評価センター資料閲覧室

固定資産評価基準の今日的意義とその課題 第9回 固定資産評価研究大会報告書

X.特別講演

「固定資産評価をめぐる判例の動向」

 

 
  神戸大学大学院法学研究科教授
  佐藤 英明 (さとう ひであき)
 
 
 
1985年 東京大学法学部卒、同助手、神戸大学法学部助教授、同教授を経て2000年から現職。
税制調査会専門委員(2003〜)。
主な著書に『脱税と制裁』(弘文堂・1992)、『信託と課税』(弘文堂・2000)がある。   
 
研究大会プログラムより
    
 固定資産評価をめぐる裁判例の考え方は、おおむね平成8年頃を境に大きく変化した。
 以前は、裁判例においても、固定資産評価基準に従った評価であれば実勢価格との乖離を問題と することなく地方税法にいう「適正な時価」を表すと考えられていたのに対し、平成8年以後は、 固定資産評価基準にしたがっていても「適正な時価」とはならない場合があるとする裁判例が現れ、 徐々にそれが優勢になっていったのである。他方で、新しい裁判例の中でも、固定資産評価基準を どの程度重視するかという点については考え方の違いがみられ、必ずしも一つにまとまっていたわ けではなかったが、平成16年に下された数件の最高裁判所の判決により、土地評価および家屋評価 の両方について、裁判例のとる新しい方向がほぼ固まってきたとみることができる。本講演におい ては、比較的あたらしい重要な裁判例をこのような流れの中に位置付け、その意義をさぐるととも に、それらが評価実務に投げかける問題点などについて、簡単な概観を行なうこととしたい。

 

※ 特別講演配布資料(P.373〜394)と併せてご覧下さい。


1.はじめに〜問題の所在

(1)「価格」の二重の意義

 本日は、「『適正な時価』の意義と固定資産評価基準との関係」ということに焦点を当てて、最近の裁判例の動向をお話ししてみたいと考えております。なぜこんなことが問題になるのかといえば、それは、地方税法において「価格」という言葉に二重の意味が与えられていることに基因します。地方税法349条1項は、土地または家屋に対して課する固定資産税の課税標準は「賦課期日における価格」で登録されたものとすると定めております。この「価格」を受けたシステムが2つあります。1つは、341条の定義規定でありまして、その5号は、価格について「『適正な時価』をいう」と書いてあります。2つ目のシステムは、388条1項と403条1項でありまして、388条1項は、「総務大臣は固定資産の評価の基準並びに評価の実施の方法及び手続、(以下、「固定資産評価基準」という。)を定め、これを告示しなければならない。」と定め、403条1項は、「市町村長は、・・・第338条第1項の固定資産評価基準によつて、固定資産の価格を決定しなければならないと」と定めています。
 ということは、「価格」という言葉に、一方では「適正な時価」という意味が与えられ、そ して、他方では、「固定資産評価基準によって決定されるもの」という意味が与えられているということになります。
 この2つは、無条件に一致するのか、しなければ、それが乖離しているときにどういう形で問題の解決を図ることになるのかというのが、私がここで提起したい問題であります。以下では、この「価格」という言葉に2つの意味づけが与えられているということを裁判例がどのように受けとめて、それを解決しようとしているかということをお話ししたいと思っております。

(2)平成8年以前の裁判例

 さて、この問題に関する裁判例は判決をきっかけとして大きく動いたわけですが、この判決による裁判例の展開の前の裁判例は、この問題についてどういう立場をとっていたかということを、参考として見ておきたいと思います。
 まず@判決は、
「仮に平成6年1月1日における地価公示価格が固定資産税評価額を下回った場合についても、それは価格調査後の地価変動の結果に過ぎず(その時点までに地価が上昇することも下降することも当然予想されるところである)、著しく合理性を欠くような特段の事情がない限り、これによって既に決定された価格の違法性に影響を与えるものではないと解されている(。)」
という判示をしております。これは調査基準日が賦課期日よりも前に設定されているということに関して、このような判示をしているわけです。そして、その調査基準日の設定は、当然、評価基準によって行なわれていることになります。
 A判決においては、
「調査基準日評価法を採用することは地方税法上も当然に予定されていると解されるところ、右の方法で賦課期日における価格を評価する以上、調査基準日以降に地価が下落した場合には、右の方法によって算定された価格と賦課期日における地価を基礎にして算定した場合の価格との間に差額(以下『調査差額』という)が生じることは避けられないのであって、地方税法自体もそのことは当然に予定しているものと解すべきである。
 したがって、通常考えられうる以上に地価が異常に下落し、調査差額が著しく拡大して、地方税法が予定していると考えられる範囲を超過したと評価されるような特別な場合は別として、そうでないかぎりは、調査差額が発生したということをもって、(法)に違反しているということはできない」。

という判示をしております。
 ここでは、調査基準日をもとにして評価した場合、賦課期日の本来の評価が調査基準日評価法にもとづく評価よりも仮に低くても、それ自体は違法原因にならず、その差額が著しく大きくなるというような場合に限って違法の問題が生じる、こういう発想がとられていたということになります。したがって、私の提起した問題の文脈に沿って申し上げれば、「適正な時価」という文言は、前面に出て来ることがなく、評価基準にのっとって評価をする場合に調査基準日評価法を用いるということそれ自体が直接肯定されている、という、そういう立場であったと言ってほぼ間違いないと思います。昭和から平成8年にかけての裁判例というのは、評価基準によって評価したものが適法な「価格」であるという、そういうスタンスをおおむねとっていたと申し上げることができるでしょう。

2.客観的交換価値説

 このような考え方を大きく変えましたのがB判決です。この判決の背景事情は、
・本件評価においては標準宅地の平成4年7月1日における正常価格について、平成5年1月1日までの価格変動に応じた修正を施した価格の7割をもって標準宅地の「適正な時価」とした。
・本件標準宅地甲の客観的時価は平成5年1月1日から平成6年1月1日までに32%下落したものと推認するのが相当である。
というものであり、こういう地価下落の中で、評価基準に従った評価というのが適法であり得るかどうかということが問題になったのが本件であります。
 判示においては、まず、課税標準と「適正な時価」についてです、
「土地の「適正な時価」(法341条5号)とは、正常な条件の下に成立する当該土地の取引価格、すなわち、客観的な交換価値(以下「客観的時価」という。)をいうものと解すべきである。」
というように、「適正な時価」を定義いたします。その上で、
「登録価格を算定すべき基準日は、賦課期日である当該年度の初日の属する年の1月1日であり、・・・他の時点をもって登録価格の算定基準日とする規定を見いだすことはできない。」
と断言いたします。この発想というのは、@Aの判決と大きく違っているということになります。
 そうすると、評価基準による評価と、それから、客観的時価とされた「適正な時価」とはどういう関係に立つかが問題となりますが、この点について、裁判所はこう申します。
「法は、これらの諸制約の下における評価方法を自治大臣の定める評価基準によらしめることとし、もって、大量の固定資産について反複、継続的に実施される評価について、各市町村の評価の均衡を確保するとともに、評価に関与する者の個人差に基づく評価の不均衡を解消しようとしているものということができる。」
「評価基準は、各筆の土地を個別評価することなく、諸制約の下において大量の土地について可及的に適正な時価を評価する技術的方法と基準を規定するものであ」るから、「比準宅地の評定及び評価基準による比準の手続に過誤がないとしても、個別的な評価と同様の正確性を有しないことは制度上やむを得ないものというべきであり、評価基準による評価と客観的時価とが一致しない場合が生ずることも当然に予定されているものというべきである。」
「しかし、「適正な時価」とは客観的に観念さ れるべき価格であって、自治大臣の裁量又は市町村長の裁量に属する事項と解することはできず、法が自治大臣の評価基準に委任したものは「適正な時価」の算定方法であるから、評価基準による評価が客観的時価を上回る場合には、その限度において、登録価格は違法なものということになる。」

すなわち、「適正な時価」と評価基準による評価というのが食い違った場合、基準になるのは「適正な時価」である。それはこの裁判所では「客観的な交換価値」と言われているわけですが、その客観的時価が決め手になるということを申します。
 このように考えてくると、固定資産評価の正しさを判断するためには、評価の基準適合性、基準の一般的合理性、標準宅地の価格の適正さなどの点をチェックする必要があるが、しかし、 これらの適正であると立証されても、
「結果としての登録価格が賦課期日における対象土地の客観的時価を上回るときは、評価基準等は当該土地の具体的な「適正な時価」の評定方法として機能せず、法が客観的時価の算定方法を委任した趣旨を全うしていないことになるから、登録価格が賦課期日における対象土地の客観的時価を上回るときは、その限度で登録価 格の決定は違法であるということになる。」
と言います。すなわち、評価が評価基準に正しく従って行なわれており、また、評価基準自体がおかしいということがないとしても、なお、結果が違法だという結論が出されうるということを、まずここで断言したということになります。
 ここで見ていただきたいことは、固定資産評価基準に従った価格と「適正な時価」、客観的交換価値というものが乖離し得るという前提のもとで、どちらが法が命じた価格であるかということが問題にされ、この裁判所は、法のいう価格とは評価基準による価格ではなく、客観的に認識される価格の方を指す、という判断をしているということであります。
 それでは、基準となる客観的時価というのはどうやって決まるのか。これがこの判決の問題の2つ目になるわけですが、この点については、
「評価基準は、賦課期日における標準宅地の適正な時価に基づいて、所定の方式に従って各筆の評価をなすべきことを命じている。
 そして、本件評価が、評価基準等の方式に合致していること、右方式が合理性を有することは既に認定したところであるから、」

結局、本件各土地については標準宅地甲の「適正な時価」、標準宅地乙の「適正な時価」をそれぞれ評価において用いられたのとは違う、より低い価格を当てはめることによって、本件における評価をすべきことになると判示しています。
 ここは非常に重要な部分であると思います。ここでこの裁判所は、適正な価格、客観的な時価というものを裁判所が認定するときにどういう方法をとるかといえば、そこでも評価基準の枠組みを使うのだということを積極的に支持しているわけです。
 評価実務の最前線にいらっしゃる皆様方には、当たり前のことだと思われるかもしれませんが、この点は、実はそんなに当たり前ではありません。そのことは、この後また戻ってきてご説明いたします。
 このB判決によって、少なくとも裁判例で見る限りは、固定資産の評価というのは、それ以前の世界と大きく変わったと言うことができます。評価基準自体にのっとっている評価が違法になる可能性、余地を認めたという点で大きく変わってまいりますが、しかし、それだけではありません。
 C判決は、山林土地の評価を評価基準とまったく異なる、非常に簡便な方法で評価していたという事例について、以下のように判示しました。
「統一的な評価基準による評価によって各市町村全体の評価の均衡を図り、評価に関与する者の個人差に基づく評価の不均衡を解消しようとする法及び評価基準の趣旨に照らすと、台帳登録価格が評価基準によらずに評定されている場合には、右土地を評価基準にしたがって評定した価格が台帳登録価格を上回るものと認められない限り、仮に台帳登録価格が客観的な時価を下回ることが明らかであるとしても、評価の公平の観点から、右登録価格に係る決定は違法となる。」
 B判決は「客観的な交換価値」ということを非常に強調していたわけですが、C判決では、仮に客観的な交換価値の方が登録価格よりも高くても、なお、その評価の手法が問題とされており、評価基準が用いられていないということが大きな問題として取り上げられている。つまり、B判決と違ってC判決では、先に評価基準による評価であるかどうかということが決め手として問題になっており、そして、そのように評価基準を重視する理由が評価の公平、ひいては課税の公平という点に求められているということができます。
 EFの判決においては、少しニュアンスが変わってまいります。平成10年に入ってからの判決ですが、Eは
「具体的土地の評価として評価基準等による評定方法の一部が妥当性を欠くことも予想されるが、この場合でも、その評定方法によって得られた結果が客観的時価を超えないときは、なお適正な時価というを妨げない」
と言っていて、客観的時価を重視しつつ、やや評価基準の位置づけを弱めているという感じがいたします。
 逆にF判決は、
「評価基準自体が違法であるというような特段の事情がない限り、固定資産の価格の評価が評価基準にしたがって適正に行われている以上、その価格は、法上は固定資産税の課税標準として適切な価格とみるべきである。」
と、評価基準を強く位置づけている点で、少し@判決、A判決の考え方に回帰しているような感じがあり、これも少し異なるニュアンスを感じます。
 さて、ここでご紹介したのは、すべて東京地裁の判決ですが、他の裁判所の判決の例として大阪地裁で下されたG判決を引用しておきます。
 この判決においては、
「適正な時価とは、社会通念上正常な取引において成立する当該土地の取引価格すなわち客観的な交換価値をいう」
「固定資産評価基準は、各筆の土地を個別評価することなく、諸制約の下において大量の土地について可及的に適正な時価を評価する技術的方法と基準を規定するものであり、これが適正な内容をもち適正に運用される限り、これによって求められた価格は適正な時価と考えられる。」

と判示されており、微妙にB判決とは違うところもありますが、しかし、おおむねB判決の打ち出した考え方が踏襲されていて、おそらくこの段階で多くの地裁レベルはこの考え方を採用していたと言ってよいと思います。

3.傾向の異なる裁判例

(1)時価評価の方法──評価基準に拠ることの要否

 しかしながら、この時期にB判決の考え方で判例が統一されていたというわけではありません。そこで、以下では、ここまでにお示ししたのと少し傾向の異なる裁判例をご紹介したいと思います。それらの裁判例は、おおむね2つのグループに分けられます。そのうち、第1のグループは、私がご説明したB判決のうちの1番目の部分を踏襲しつつ、2番目の点について違 う考え方を取っているというものであります。
 まず、H判決では、
「評価の基準日自体は、右のように法において賦課期日と定められているから、自治大臣は、これを変更する内容の評価基準を定めることができない(。)」
「適正な時価とは、その文言からも明らかなように、正常な条件において成立する取引価格をいうものと解される(。)」

と判示されています。
 この点については、B判決も、土地の「適正な価格」とは正常な条件のもとに成立する当該土地の取引価格だと言っていたわけですから、今、申し上げた基準日の点、適正な価格の観念については、B判決とH判決は同じ内容を持っていると考えられます。そして、その上でB判決はその客観的交換価値を「評価基準」によって導き出そうとしていました。ところが、H判決は、
本件訴訟において「争点となり得るのは、原告持分の本件登録価格が法で定められた賦課期日における時価を上回る違法があるかどうかの点のみであると解される(・・・)。このように、本件訴訟においては、原告持分の客観的な価格のみが問題なのであるから、納税額との関係は問わないし、市町村長の価格決定の際の評価方法に法の趣旨を逸脱した違法な点があっても、それ自体は本件審査決定の取消事由にはならない(。)」
と続けています。これはBCの判決と違いますよね。どういう方法で評価をするかも問題であり、そのときに評価基準を使わないと公平性が確保できないではないか、と言っていたのがC判決であり、B判決もおそらく同じ前提を持っていたと思います。しかしH判決はこの点ではBC判決とは違っていて、評価方法自体は問題にならないと言います。
 次の箇所でこの裁判所は、今の点をさらにクリアにいたします。すなわち、
「被告・原告のいずれにおいても、登録価格の適否については、評価基準や自治省の通達等による実際の登録価格決定に当たってされた評価方法とは別に、賦課期日の時価を算定するための他の評価方法も主張・立証することができ、裁判所は、審理の結果、より適切合理的な最良の評価方法による価格評価を採用して賦課期日における時価を認定し、これと登録価格を比較して登録価格が上回る場合には、審査決定のその部分を取消すべきことになる。」
と判示しているわけです。
 つまり、H判決は、客観的な交換価値を基準にするという、その基準の抽象的な内容はB判決などと同じであるけれども、それを裁判所に示す方法としては、評価基準にとらわれる必要はなく、どういうものでもかまわない、いわば何でもありであるというように言っているということになります。
 先ほど私がB判決、C判決で評価基準が示した方法にしたがうことが大事だと裁判所が言っているというのはそんなに自然なことじゃない、ということを申し上げましたが、まさにその点がここで問題となっているわけです。おそらく民事の裁判官の多くは、事実認定について裁判所は何でもできる、オールマイティである、その中で真実を見つけるのが裁判所の役割だというように考えているだろうと思います。そういう考え方をそのまま当てはめれば、このH判決は、本来は驚くべきことではありません。
 次に、I判決は家屋の事案です。裁判所はまず、
「本件においては、伊達市長が決定した本件建物の平成9年度固定資産税の課税標準となる価格(3,008万3,044円)が平成9年1月1日時点における「適正な時価」を超える場合には、同価格決定を違法と評価するほかない。」
と判示し、「適正な時価」を判断基準にすることを明示します。それでは、その「適正な時価」をどうやって導くのか、あるいは納税者の側から言えば、それをどうやって争うのかというと、控訴人──これは納税者です──が控訴審において不動産鑑定士作成の鑑定評価書を提出したところ、
「同鑑定評価書に添付された地図及び写真に照らしても、評価の前提となる事実の確定に問題があるとも認められないし、計算過程等にも過誤があるとは窺えないうえ格別の反証もないことから、同鑑定評価書に則って本件建物の「適正な時価」を認定するのが相当である。」
としています。この判示については良くおわかりになると思いますが、「適正な時価」が違法か、適法か分ける基準であると言っておいて、この場合、その「適正な時価」を認定するのに評価基準によることを必要としないという発想であります。
 たまたま納税者はその主張の方法として不動産鑑定士の作成にもとづく鑑定評価書を持ってきた。その評価が正しければ、裁判所はそれを採用して、そして、登録を取り消すことができるということを言っているわけでありますから、これもH判決と同じで、客観的な時価あるいは「適正な時価」を算定するために評価基準に戻る、という発想を持っていない、そういう判決として位置づけることができます。これは高等裁判所の判決ですから、地方裁判所の判決であったHの例よりも意味合いは重いわけですね。
 第3に、J判決です。これは不動産取得税の事件ですが、ここでは同じに扱って大丈夫だと思います。本件では、別荘地の評価が問題となりました。
 裁判所は、まず、次のように判断します。
「本件別荘地は、もはや別荘地としての開発に失敗したものと認めるのが相当である。そして、総区画数のわずか5パーセント程度しか利用されておらず、その他の土地は山林同様の状態にある本件別荘地について・・・通常の別荘地の評価とのバランスに配慮したり、平成4年や平成5年当時の古い取引事例に基づいて平成8年1月1日時点の標準宅地の評価額を算定し、それをもとに地価下落率を考慮して平成9年度や平成10年度の評価額を求めるという方法は、本件別荘地の上記のような現況を無視し、もはや別荘地としての本来の価値が認められなくなった土地について、あくまでも通常の別荘地として評価しようとするものであって、客観性、合理性を欠くものと認められる。」
「したがって、本件では、固定資産評価基準に従った前記評価は、土地の現況を無視した不相当な評価方法によるものと認められ、その価格を適正な時価と認めることはできない。」

 それではどうするんだということになります。本件では、付近に賃貸事例なども見つからないし、取引事例も不動産競売手続のようなものであって、取引事例比較法によることもできない。しかし、裁判所は判断を下さないといけないわけですので、こういう方法を取ります。
 山林区画としての価格が平方メートル当たり100円程度であることは、裁判所に顕著な事実である。それから、本件別荘地に隣接したほぼ同様の別荘地における比較的新しい取引事例における平方メートルあたりの価格が平均で22,419円である。このように、山林であれば100円程度、別荘地であれば平均で22,000円程度という数字をもとにして、
「いまだ通常の別荘地としての利用がなされていない本件別荘地の評価にあたっては、地域全体における別荘としての利用率を考慮して、実際に別荘として利用される場合の価格を1平方メートル当たり2万2419円の評価をし、他方、別荘として利用されない区画については山林に準じて1平方メートル当たり100円の評価をして、その合計額を、適正な利用に達したと一応考えうる総区画数の8割で除して、その利用率に応じた価格を求め、それを本件別荘地の平均的な評価額と認めるのが相当と考えられる。」
という、非常に独自の評価方法を持ち出して判断を下すというわけであります。
 振り返ってみますと、B判決と、それにならっていた判決は「適正な時価」、客観的交換価値と言いつつ、それを評価基準に示された手順を踏んで求めようとしていた。ところが、H判決は、裁判所においてはどんな方法で評価してもいいと言い、同様の考え方をとるI判決は、当該土地の不動産鑑定士の鑑定評価によってもよいとしていた。さらにJ判決においては、裁判所がいわば独自の方法で評価することができる。こういうことを言っているわけであります。それでは、この点は、現在の裁判例においては、どのように解されているのでしょうか。この点は、すぐ後でお話しいたします。

(2)収益性の重視──税負担は考慮要素か

 平成15年以前に裁判例で示されていたB判決と違う発想の第2番目というのは、固定資産の評価において収益性と税負担を重視するという考え方であります。このような考え方を示した判決も複数ありますが、ここではK判決で代表させることにします。このK判決ではこの点が、次のように示されています。
「課税の根拠をその土地の所有に置くということは、その土地が誰に帰属するかにかかわりなく、一定の税金を課すことを意味する。もし、その税金を支払うのに土地から上がる収益で足りなければ、持主は税金を支払うために、その土地を売却せざるをえない。しかし、その土地を買い受けた者も、その土地所有を根拠に、前所有者と同額の税金を課される。しかもその税金が土地から上がる収益では支払えないのであるから、その者もまた、土地を売却して税金を支払わざるをえない。このような事態になれば、土地を所有すること自体が禁止されたのと同じことになる。したがって、固定資産税のように、課税の根拠を土地の所有に置く税金の場合は、その税額は、土地の収益力の範囲内に限定されねばならないものである。」
 また、税負担の点についても、非常におもしろいことが判示されています。
「土地の収益力に対する課税の割合(封建時代に五公五民などといわれた割合)は、土地利用の採算性を維持し、国民全体の経済活動を委縮させないように、法の予定する一定の範囲(現行法の固定資産税(1.4%)と都市計画税(0.2〜0.3%)の税率と民事法定利率(5%)とを前提とすると、法の予定する課税割合は、ほぼ三公七民の程度であると考えられる。)に納めなければならないものである。」
 このK判決の特徴は、今ご紹介したところからおわかりのように、収益性を重視する。かつ、この収益性の重視というのは、評価方法としての収益還元法と取引事例法との優劣という発想ではなくて、税負担そのものの合理性という面からこの結論が導かれている、ということを指摘することができます。
 したがって、後でご紹介するように、この考え方をとらない裁判例は、税負担という要素を、評価を争う場合の事案の解決のらち外に置くことによって、この結論に反対するという論理構造を持つことになるわけです。これもまた後でご紹介いたします。

4.一応の解決──3 つの最高裁判決

 これまでの状況は、まず、平成8年にB判決が現われ、適正な時価とは客観的な交換価値のことを指し、評価基準を適用した評価額が客観的な交換価値を超えればその評価は違法になる、と言った。ただし、この後者の点は、平成10年頃には、また評価基準の規範性を強く認めようとする裁判例も見られ、少し揺り戻しが起きて来ている感じがある。これが第一の問題点。
 第二の問題点は、「客観的な時価」を証明する場合に、その方法としては評価基準が定めた手法による必要があるかどうかということで、この点につき、メインストリームの判決は「評価基準の手法に拠る必要がある」と言っていたが、これに反対する有力な裁判例も複数見られた、ということになります。
 これらの問題は、平成15年から16年にかけて、 3つの最高裁判所の判決が下されて、一応の解決を見ることになります

(1)最高裁平成15年6月26日判決

 まず、一番早いのがL判決であり、これはB判決の上告審判決です。その中身はBの判決の出した判断をほぼそのまま認めたと言ってよいと思います。この判決は、次のように言っています。
「法349条1項の文言からすれば、同項所定の固定資産税の課税標準である固定資産の価格である適正な時価が、基準年度に係る賦課期日におけるものを意味することは明らかであり、他の時点の価格をもって土地課税台帳等に登録すべきものと解する根拠はない。そして、・・・上記の適正な時価とは、正常な条件の下に成立する当該土地の取引価格、すなわち、客観的な交換価値をいうと解される。」
 ここはまったくBと一緒ですね。それでは、評価基準とずれたときはどうなるかというと、
「適正な時価の意義については上記のとおり解すべきであり、法もこれを算定するための技術的かつ細目的な基準の定めを自治大臣の告示に委任したものであって、賦課期日における客観的な交換価値を上回る価格を算定することまでもゆだねたものではない。」
と言っています。
 この判示あるいは先に引用したB判決の、
「結果として登録価格が賦課期日における対象土地の客観的時価を上回るときは、評価基準等は具体的な「適正な時価」の評定方法として機能せず、法が客観的時価の算定方法を委任した趣旨を全うしていない。」
という判示については、ここで裁判所が何を言おうとしているのか、なかなかわかりづらいような気がいたしますが、こういうことだと思います。「評価基準というのは適正な価格を算定するために作られている。もしも、評価基準どおりやって、適正な価格を上回る答えが出るのであれば、いわばその限度で評価基準が間違っているのだ」ということであろうと思います。それを告示への委任という言葉で表現しますので、「委任の範囲を逸脱している」ということになるわけです。正しい答えが出る限度では委任としてうまく言っている。しかし、そのまま当てはめたのでは正しい答えが出ないときには、委任した、すなわち、こういうことをやりなさいと言われた範囲を超えていて、したがって、そこから出てくる答えは違法になるんだという、こういう発想です。
 このように申し上げても、非常に良くできた現実の評価基準を日々目にしていらっしゃる皆様には感覚的に理解していただきにくいと思いますが、たとえば、もし、評価基準が「日本中の土地はすべて1筆100万円と評価しなさい」と定めたらどうなるか。もしもそんな評価基準があれば、それは評価基準自体がおかしいわけですね。評価基準というのは適正な価格を評価できるように決めなさいと言われたにもかかわらず、およそそういう答えが出てこないものを作れば、評価額が評価基準に従っているというだけでは適正な時価とは認められないでしょう。今の評価基準がよくできているので、ちょっとこの裁判所の言いたいことというのは感覚的にわかりにくいかもしれませんが、突飛な例でご説明すれば、こういうことだろうと思います。
 そういう意味で、答えが間違うという範囲では評価基準は機能しないものだということを最高裁も認めたと言えようと思います。それでは、その前提の下でなお最後の決め手になる客観的交換価値をどうやって見つけるかといえば、それは、評価基準にのっとって本件各土地の価格を算定するのであり、その結果を超えた部分が違法であるというわけですから、この客観的な交換価値の算定枠組みの点については、Lの最高裁判決は、B判決をそのまま認めていると言ってよいものと思われます。

(2)最高裁平成15年7月18日判決

 L判決を前提とすると、評価基準に拠らない方法で評価を争うという場合にはどうなるのかということが話題になるはずであります。この点についてM判決が判断を下しております。これは、I判決の上告審判決です。
 この判決では、まず、
「市長は、本件建物について評価基準に定める総合比準評価の方法に従って再建築費評点数を算出したところ、この評価の方法は、再建築費の算定方法として一般的な合理性があるということができる。」
と述べ、下級審が何度も確認してきたこの方法の合理性を最高裁判所も認めるわけであります。そして、
「評価基準に従って決定した前記価格は、評価基準が定める評価の方法によっては再建築費を適切に算定することができない特別の事情又は評価基準が定める減点補正を超える減価を要する特別の事情の存しない限り、その適正な時価であると推認するのが相当である。」
と判示します。
 ここでは、評価基準が定める評価の方法によっては再建築費を適切に算定することができない特別の事情というものがない限りという留保はつけていますが、評価基準に従って決定した価格は、「適正な時価」であると推認することができるという判断をいたします。そうすると、鑑定評価書、鑑定評価に従った評価というのはどうなるか。
 この点について、最高裁判所は、原審は、上記特別の事情、すなわち評価基準に従ったのではだめであるか、あるいは評価基準に従うことができない特別の事情ということについて、特に認定していない点で誤っている。もしも他にそういう特別な事情があるのであれば、そこを審理しないといけないから、もう一回高等裁判所で裁判をやり直しなさい、ということを言っているわけであります。
 そうすると、この判決を納税者側から読むならば、評価額を争うときには、基準になるのは「適正な時価」である。しかし、それは鑑定評価書というような評価基準とは別のものを持ち出してきて、主張・立証できるものではない。評価基準に従って、それではうまくいかないということを説明しなければ勝てないのだ、ということを言っていると理解することができようかと思います。

(3)最高裁平成16年10月29日判決

3つの事件の中では最後のN判決は、J判決の上告審判決、つまり、先ほどの別荘地の事件であります。この判決の中では、L判決を引用しています。その中で、法は評価基準等が「適正な時価」を算定するための一つの合理的な方法であるとするものであるというところを、わざわざ引用した上で、原判決が採用した本件土地の評価方法は独自のものであって、これによって、本件土地の「適正な時価」を算定することができるものとは考えられないという言い方をしています。すなわち、評価基準の論理や手順のらち外に適法な評価があるということはないというように、この判示から、裁判所の真意を忖度することができようと思います。
 ただし、それでは、ただ評価基準に従えばいいのかというと、従う場合の考慮要素として次のような点が挙げられている。たとえば本件別荘地は全体が急傾斜地である。こういう事情は当然、本件標準宅地に比準することが適切かどうかということすら検討を要する事情になるのである。こういう事情がちゃんと考慮されているかどうかというのは、評価基準の当てはめにおいて重要な問題になるのだ、というのが、裁判所における考慮要素の位置づけであろうと思います。

5.付随的な論点──裁判による評価額の変更方法

 なお、付随的な論点として、いわゆる評価そのものの問題ではありませんが、評価額を変更するときにどういう形で裁判所が変更するのか、ということがかなり争われていたことに対して、最高裁判所が決着をつけたというので、ご紹介だけしておきます。O判決です。たとえば評価額が8,000万で、裁判所はその資産の「適正な時価」は7,000万円であると認定したときに、どのような解決をすればいいのか。「適正な時価」である7,000万円を超えているからやり直せという形で、評価を全部やり直させるのか。それとも裁判所が7,000万円と認定したのであれば評価額は7,000万円と裁判所自身が決めてしまうという方法で解決をすればよいのか、ということが裁判所によってかなり分かれていたわけですが、最高裁はこの判決において、正しい評価額が7,000万円とわかる場合には、評価を全部やり直させるのではなく、評価額を7,000万円とする判決を出せということを申しました。
「裁判所が、審理の結果、基準年度に係る賦課期日における当該土地の適正な時価等を認定した場合には、当該審査決定が金額的にどの限度で違法となるかを特定することができるのである。そして、上記の場合には、当該審査決定の全部を取り消すのではなく、当該審査決定のうち裁判所が認定した適正な時価等を超える部分に限りこれを取り消すこととしても何ら不都合はなく、むしろ、このような審査決定の一部を取り消す判決をする方が、当該土地の価格をめぐる紛争を早期に解決することができるものである。」
このような判断を下して、裁判所がどういう形でこの問題を解決するかということを指示しているということであります。

6.若干の考察

(1)裁判例における評価基準の「規範性」

 そこで、今申し上げてきたような裁判例の流れについてごく簡単なコメントを加えておきたいと思います。まず第1に、評価基準の規範性というのはどのように扱われているのかという点であります。おそらく評価の実務をされている方々にとって一番苦労される問題は、この点であろうと思います。最高裁は少なくとも私の見るところ、客観的交換価値説の下ではありま すけれども、基本的に評価基準の規範性を承認していると言ってよいだろうと思います。一旦裁判に出てくれば、評価基準というものは裁判所を拘束することなく、「何でもあり」で適正な時価を見つけるのだという議論を最高裁はおそらく採用していません。
 この後、まだちょっとおもしろい展開がありますが、少なくとも今の裁判例の収束しつつある方向というのは、この限度で裁判例において評価基準の規範性が承認されていると言ってよいと思います。したがって、評価をする側であれ、される側であれ、評価基準の採用する評価の枠組みを用いないような評価を持ち出すことは不適法であるというのが大前提とされています。ですから、仮に評価額を争うのであれば、納税者は評価基準に従った上で、その評価の方法を本件に当てはめるのはおかしい、あるいは結果的に客観的な交換価値を超えた評価額となっているということを、評価基準の枠組みを使いながら説明しないといけない、という立場に立たされているということが言えようと思います。
 くどいようですが、最高裁においては、「客観的交換価値説」の理解としても、現行法の枠組み理解としても、IM判決の事件のように家屋や土地を1つずつ個別評価したものが最も良い評価であるとして不動産鑑定評価等を持ちだすことを認めるという形では考えられていない、ということであります。
 ただし、評価をされる側に立ってお考えになるならば、逆は真ではありません。評価基準に従っていれば、それは必ず「適正な時価」を示すものであって違法になることはないとは裁判所は言っていない、ということにも同時に注意が必要です。まさに評価基準に沿って評価をしていく中で、そこに不適正なというか、個別具体の案件に当てはまらない事情があれば、結果は違法になりうるということを、裁判所は何度も確認しているわけであります。

(2)残された問題領域

(ア)収益性と税負担の問題

 このような裁判例の概観に関し、残された問題として、2つ挙げておきたいと思います。その第1点は、収益性と税負担を連関させる議論をどのように扱うべきかということです。LMNの3つの判決を見る限り、少なくとも最高裁判所は、この問題を無視していると考えて、おそらく間違いないだろうと思います。しかしながらこの点は、これらの判決では、個別具体の 事案の解決においてこの問題に触れる必要がなかったという理解も可能です。
 これに対して、他の下級審判決はどのようにこの問題に応接してきたかというと、たとえば、A判決にはこのような判示があります。「利用形態にかかわらず、固定資産の全所有者が納税義務者」であることと課税標準の定め方を勘案すると「現行地方税法が、税源として固定資産の所有という事実によって推認される現実的な収益を予定していると解することは困難である(。)」「税制の合理性は、課税標準だけでなく、これに対する税率も勘案して判断されるべきものであ」り、現行の固定資産税の賦課、徴収は生存権等を侵害するものではない。これは原告の主張に対応して判断を示しています。
 B判決では、「法は課税標準またはその算定基礎となるべき価格を正常取引価格とした上、税率の決定又は課税標準若しくは税額の調整によって、固定資産税の性格に応じた適正な課税を実現しようとしているものと解すべきである。」と述べられています。
 それから、D判決は、「本訴訟の審理の対象となるのは、本件土地の登録価格が『適正な時価』であるかどうかであって、課税標準の特例または税額の当否ではない。」とわざわざ述べています。さらに、G判決では、「収益還元方式に関する明示的な規定がおかれていないということは、地方税法が収益還元方式の採用を断念したものとみることができる」という判示がみられます。このように見て来ると、土地の収益や税負担を考慮要素とすることについては、かなり批判的な下級審判決が相当数出されているということが言えます。
 それでは、収益還元法や税負担という問題は、固定資産評価に関する裁判例において、まったく問題とされていないかというと、少なくとも私はそこまで言い切るのは尚早ではないかと思います。というのは、@判決では、固定資産税は「いわゆる収益税とは解しえないところであるが、正常な市場価格は、潜在的な収益力を示すものと言える」と言われており、つまり、市場価格ではかっても大丈夫だという点について、だめを押している。
 それから、B判決には「固定資産税が所有資産の価額に着目し、譲渡等により現実化した価値に着目するものでなく、固定資産の利用による利益に担税力の根拠を求めるべきこと」という判示が見られ、固定資産税がなぜかけられるかといえば、それは資産に譲渡等による価値があるからではなくて、利用価値があるからなのだ、ということをわざわざ言っているわけです。その上で、「投機目的又は将来の期待による価格形成要因が不正常な条件として排除される場合の価格は当該土地の利用利益に近接する」ということをわざわざ指摘しています。このように見て来ると、土地等の収益性とそれと比較される固定資産税負担の問題を、裁判所は、実はかなりためらいを持って扱っていると考える余地が、まだ十分あるようにも見られます。
 これに対して、たとえばG判決は、土地の「高騰が合理的なものであれば、当該土地もその実質的な価格は上昇しているのであり、住宅用地といえども土地の実質的な価格が上昇する以上、それによる潜在的な利益を受け、右土地を売却することにより右潜在的利益を具体的に取得することも可能なのである」と判示しており、このような固定資産税の課税根拠を理解しない判示をしたのでは、K判決の論理には到底太刀打ちできないものと思われます。
 したがって、この収益性、税負担の問題というのは、今のところ確かに背後に退いていますが、もしも何らかの要因によって、今後不動産の収益性を大きく上回るような税負担が生じるというような事態が起これば、裁判所はそれを真正面から、憲法上の問題として、たとえば、財産権や生存権の問題として扱うということも考えられますが、それを避けて評価の問題として対応するという考え方も十分あり得るのではないかと思います。これは今後の地価の動向であるとか、あるいは固定資産税の負担のあり方であるとかというようなものと絡めて、注意深く観察をする必要のある論点であると思います。

(イ)評価基準に従っただけでは「適法」とされない要素

 それから、残された問題の2つ目です。最高裁の判決の流れを簡単にまとめると、「評価にあたっては、評価基準に従いなさい、しかし、ただ従っただけでは違法になる可能性があります」ということになるわけですから、その最高裁の判示の中から、評価基準に従っただけでは適法とされない場合があるならばその要素は何なのか、ということが問題となり、この点につ いては、今後の裁判例を注意深く見ておく必要があることであろうと思います。
 裁判例における指摘を見ると、土地に関して言えば、L判決が標準宅地の30%を超えるような大幅な下落を、評価が違法となる要因として挙げています。
 それから、N判決においては、独自の評価方法を採用した控訴審判決を破棄差戻しているわけですが、ここでは全体が急傾斜地であるということを重ねて指摘して、それは本件標準宅地への比準そのものを妨げる要素となり得る、という判示をしております。具体的には、まだこの2件ぐらいしか見えませんが、こういう考慮要素というのがこれからどのように扱われてくるかというのが今後の見どころということになります。
 家屋について申しますと、M判決の事件についても、「評価基準が定める評価の方法によっては再建築費を適切に算定することができない特別の事情又は評価基準が定める減点補正を超える減価を要する特別の事情」がある場合がありうることを前提とした判示となっています。ただし、どういう事情がそのような「特別の事情」にあたりうるのかは、この判示からは判りません。すなわち、「特別の事情」の内容は不明であって、かつ、差し戻していても、差戻審で具体的に何を審理しなさいということは書いておらず、要するに、特別な事情があるかどうかを審理しろと言っているわけなので、その中身について推測することは極めて困難でありますが、そういう場合があるはずだから破棄自判せずに差し戻している、というように読むことができます。
 このような最高裁判決の流れを見ていただいた上で、最近の下級審の判決として、P判決を見ておいていただきたいと思います。このP判決というのは原告の事情が少し変わっておりまして、原告、これは控訴人、納税者でありますが、原告は総合衣料スーパーを全国展開している株式会社であり、床面積、構造、使用部材等がおおむね共通する多数の販売店舗を建築しているという中で、そういうもの1つについて評価を争ったというのがPの事案であります。この判示の骨子を拾い読みすると、以下の通りです。「適正な時価とは、正常な条件の下に成立する当該不動産の取引価格であ」るが、「新築家屋の取得の場合、施主と請負人との間に特殊な関係がなく、正常な価格交渉がされて請負契約が成立する限りにおいて、その請負金額は、適正な時価を反映しているものということができる。」「上記認定事実によれば、控訴人と請負人との間で成立した請負契約における本件建物の実際の建築費は、およそ9,397万円程度であると推認される。この金額と、被控訴人が固定資産評価基準に従って決定した金額である1億857万1,000円とは、相当程度の隔たりがある。」「建築物価水準が下落傾向にあるときは、賦課期日の2年前の物価水準により算定した工事原価に相当する費用に基づいて算出される標準評点数につき、3年にわたって何らの補正、修正をすることなくこれを用いて評価した場合には、賦課期日における本件建物の再建築費を適切に算定できない可能性がある。」「大量評価を前提として定められた固定資産評価基準に従って評価した結果が、一般的に適正な時価として認められるのは、こうした正常な取引価格の下限を超えない限りにおいてである。」
 このように、P判決では、いわゆる独立当事者間で成立した価格と評価額との比較が問題となっているわけです。独立当事者間取引によって成立した価格というのが、正常な価格としての一定の幅の中に入るということは多くの租税法の研究者も認めているところでありますが、それとの関係で、いかに「評価の安全」といっても、評価額は常に独立当事者間価格の下限を下回らないといけないのかという問題が、ここで提出されています。そしてその次に、もしも評価額が独立当事者間価格の下限を下回るということまで求めない、評価の安全性という見地からもそこまでの評価の「固さ」のようなものを求めないというのであれば、今度は評価基準による評価と独立当事者間取引における取得価格のどっちが「より良い」価格であるかはどうやって決めるのか、という問題が出てきます。おそらくこの点には決め手がないものと思われます。このような2つの議論を経由するならば、おそらくM判決における最高裁の発想とP判決の発想とは違うと言えるように思われます。
 しかしながら、この東京高裁は、この問題を、正面から「評価基準による評価」対「独立当事者間価格」という描き方をせずに、本件事案に評価基準を当てはめることの不合理性として表 わしています。すなわち物価水準の変動と評点数の据え置きという形で、評価基準に議論を戻しているので、この手法が、今後、最高裁に通用するかどうかということはおもしろい問題として残っております。

7.おわりに

 「裁判例の概観」として結局はあまりまとまりのない話になって申し訳ありませんが、きょうのお話で、裁判あるいは判例というようなものが、皆さんが毎日向き合っておられる評価実務に、いわば直接に影響するような時代になってきている。それだけの展開を裁判例がみせている、ということのイメージをつかんでいただき、今後、各種の媒体で裁判例の動向などにも 興味を持っていただく手がかりになるならば、私としては望外の喜びであります。
 ご静聴ありがとうございました。


【参照裁判例一覧】
※それぞれの判決に附した番号は、本文で引用している判決の番号である。
@ 前橋地方裁判所平成8年9月10日判決(判例タイムズ937号129頁)
A 仙台地方裁判所平成8年10月8日判決(未公刊)
B 東京地方裁判所平成8年9月11日判決(行集47巻9号771頁)
C 東京地方裁判所平成8年9月30日判決(判例タイムズ957号187頁)
D 東京地方裁判所平成10年1月21日判決(判例地方自治178号32頁)
E 東京地方裁判所平成10年3月18日判決(判例地方自治181号55頁)
F 東京地方裁判所平成10年12月10日判決(判例地方自治190号57頁)
G 大阪地方裁判所平成11年2月26日判決(訟務月報47巻5号977頁)
H 大阪地方裁判所平成9年5月14日判決(判例タイムズ960号106頁)
I 札幌高等裁判所平成11年6月16日判決(判例地方自治199号46頁)
J 東京高等裁判所平成13年5月17日判決(判例時報1755号55頁)
K 東京高等裁判所平成13年4月17日判決(判例時報1744号69頁)
L 最高裁判所平成15年6月26日判決(民集57巻6号723頁)
M 最高裁判所平成15年7月18日判決(判例時報1839号96頁)
N 最高裁判所平成16年10月29日判決(判例時報1877号64頁)
O 最高裁判所平成17年7月11日判決(判例時報1906号48頁)
P 東京高等裁判所平成16年1月22日判決(判例時報1851号113頁)