではあまり想定していない状況を受けての措置かなという印象を持っているわけであります。
ただ、こういった状況を除けば、基本的には今、我が国がやっている3年に1回というサイクルはかなり頑張ってやっているんじゃないかと思っているわけです。
佐藤 2年目、3年目は大いばりで据え置いていい、所によっては27年目、28年目もあるというお話ですね。
9.社会に順応した固定資産評価基準とは(議論を振り返って)
佐藤 司会の不手際であまり時間が残っておりませんが、最後に、固定資産評価基準というのは一般的な合理性を有する。これでやれば裁判所もおそらく多くは大丈夫だというようなお話でありましたが、評価基準というのも、もちろん社会に応じて変わっていくべきところもあるのだろうと思います。
最後に、そのあたりについて一言ずつコメントをいただきたいと思いますが、最初に平舘さん、いかがでしょう。土地と家屋を必ず分けなければいけないというのは、本当にそれが唯一の方法かなと疑問に思うこともあるのですが、そういうことについて何かコメントをいただけませんでしょうか。
平舘 今、マンションの話が出ましたけれども、区分所有法が改正になりまして、敷地権の分離は規約に定めがないとできない。通常は、共有部分の持ち分は法律に基づかないと分離できないとか、いろいろありまして、通常は今度の新しい区分所有法では、土地と建物は分離して処分できないと。敷地権の設定がされると、分離できないというのが原則ですから、もしマンションを評価するというと、法律的には、処分できないものをやってしまうと。想定上のということになりますよね。
そういうふうに、いろいろなところで新しい経済状態、また、新しい法律に基づいていろいろなことが変化しています。特に、ここ10年ぐらい、すごいスピードで大きく変化しています。コンピューターを使ったり、例えばいろいろな登記でも電磁的な書類がOKになるような時代ですから、固定資産評価基準も鑑定評価基準も、どちらも、どんどん時代に合わせて改正していかなければいけないのではないかと、こういうふうに思っています。
家屋等再建築方式についても、新しい構造ですとか、新しい材料ですとか、そういうものがどんどんできていますので、やっぱり手法をもう一度考え、客観的市場価値も含めて考えていくのがいいんじゃないかと思います。
佐藤 村田さん、いかがでしょう。固定資産評価基準というのを、よりよくするとしたら、どの辺に目のつけどころがあるかというのを最後に一言いただけませんか。
村田 あまりにも難しい質問なんですけれども。
佐藤 直感的に。
村田 ただ、今までの議論の中で、実務サイドとして言い忘れたとか、少し言わせていただきたいという点がございまして、今回の判決では、賦課期日から一定期間さかのぼった時点をもって価格調査基準日として評価せざるを得ないとういうのは支持されたところでございまして、この考え方も、地方税法で予定されているということでお認めいただいたところなんですけれども、今現在、佐々木課長のお話にもございましたように、下落局面においてタイムラグを調整するということで、半年間の下落修正をやっているわけですけれども、実務サイドとしては、これ以上の調整は困難だと。つまり、半年はどうしても残るだろうというところでございます。それも簡易な方法でやっているわけですけれども。
ただ、そうしますと、判決の中に出ておりましたけれども、将来の賦課期日までの価格変動を予想して評価してはどうかというような意見もあるわけですけれども、この問題については私ども、3点ほどございまして、やはりちょっと困難なのかなと。一つは、不動産鑑定士さんにもお話を伺ったんですけれども、やはり将来要素を加味して、将来価格を算定するというのは、鑑定手法上はかなり困難があるということが1点と、まして、私ども市町村の評価担当職員がすべての土地について将来予測の変動を折り込んで評価することは、ノウハウの蓄積もございませんし、また、地域によって今、二極化現象ということで非常に上がり下がりが細分化されている中では、さらに困難になっていく。仮にまた、そのような評価方法をとるとすれば、非常に評価の中に、評価主体の主観的判断が入り込む予知がございまして、今の評価基準なり、地方税法の趣旨からしますと、そういった主観的判断を極力排除して、公正かつ合理的な評価ができるよう、総務大臣が統一した基準を定めて、市町村長がそれに従って評価するという趣旨から反するのではないかということと、また、評価事務自体が技術的、客観的な要素を持っていますので、その性格からもなじまないのではないかと考えています。
この点だけは、きょうはどうしても言わせていただきたいと思って用意してきたところなんですけれども、以上でございます。
佐藤 ありがとうございます。
佐々木さんは、評価基準をこう変えたらいいというご発言のできるお立場でないことはよくわかっていますので、今の評価基準を、決して安心し過ぎないようにということは先ほど強調していただきましたが、もしもそれに関連して、こういうポイントがあるかもしれない、あるいはこういう意図であるというようなこと、ご注意がありましたらお願いできますでしょうか。
佐々木 評価のあり方について、実務の方と納税者側から、同じような声もあるかと思いますけれども、ある意味で相反する方向での声があるのではないかなという気がしております。実務の方からすれば、大量の一括評価でもありますし、また、税の現場では最近、人事の異動のサイクルも短くなってきたり、経験者があまりいないということもある。また、徴税コストも最小限にしたいということですから、一般的には実務の現場からは簡素化したい、あるいは一般化、統一化したいという要請が非常に強いわけです。
一方で、納税者からは、わかりにくい、簡素化してほしいということもあるかもしれないけれども、やっぱり納税者というのは、自分の事情をきちんと反映してほしい、個々の事情をきちんと評価に反映してほしいという、公正な評価の要請のほうが強いのではないかと思います。また、裁判のほうからも、結果としての適正の要請も最近出ているわけですから、むしろこれは複雑化、個別化の要請があるのではないかという2つの相反する要請があって、非常に頭が痛いなというのが、現場の皆さん含め、私どもの共通の印象だと思います。
先ほど申し上げましたけれども、現場の皆さんにとってはできる限り評価基準が金科玉条であれば望ましいわけですけれども、なかなかすべてのものを評価基準に網羅して、機械的に算定できるという限界があるといったことで、実際には実務の現場ではいろいろご苦労されて、いろいろな運用を適用をされている。あるいは、場合によっては所要の補正というようなものもされているということだと思います。
大量一括評価をしなければならないわけですから、先ほど村田さんが言われたように、主観的な部分が入るとか何とか、そこはなかなか難しいことだと思います。そういった意味で、100%間違えない評価ができるということではなくて、やはり均衡のとれた公正な評価ができるというのが一番大切なことかなと、一言で言ってしまえば思います。そして、個別に出てくれば、それはやはりちゃんと誤りを正してもらう。先ほど片山知事からもありましたけれども、そういう納税者との健全な関係が育成されていることが望ましいのではないかと思うわけです。
私どもも当然、今の評価基準が必ず100%いいというふうには全然思っていませんので、待合はもうなくなったかもしれませんけれども、土蔵がどうか、後で確認してみますが、評価基準自体も時代の変化に応じて変えていかなければいけないもの、皆さん方からいろいろなご意見をちょうだいして、汗をかいて改善をしていくということをしていきたいと思っております。
佐藤 ありがとうございました。
渋谷さん、最後になりましたが、この問題の研究者として、きょうの議論を振り返って、一言、まとめていただけませんでしょうか。
渋谷 平成8年以来のさまざまな裁判例や、あるいは今回の最高裁判決なども、法律学者として見てみると非常にわかりやすいものなんですけれども、それが実務の現場になるとどのように理解されて、どのように問題意識が出てくるのかということがわかりましたので、その点で私にとって大変ためになったものでありました。
それから、もう一つ、固定資産評価基準の改善ということに関して一言申し上げたいのですが、さまざまな租税に関する法令や通達などの中で、固定資産評価基準というのが素人には一番調べづらいものです。例えば、法令や通達なら当然、インターネットですぐ見られるわけなんですけれども、固定資産評価基準というのはなかなか出てきません。それが市販されている書店も少ないと思います。単に学者の便利というだけではありませんで、もっと広く一般に知ってもらうというためにも、固定資産評価基準というものを広く知らせていくということを進めていただきたいと思っております。
佐藤 どうもありがとうございました。
おわりに
佐藤 不手際な司会にもかかわらず、熱心にご討論いただきましてほんとうにありがとうございました。また、会場の皆様にもご清聴ありがとうございました。これできょうのパネルディスカッションをおしまいにさせていただきたいと思います。
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